左之篇/3

(まいっちゃう・・・)
薫はまたため息を吐く。
それに気付いた巴が、漆黒の瞳をふと薫に向けた。
慌てておかずを口に運んでごまかすと、 ふわりと笑って弥彦の「おかわり!」の声に応える。
(・・・ほんとにまいっちゃう)
剣心の選んだ女性なのだから、 とにかく“敵わない”とずっと胸の奥で反芻していた。
そうしてとうとう、果たされた出会いは。
ますます薫の心に大きな重石となったかのようだ。

(若さだけが取り柄かな、とか思ってたんだけど)
濃くもなく薄くもない、 程よく味付けされた煮物が美味しくて、また落ち込む。
(剣心、三十前だって云ってたし、 だからこの女性(ひと)もそれなりに “おばさん”かな、とか)
巴は箸使いも綺麗で、ついでにすらっと伸びた指の形も綺麗だった。
(年齢じゃないのね・・・、今更こんなことに気付くなんて)
何気なく覗く首筋とか、まっしろな肌とか、穏やかに揺れる瞳とか。
(・・・まいっちゃう・・・どうしてこんなにめげちゃうのかな?)
「おい」
不意にすぐ横から声が響いて。
薫は驚いてびくりと背中を震わせた。
「え?え?何!?」
弥彦は頬に二粒ほど米を引っ付けたまま、まだもぐもぐと口を動かしている。
「・・・おい、それ、要らないならもらうぞ?」
薫ははっとして目の前の卵焼きを見た。
「これのこと?」
「おう」
「・・・いや」
「なんでだよ、さっきから箸が進んでねーだろが」
「ふ、ふん、ちょっと考え事してたのよっ、 こんな美味しいものそう簡単にあげられますかっ!」

薫は慌てて一切れ、卵焼きを口に放った。
ほんのり甘くて、懐かしい味がする。
「わ・・・あ!美味しいです、これ!」
思わず斜め前の巴に向けて、薫は感想を述べた。
巴は少しびっくりしたように目を丸くして、そしてふわりと微笑う。
それはとても優しくて、何故か薫はどうしたらいいのか解らない。
頬を赤くして俯く。
「ありがとう、薫さん」
巴が小さく応えた。
「い、いえっ!
 だってこんな美味しい手料理、久しぶりだし。
 あ、でも剣心の料理も美味しかったですっ!!」
隣で弥彦が呆れているのが感じられた。
剣心はただにこやかに、大人しく箸を運んでいるだけだ。
(どうして薫も剣心もこう鈍くさいんだか)
三杯目の味噌汁をずるずる飲みながら、 弥彦は薫と剣心と巴へ忙しく視線を動かしていた。
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