蒼紫篇(後)/5

カタリ、と襖が開いて。
年若い男が音もなく敷居を跨ぐ。
巴は少しびっくりしたような顔をしたが、すぐにふわりと微笑んだ。
「・・・縁、やっぱり居たのね」
「まあな。
 アイツがそんな風に動いたら容赦しないところだった」

背がすらりとした、痩躯で引き締まった身体の青年が、 蒼紫の消えた先の闇を睨む。
「姉さん・・・俺が居たこと、知ってただろ?」
「―――ええ」
巴が頷くと、真っ黒な髪がさらりと揺れる。
がしがしと前髪を掻き回して、縁は「はぁ」と息を吐いた。
「・・・たく。
 あんまりヒヤヒヤさせないでくれ」
「ごめんなさい」
儚げに笑う、姉を縁は見つめた。
「いいさ、俺が好きでやってるんだから」

彼は紆余曲折を経て、ひとつの貿易会社を経営している。
なのにこうして再々巴の前に現れて。
理由を訊くと「姉さんがあぶなっかしいから」とにやりと笑った。
彼の目の前で剣心に斬られ、死にかけた自分。
剣心の仕事のせいで何度か危険な目に遭う自分。
・・・縁がそれを、手をこまぬいて見ているわけはないのだ。
(ごめんね)
巴は口には出せず、心の奥で詫びた。
(心配ばかりかけてごめんなさい)
(でも)
後悔など微塵もない。
だから巴は縁へ笑う。
ありがとう、と。

「・・・ガキの頃は」
縁が掛けている小さな眼鏡を中指で押さえた。
「俺は随分と姉さんに迷惑をかけた。
 それこそ、姉さんの顔色が蒼くなるくらいに」
巴はそんなこともあった、と遠い昔を思い出す。
「・・・だから、気にすんな」

ああ、こちらの心を見透かすみたいに。
小さくて可愛かった弟が。
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