新月村篇・後/1
「遅い」 仁王立ちで縁は低い声で唸った。 からりと障子を閉めて、巴が振り返る。 剣心の脚力ならば、自分たちとほぼ同時か、もしくは少し早めに 着いても良かった。 しかし待ち合わせの場所に、まだ彼は姿を現さない。 「・・・縁ったら座ったらどう?」 心配ではあるが、巴はそれを面に出さずに縁に微笑みかける。 姉の笑顔に弱い弟は、渋々と彼女の言に従った。 「大体あれは少々厄介ごとに巻き込まれすぎる。 また余計なことに首を突っ込んでるんじゃないのか?」 姉さんを待たせるとはいい度胸だ。 舌打ちしながら縁はどかりとあぐらを組む。 「そうねえ・・・ほんとに困ったこと」 さらりと頬にかかった髪を耳に掻き上げて。 巴は仕方なさそうに笑った。 「それ、その態度はこういうことに 慣れてるってことかもしれないけど。 ちゃんと云わなきゃ駄目だよ。 心配させるな、ってさ」 いい歳をして、むっつり顔で不満を述べる縁に、 巴は「はいはい」と軽くいなすだけだ。 「姉さん・・・!」 「あのね、縁」 苛々して声を張り上げた弟を、柔らかな声で巴は制す。 「全部、全部―――承知の上でわたし達は生きてきたの。 あなたもわかってるくせに」 むう、と不満を呑み込むような表情(かお)で、 縁が口を完全に閉じる。 (ああ、そうさ知ってるさ) 剣心と巴が選択した生き方は平坦ではなく、むしろ険しく。 それでもふたりは幸せだと断言する。 大事な大事な姉は、幼い頃には見たこともなかった笑顔を浮かべる。 (・・・ふん) 悔しいとか妬けるとか。 縁の心情はそんな言葉で近しく表せるのだろうけれど。 本人はけして認めることはないだろう。 「全く、姉さんは苛烈だ。 この歳になって、ようやくわかった」 え?と軽く巴が目を瞠ったが、縁はにやにやと意地の悪い 笑いを浮かべてその先を答えようとはしなかった。 昔、自分や親父を振り切って京都へ行ってしまった姉。 その柔な細腕で仇を取ろうとした姉。 いつの間にか仇を愛して、彼を生かそうと自分の身体を 投げ出した、姉。 変わることの少なかった表情の裡(うち)に、 なんて激しく熱いものを秘めていたのか。 (女は怖い) 皮肉にも縁は姉によってその事を知ってしまった。 ■次へ ■『京都日記』目次へ戻る TOPへ |