弥彦篇/3

「なあ、剣心ってばどこで寝泊まりしてるんだ?」
竹刀を振りながら弥彦が訊ねた。
「さあ?訊いてないわ」
「・・・無頓着だな」
ぶっきらぼうに言い放つ弥彦を、じろりと薫は睨め付ける。
「そうじゃないわよ、なんだか剣心が云いたがってないみたいだし!」
「ああん?実はお前が知りたくねーんじゃないのか?」
「!」
ぶんぶん、と振りかぶる弥彦の姿勢を、薫はやや乱暴に修正する。
「ほら!背が曲がってる」
「ぎっ!?」
「足の幅も!」
「ぐえっ!?」
「ほら!ほら!ほら!」
「・・・八つ当たりすんじゃねぇえ!!」
手ぬぐいで汗を拭いながら、 弥彦は出稽古の支度をしている薫を横目で見た。
感情と行動がほぼ同時に発現する、いわゆる単純な少女。
かと思えばどこかしら他人の気持ちに敏感で、 こちらがびっくりするくらいの気配りを見せたりする。
両親を早くに亡くしたせいか、いわゆる寂しがり屋なのだろう。
弥彦もそうだが、彼は自分が『男』であることに拘りを持っているので、 生半可に淋しいなどとは態度にみせはしない。
よっこらせ、と荷物を担いで薫が立ち上がった。
「じゃ、行って来るわ。
 弥彦、留守をよろしくね」
「・・・今日は剣心は?」
「お米とか味噌とか、買い物を頼んだの。
 夕方までには来てくれると思うわ。
 夕餉も作ってくれるって」
(おいおい、またかよ)
呆れるが、確かに薫が作るよりは遥かにありがたいので、 ここは口に出さないでおく。
「・・・わかった、気をつけてな」



早春とはいえ、つるべ落としのようにまだ陽は暮れる。
合わせ味噌の配分に思わず凝ってしまって、剣心は神谷道場に着くのが、 やや遅くなってしまった。
「しまった・・・これから米を炊くには時間が足りないな」
木戸をくぐり、土間へ入る。
すると、釜の火がちゃんと焚かれていた。
「・・・弥彦か」
小さく驚いて、そして剣心はくすりと笑う。
日頃文句ばかりで、薫と喧嘩を繰り返す少年だが。
彼は彼なりに薫を尊敬し、薫に感謝しているのだろう。
(いい子だな、ほんとに)
どかりと味噌の入った樽を下ろすと、 気配を嗅ぎつけたのか弥彦が顔を出した。
「おう!剣心」
「遅くなって済まなかった」
弥彦は仕方ねえな、と云った表情(かお)でため息を吐く。
「ちゃっちゃっと飯の支度しようぜ、薫が帰ってきたらうるさいぞ」
「ああ、そうだな」
年端の行かぬ者に対等な口を利かれても、 剣心はにこにこと機嫌良く返事をする。
(これが結構クセモノだよな)
一筋縄ではいかない。
おそらく彼は、弥彦などが想像のつかない修羅の経験をしているはずだ。
薄々はそう感じるが、 これまでそんなことを露骨に感じさせたことはなかった。
だからこそ。
気にならないと云えば嘘になる。
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