蒼紫篇(前)/3

「平坦で平凡で、穏やかで優しくて。
 そんな人生を送って欲しい、と願いながら。
 俺は自分の望みを優先した・・・から」
巴が、剣心の腕の中で不自由そうに身動きした。
右手でとん、と彼の胸をたたき。
「あなたって人は本当に後ろ向きですね」
「・・・ごめん・・・」
「わたしは」
とん、とまた彼の胸をたたく。
そうしてぐいっと襟元を握りしめると思い切り引っ張った。
「と、巴っ?」
驚いて体勢を崩した剣心に、覆い被さって。
今度は剣心のその頬を、彼女が手のひらで包んだ。
「・・・わたしも」
熱くて甘い息が、剣心の薄い唇にかかる。
「わたしも、あなたが欲しい」

ぺた、と張りついた唇は少し冷たくて。
けれど注がれる息はやはり熱い。
誘われるように剣心が唇を開くと、 その熱の固まりがするりと入り込んできた。
巴の、柔らかな舌がざらりと剣心の上あごを舐める。
くすぐられるようなその感覚に、ざわりと剣心の背筋が 小さく戦慄(わなな)いた。
巴の、細い指先がするりと剣心の耳朶に下りて。
からかうように踊ったかと思うと不意にしっとりと彼の項(うなじ)を 撫でた。
「ちょっ・・・、巴・・・」
それだけの彼女の愛撫に身体が反応した事を、ごまかすように 剣心は巴を呼ぶ。
くすり、と軽く笑ってまた巴がその唇を塞いだ。
今度は剣心も躊躇いを捨てたように、自分に覆い被さる彼女の 頭を右手で押さえるとより深く重ねる。
「・・・ん・・・・」
甘い吐息で巴が応えた。
剣心の左手が彼女の腰を抱くかのように動く。

愛しい、愛しい、愛しい。

その想いが。
どれ程の強さを激しさをもたらすのか、剣心は知っている。

血だらけだった筈の手のひらで、彼女を抱き。
剣戟の間中咆哮したその口で、彼女に優しく囁き。
己の弱さと未熟さを痛感しながらも、彼女を手放せない。



ただ、愛しいと。

とまらない――――――
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