光。
全身に突き刺さってくる光。

白。
真っ白な服の、真っ黒な長髪の、男。

赤。
吹き出す血潮が、風に千切れて霧のようだ。



(師匠)
(・・・馬鹿が)
(し、しょう)
(これから先、もっとおまえは苦しむことになる。
 だが忘れるなよ。
 おまえが選んだ、その代償を   
(・・・)
(わかったら、いけ。
 ・・・馬鹿弟子が)







かくん、と身体が落下する感覚。
それと同時に浮上する意識。
剣心は漸く己の額に、 ひんやりとした小さな手が乗っていることに気づく。

「よかったあ、熱下がったみたい」
ゆるりと目蓋をあげた剣心の、そのほんのりと蒼い瞳を操は覗き込んだ。
「この数日で傷もほとんど塞がってるし、熱も引いたみたいだし。
 あとは栄養つけるだけだね」
「きみ、は確か・・・」
「もう、“操”だってば。
 そろそろ覚えてよね?」
人の好い笑顔で答える少女の、その背後に。
白い髪の少年がむっつりと佇んでいる。
剣心は左腕でゆっくりと身を起こすと、ふたりに向かって頭を下げた。
「すまない、礼を云う」
「ううん、気にしないで。
 ここはさ、いろんな人が流れ着くところだから、 実はこんなこともしょっちゅうあるんだ」
怪訝そうな表情をした剣心に、操は手身近に説明した。
「つまりね、最近『沙(すな)』とか『湖(うみ)』とか 大国が小競り合いしてるでしょ?
 それに巻き込まれる小国や部族とか結構たくさんあるの。
 故郷や家を無くした人達、自ら全てを棄てた人達、 行き場を失った人達。
 ここはそんな人達が、集まって出来た集落なんだ」
肩を竦めながら、操は淡々と述べる。
大きな菫色の瞳を揺るがせることなく。
剣心は操のそれに、純粋さと力強さを感じた。
「・・・君は、何かを捨てたとか、失ったようには 見えないな」
予想もしなかった事を訊かれたからだろう。
操は一瞬呆けたようにして、そしてすぐに困ったように頭を掻いた。
その度に長いお下げが、彼女の背中をゆらゆら撫でてゆく。
「んー、あたしはね、ここで生まれて育ったんだ。
 だから生粋というべきか、番外というべきか、よくわかんないけど ・・・まあ、古株には違いないって」
いしし、と歯を出して笑うと剣心の枕元のたらいの水で。
手際よく手拭いを洗い絞った。
「さ、顔でも拭く?」
「あ、ああ」
ぽんぽんと発せられる言葉に気圧されるかのように、 剣心はひんやりとしたその手拭いを受け取った。
「ほら、そこでぼーっと突っ立ってる縁なんかね、 新参のくせして態度がでかいんだー」
それまで黙って剣心を観察していたかのようだった縁は、 むっとした表情(かお)をして、口を開いた。
「余計なことをいうな、操」
「別にいいじゃない。
 それこそあたしは“余計なこと”なんて、訊いてもないし?」
「なっ」
操が無意識に述べたように、縁は己の素性に関してほとんど操たちに 話してはいなかった。
その僅かな後ろめたさからなのか、もしくは 口では普段から彼女に敵わないのだろう。
縁はち、と小さく 舌打ちするとくるりと踵(きびす)を返す。
「・・・翁(おきな)のところへ行ってくる」
「経過報告?」
「ああ、こいつがある程度回復したことを報告する。
 それから、操」
出口の御簾を片手で上げて、縁は顔だけ剣心と操の方へ向けた。
   そいつは特殊なんだ、あまり深入りするなよ」
ばさ、と乱暴に御簾が降りて。
縁の歩き去る音が遠くなる。
操は不満げに唇を尖らせ、剣心は暫く彼の去った方向を凝視した。

(あの少年は、何者だ・・・?)
年齢に似つかわしくない、冷めた態度と突き放したような物言い。
何より剣心が“紅き龍”だと、知っていた少年。
(俺の顔を知る者はそう多くないはずなのに)
そう、例えば『龍の郷』の人間か、もしくは自分と戦ったことのある・・・
(『沙』の者か?)
そんな剣心の思考をよそに、操は彼の傷の消毒を始めた。
膿と血で汚れた布を清潔なものに取り替えながら、 操が「あのね」と口を開く。
「縁がね、ここに来たのは半年くらい前なの。
 あんまり自分のこと話してくれないけど、頭は良いし、 薬草にも詳しいし、世情にも通じてる。
 それに、やることはきっちりやるから、信頼はできると思うよ、うん。
 だからあーゆー風な態度だけど、気にしないでやってね」
「・・・ああ、わかってる」
剣心の返答に気をよくしたのか、ぱぁ、と顔を輝かせると操は たらいを持って立ち上がった。
「さあ、何か軽い食事つくるね!」
「あ、俺は急い・・・」
「だめよ」
ずい、と人差し指を剣心の鼻先に近づけて。
操はぷくりと頬を膨らませる。
「剣心、何か焦ってるみたいだけど、我慢して。
 今のあなたが無理して動いても、きっと一日保たないよ。
 元々すっごい鍛えてるみたいだし、三日もあればかなり回復するはずだよ。
 だから今はじっとしてて。
 いいわね?」

