左之篇/2

首を捻りながら、それでも弥彦は、 薫が明るく元気で弥彦に口うるさい方が落ち着くのだと、自覚した。
(それにしても)
ちゃっかり頭を切り換えた弥彦は、辺りを見回しながら首を捻った。
(この路地にくるなら、別の道順の方がよっぽど近いのに)

すれ違う人々。
ありきたりの場面。
剣心と薫は楽しげに喋りながら早足で歩く。
やがて細い道を抜けて、やや広まった通りへ抜けた。
幾つも軒を並べた長屋が連なる。

「・・・ここだよ」
やがて剣心はひとつの戸を指し示した。
和んでいた薫が、再び緊張しているのが、背中だけで弥彦にも解る。
かたた、と戸を滑らせて、剣心がやや前屈みになった。
「巴」

(あ、声が違う)
ふと弥彦はそう感じた。
何の飾りも気負いもない。
形容すれば、真っさらな。

中からさらさら衣擦れの音がした。
ふわりと、甘酸っぱい香りが漂う。
剣心と戸の陰に。
人影が見えた。
剣心の背が、小さく揺れて。
彼が笑ったのが解る。
剣心は薫と弥彦の方へ振り向いた。
彼の肩の向こうで、佇む女性が軽く会釈する。

「薫殿、弥彦。
 “巴”だ・・・よろしく」

手狭だが、きちんと整頓された部屋。
余計な物を全部外して、必要な物だけが置かれている印象がある。
それでも堅苦しさを感じないのは、一輪挿しに飾られた花とか、 茶箪笥の色合いとか、そういった物に細やかな気遣いがあるからだろう。
何よりも。
今弥彦と薫の目の前で、真っ白なご飯をよそう『彼女』が。
その場をくつろいだ空間に変えていた。

「いつも二人分しか作らないから、ちょっと加減が難しくて」
そう言いながら、微笑う。
「全然大丈夫!!美味しいですっ!!」
すでに膝を崩して、 弥彦はばくばくと用意された料理を胃の中へ収め続けていた。
「弥彦、もう少し上品に・・・」
きちんと正座して、肩に力を入れたまま、薫が囁くのだけれど。
ちらとも見ないで弥彦はそのまま食べ続ける。
「もう・・・」
溜息を吐いて、薫はまたこっそりと巴へと視線を移した。
緑の黒髪、という形容がぴったり来るかのような、 豊かで美しい髪をひとつに纏めて。
その後れ毛が真っ白なうなじに揺れているのは女性の薫でも はっとするほど艶めかしかった。
それでいてその“ひと”は、 崩れた感じも堅苦しい感じも周りに与えることはない。
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