左之篇/1

「・・・何めかしこんでんだ?」
薫の背後で、弥彦がぼそりと声を掛けた。
びくっと肩を揺らして、そして慌てて振り返る。
「な、何よ、オシャレくらいするわよ!
 き、今日は、け、剣心の、お、お、奥さんに会えるんだし!」

ぽりぽりと頭を掻きながら、弥彦は桜色の着物姿の薫を見上げた。
(どもりすぎだっつーの・・・、緊張感丸見えだぜ)
そう思うが、口に出せば鉄拳が飛んでくるので思うだけにする。
弥彦といえばいつも通りの袴姿で、愛用の竹刀を背に担いでいた。
「あんたはあまりにもいつも通りね・・・」
頭のやはり桜色のリボンを気にしながら、 薫がややふくれ面で弥彦を軽く睨めた。
柔らかな色に包まれた少女は、とても愛らしく、 弥彦は何故か保護者のような気分だ。
「お昼を馳走してくれるだけだろ?
 あの剣心の奥さん、ってぇのは興味あるけど」
「・・・興味ありすぎだわ・・・」
「おい、今声が低かったぞ?」
「そう?」

剣心よりは酷くないが、“こっち”もそう自覚がないらしい。
弥彦は軽く目眩を覚える。
(ま、いいけどよ。
 俺あんま考えないようにしよう・・・)

だが、弥彦にはひとつ気にかかることがあった。
剣心は完全ではないが、さり気なく妻を世間から隠すようにしている。
―――その理由が、わからない。

からりと戸が開いて、剣心がひょっこりと顔を覗かせた。

「薫殿、弥彦。
 そろそろいいか?」
「おー、待ってたぜ」
弥彦が奥の庭から顔を覗かせる。
どうやら僅かな待ち時間の間に、多少素振りを行っていたらしく。
額に小さな汗が浮いていた。
「熱心だなあ、弥彦」
「そうでもないさ」
「・・・薫殿は?」
弥彦がくいと顎をあげて、縁側にある部屋を示した。
勝手知ったる剣心は草履を脱ぐと、その部屋の障子の前に立つ。
「そろそろ行こうか、薫殿」
「・・・え、ええ」
ゆっくりと障子を開けて、薫が顔を覗かせた。
心なしか赤い頬とか、似つかわしくないおどおどした様子に、 何故か弥彦は僅かな苛立ちを覚える。
「いつもより、可愛い感じがするな」
「そ、そう?
 あんまり着慣れない色だから」
「似合ってるよ・・・すごく。
 あ、だけど本当にあばら屋で、畏まることはないから」
「うん、でも剣心の奥さんに会うんだもの!
 ちゃんとしなくちゃ!」
「・・・そんなものかな?」
「そんなものよ〜!」

剣心に桜色が似合うと云われて、 俄然薫はいつもの調子を取り戻したようだった。
楽しげに会話しながら先を歩く、ふたりの背中を弥彦は見遣る。
(さっきの会話、どこか噛み合ってないような気がするんだけど。
 それでもうまく会話が進んでんのが、このふたりだよな。
 まあ、薫が元気ならいっか)
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