年端のいかない少女が、母親のような顔で注意して凄んでみせる。
その隔たりが可愛らしくて、剣心は久方ぶりに口元を緩めた。
「・・・わかった、おとなしく云うことを聞いておくよ」





「まだ起きないの?」
薫は苛々と椅子の肘掛けをこつこつと指で叩いた。
「は、まだのようです」
「ふうん・・・で、おまえはどう思う?」
蒼紫は深く垂れた頭を上げて、薫を見遣る。
「何を、でしょうか?」
薫は軽く唇を吊り上げた。
「巴皇女(おうじょ)は大丈夫なのかってことよ    その精神が、ね」
「・・・剣心も比古も、双壁と謳われた龍でございます。
 おそらく、精神攻撃よりも剣での戦いに比重が置かれたかと。
 ですから昏睡の状態は長くとも二日程度ではないでしょうか」
薫は、右親指の爪を軽く噛んだ。
どこかしら落ち着かない   そう、不安そうな瞳の動きが 蒼紫には気にかかった。
「ねえ、蒼紫あなた覚えてる?
 あなたが初めてわたしの前に現れた時のことを」
ふわり。
長い裾を翻して、足を組み直すと。
薫は唐突に過去の話を始める。
しかし蒼紫は薫の気まぐれに慣れているのか、 眉ひとつ動かさず軽く頭を下げた。
「はい、もちろんでございます。
 姫は、とても愛らしい幼子で在らせられました」
薫はふふ、と小さく笑うとおもむろに頬杖をついた。
どこか懐かしむような、何か哀しむような、そんな視線を 格子窓から覗く空へと向ける。
「わたしはね、ぺらぺらな薄い服を着て。
 いつも裸足で駆け回って。
 僅かな獣の肉を食らい、薄い粥を毎日啜ってた。
 ところがそんな貧乏な子どもを、先代の王の血を微かに 引くというだけで・・・おまえはわたしをこの岩の宮殿へ連れてきた」
「・・・はい、そうです」
「おまえも、比古も、わたしを守ると誓った。
 まだあの頃修行中だった剣心も、龍となった暁には 一番近くでわたしを守ると・・・約束した」

薫の視線の先は。
遠い、遠い、過去だった。
剣心と薫はじゃれ合う子ども同士で。
蒼紫と比古は、その保護者だった。
そのまま、時は平穏に過ぎてゆくはずだった。

「あの女・・・!!」
箍(たが)が外れたかのように低く唸ると、 薫はくしゃりと己の前髪を握り締めた。
「『沙』が態度を豹変させて、この郷(さと)へ攻めてこなければ。
 いいえ、あの女と剣心が出逢わなければ・・・っ」
小刻みに震える肩を、蒼紫はひたすら見てゆくしかできない。
秀麗なその容貌に、暗い影を落として。
ただ、その傍で侍(はべ)るだけだ。
    やがてぴたりと震えを止めると。
薫は疲れたように、椅子に身体をぐったりと預けた。
「今更思い返しても詮無いことよね。
 わたしはこの郷を、民を守ることを考えなければ」
疲れたように呟く薫に、蒼紫は恭しく礼をする。

なんと重きものを。
自分はこの少女に背負わせたのか。

その哀れみが、宰相としての蒼紫の判断をこれまで 幾つか狂わせてきた事実は否めない。
突然攻めてきた『沙』を一時撤退させた時。
その追討を剣心に任せた。
そして剣心は巴皇女と出逢い、ふたりはそれぞれの故郷を捨てて。
共に逃亡した。
初めてその報を知った時。
誰もが驚き、嘆いた。
守護の双璧のひとりが、何故、と。
薫は激昂し、剣心を殺せと叫び。
蒼紫は比古を差し向けた。
だが。

(比古に、剣心は討てない。
 それを理解していて、わたしは)

少女の本音は、是が非でも剣心を“生きて”取り戻すことだった。
蒼紫も比古も、そのことをよくわかっていた。
蒼紫は下手をすれば両方の“龍”を失う可能性を知りつつ、 比古に命じたのだ。
剣心を追え、と。
・・・薫姫のために。



そして今や。
龍の郷は、強き守護を失い。
風前の灯火と化していた。
[Next] [るろ剣 Index]