蒼紫篇(後)/3

あの抜刀斎が腕において未熟というわけではあるまい。
それならば精神的な部分を示しているのだろう。
蒼紫は目の前の女に、個人的な興味を持った。
この、細い枝のような女が。
自分が居なければ抜刀斎は一人前ではない、とぬかす。
大層な考えだと半ば呆れていた。
「・・・それなら尚のこと、あなたは人質にふさわしいというわけだ」
巴は身じろぐことなく、蒼紫を凝視している。
己の存在が、剣心の足枷になる状況はこれが初めてでは当然なかった。
明治の世になり、剣心が旧知である大久保や山県らの頼みで、 政府が表だっては手を出せない事件や問題を処理し続けて早十余年。
予測はしていたし、実際危険な目にも遭った。
それでも、巴は剣心と共に行動し。
剣心はそれを是とし。
―――なぜなら。
「あなたの、思い通りにはなりません」
巴は凛と云い放った。
「何故そう云いきれる?」
蒼紫は巴の応えを想定していたのだろう、訝しむことなく 訊いてきた。
「・・・信じているから、です。
 あの人を」
「信じるだけでは、現実に対処できまい。
 現に此処に、抜刀斎は居ない。
 高荷恵の護衛であの道場に泊まり込みなのだろう?」
巴はまっすぐ面をあげたまま、蒼紫のほの暗い瞳を見た。
「たとえ、此処に居なくても、来られなくても。
 信じています」
「・・・・・・」
「あの人が、あの人であることを。
 わたしが、わたしであることを。
 そうして互いのことを―――信じています」
蒼紫の眉がひくりと跳ねた。
「・・・今腕を伸ばして、あなたの首を捻るだけで全て終わる。
 抜刀斎がそれを阻むのは物理的に不可能だ。
 それを知りながら、“信じている”だと?」
巴の瞳は動かない。
「お前達の信じる、という意味は・・・俺には不可解なもののようだ」

そう。
誰にもわからないだろう。
巴は目の前の男へ向かって。
胸の奥で呟いた。
わたしたちは互いが居なければ生きてゆけないほどに 相手に依存していながら。
この十数年間、常に相手を喪う恐怖に晒され続け。
それでも心の何処かで。
相手が自分の知らないところで、命を落とすはずはないと 信じているのだ。

―――何という矛盾。
けれど、それはふたりの真実。
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