弥彦篇/4

「なあ、剣心」
「ん?なんだ?」
買ってきた品々を手早く仕舞いながら、剣心は返事した。
日頃単刀直入に切り出す弥彦の物言いが、どこか歯切れが悪い。
剣心はよいしょ、と背を伸ばし「何が訊きたい?」と自ら弥彦を促した。
「え?いや、その・・・」
剣心に逆に問われて、弥彦はしどろもどろになった。
(どう訊けばいいんだ?)
(住んでるトコを訊くだけだろ、俺何を遠慮してるんだ?)
(でももしかして)
(お、お、奥方とか居たり) (これでも剣心、三十前だもんな、居たっておかしくないし)
(でも剣心にそんな存在が居るっていうのも、なんかピンとこねぇし)
ぐるぐる、ぐるぐる、弥彦の思考は巡る。
ところが剣心の方から救いの手が差し伸べられたのである。
「弥彦、今度うちへ遊びに来るか?」
「うち!?」
「巴も・・・会いたい、って云ってたし」
「と、と、巴!?」
「・・・俺の、妻だけど」
「やっぱ娶ってたのかっ!!!」
真っ赤な顔で、弥彦は怒鳴った。
剣心といえば、己の童顔は自覚している。
だから自分が妻帯者と知ると驚かれることもままあった。
苦笑いを噛み殺しながら、剣心は続ける。
「とある事情で、あまりおおっぴらに出来ないんだ。
 だけどそれじゃあんまり窮屈だしな。
 なにより、弥彦達を巴に会わせてやりたいんだ。
 だから―――」

その時。
どさりと音がした。
弥彦が振り返ると、薫が荷を地面に落として呆然と突っ立ている。

「か、薫・・・」
「お帰り、薫殿」

普段と変わりなく声を掛ける剣心に、半ば呆れながら。
弥彦は固まった薫に密かに同情した。

(『恋』になる前に、砕けた、って感じだな)

弥彦は小さくため息を吐くと薫の傍へ行って、落とされた荷を担いだ。
そして剣心へ振り向き。
「剣心の家、今度行かせてもらう。
 ほんとにいいのか?」
「ああ」
「わかった」
弥彦はにぃ、と笑うと薫の背を軽く押す。
「さあさ、こんなトコに突っ立ってないで手ぐらい洗ってこいよ」
薫はぼんやりしながら押されるままに歩を進めた。
弥彦はぐるりと首だけ剣心へ向ける。
「剣心、あとは俺がやるから。
 遅くなったし帰っていいぞ?」
「・・・しかし、夕餉を作ると約束・・・」
「いいってゆってんだろっ!!」
「・・・そうか、じゃあ・・・」

ややきつく断ると、剣心は面食らったようだったが素直に踵を返した。
おそらく彼は弥彦の意図には気付いていない。

(鈍い・・・鈍すぎるぞ、剣心!)
弥彦は心の内で密かに涙を流した。
神速の剣術の使い手でも、乙女心には関心がないのか。
先程から口も利かない少女の背を押しながら。
弥彦はそっとため息を吐いた。
弥彦篇・完
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