斎藤篇(後)/4
「いーかげんに雨戸締めろ、薫」 弥彦がばん、と雨戸を滑らせる。 薫はちらりとそれを見遣って、また夜空を見上げた。 「剣心、詳しいこと教えてくれなかったね」 「ああ?職業上の秘密だろ?」 「斎藤って人もお蕎麦食べたらいつの間にか消えてたし」 「・・・いつもやってそうだな、あいつ」 ぷく、と頬を膨らませて漸く薫は立ち上がった。 「誰も、教えてくれない。 むかつくわ」 ばん! 最後の雨戸を引いて、弥彦はぼそりと呟いた。 「・・・大事にしてもらってんだろ?」 剣心の話を一通り聞き終わった巴は、 何の応(いら)えもせずに、しばらくじっと座っていた。 伏せた目蓋から僅かに覗く、その漆黒の瞳は。 なんの光を湛(たた)えているのか、剣心にはわからない。 やがて彼女は静かに立ち上がると「ご飯にしましょう」と云って笑った。 何も聞き返さず、何も反論せず、ただ静かに話を聞くだけ。 (これって・・・) 剣心は組んでいた足を崩すと片膝の上で行儀悪く頬杖をついた。 (これって、どう捉えたらいいのかな) 自分に都合の良い受け止め方かもしれないけれど。 巴はもう、怒ってないように思える。 (がんばって話したもんなあ、俺) 敵対するものには口達者な剣心だが、実は肝心な場面では 口下手だ。 自覚があるだけに、少々不安になる。 かたん、音がして。 巴が膳を運んできた。 変わらぬ物静かな態度。 全てを運び終えてようやく剣心の前に膝を折った彼女は、 その端正な貌を剣心へ向けた。 「・・・ちゃんと、聴きましたから」 無表情ながら、その瞳の奥にある柔らかな光の揺らぎ。 剣心は少しの間、それから視線を反らせなかった。 綺麗で、儚くて、張り詰めた光。 それでいてその“強さ”を、剣心は知っている。 「う・・・ん」 辛うじて返答できた言葉は、それだけだった。 けれど、剣心は理解したのだ。 彼女が剣心と蒼紫の約束を受け止め。 そしてこれからの困難に、立ち向かうことを。 こんなに華奢で肌が白くて、儚そうなのに。 彼女から実はある力が溢れている。 剣心は今更ながらに巴の生命(いのち)の輝きに 圧倒されてしまった。 「どうかされましたか?ぼんやりとされて」 気づけば巴が不思議そうに剣心の顔を覗きこんでいる。 「うわ!」 うっかり思考の海に沈んでいた剣心は、びっくりして叫んだ。 巴はますます剣心に近づき、そっとその頬を撫でる。 「ごめんなさい、驚かせてしまいました?」 「え?あ・・・」 違う、と云いかけて。 剣心は小さく首を振った。 自分の頬を撫でていた巴の手首を握って、 その一番長い指の先に、口付けを落とす。 「・・・びっくり、したよ。 君が、ちゃんと受け入れてくれたから」 巴は剣心の唇が触れている指先を動かせないまま、 耳朶を赤く染めた。 「だって、さっきあなたは話してくれたでしょう? あなたの想いも込めて、わたしに話してくれた、でしょう?」 「・・・うん」 「本当に、腹を立ててたんですけど」 「うん」 「話してくれたら、少しずつ治まってきて」 「うん」 「時尾さんにも、信じろ、って云われて」 「うん」 「―――信じられる、って改めて思えたから」 「う、ん」 「そうしたら、なんだか嬉しいような気分にすらなりまし・・・た」 ■次へ ■『東京日記』目次へ戻る TOPへ |