蒼紫篇(後)/1

なんて静かな夜だろう。
巴はそう思いながら冷たい指先をこすり合わせた。
今夜も剣心は神谷道場に泊まり込みだ。
依頼を受けて、調査し、動く。
十年近く、彼がこなしてきた仕事。
巴はもちろん納得しているし、そんな彼に対して 誇りも持っている。
けれど未だに彼が居ない夜が。
淋しいと思うのは・・・我が儘、なのだろうか。

ジジ、と窓際の蝋燭の火が揺れた。
何気ないその音に。
微かなざわめきを覚えた。
「・・・?」
剣心と共に生活してきたせいだろうか。
巴は“その気配”に敏感になっていた。
すなわち、異質な存在があるという気配に。

ざっと巴は立ち上がって出入り口に一番近い場所へ移動しようとした。
しかしそう動く前に、音もなく黒い影が目の前を過(よ)ぎる。
「・・・・・・!」
侵入者が居る。
かなりの手練れが。
巴はなるべく冷静であろうとしたが、無意識に右手が己の襟元を辿った。
普段は守り刀としてのお飾りである、懐剣がそこにあった。

こくりと喉を小さく鳴らすと。
巴はそのままそこに正座した。
はっきりとは見えないけれど、感じる自分以外の、誰か。

「―――出てきたらどうですか?」

まるで目の前に居る人に話しかけるように言葉を紡いだ。
瞳はまっすぐに前を向いている。
すうう、と気配が動いた。
さりさりと布ずれの音がした。
壁の隙間から零れる、月明かりがその姿を浮かび上がらせる。
「・・・誰、ですか?」
―――影はあっけなく答えた。

「四乃森蒼紫」
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