びくん。

指先が痙攣した。
それが意識の覚醒をもたらす。
途端にどくどくと身体中のあちこちから痛みが沸き起こり。
己の背に当たる褥(しとね)らしきものの柔らかさや、 暖かさにも気づいた。

(・・・生きてる)

ゆるゆると重い目蓋をあげれば。
ぼんやりと黒髪の少女が視界に映る。

「あ、やっと気づいた」
少女は長いお下げを揺らして嬉しそうに笑った。
屈託のない、子どもらしい笑顔だ。
彼女は「あんまり動かないから死んじゃうかと思ったー」などと 口にしながら、ひんやりとした布で彼の額の汗を拭う。
「あ、えーと、もう喋れる?
 なまえ、なんて云うの?」
にこにこと上機嫌に話しながら「ん?」と少女は顔を近づけた。
乾いた唇を動かそうとすれば、ぴり、と口端が痛んだが、 かまわず掠れた声を出す。
「剣心、だ・・・」
少女はその丸い瞳をさらに大きくして。
ぱああ、と顔を輝かせて頷く。
「けん、しん。
 ・・・剣心ね!
 わたしは、み・さ・お。
 操っていうの、よろしく!」
剣心は僅かに身動ぎながら、また口を開いた。
「こ、こは・・・どこだ?
 俺ひとりだけ、なのか?」
操はやや困ったように眉間に皺を寄せると、小さく首を横に振る。
「ごめんね、わたし詳しくは何にも知らないの。
 ただあなたを看病してるだけで。
 あ、あなたを見つけてここに連れてきた子なら何か知ってるかも」
「ど・・・こに、居る?」
吐いた息が熱い。
まだ熱が高いのだろう。
操もそれに気づいているようで、どうしようか、と思案顔だ。
「あなたの薬を取りに行ってるだけだから、すぐ帰ってくるとは 思うんだけど・・・」
その時、ばさりと御簾を上げるような音がした。
操があ、と小さく声を漏らす。
無遠慮な足音が近づいて。
無愛想な声が落ちた。

「へえ、もう気が付いたのか」

剣心はとっさに身体を起こそうとして、奔る激痛に 目を眇める。
この声。
激流から辛うじて逃れ、河岸に這い上がった時に、聞いた。
あの、“子ども”の声だ。
「きみ、は・・・っ」
ぐらりと揺れる剣心の身体を慌てて操が支えた。
「急に動いちゃ駄目じゃないっ!」
寝かせようとする操の手を遮って、剣心は顔をその“子ども”の方へ 向ける。
がりがりと痩せた、白い髪の少年が。
右手に小さな袋を引っ掴んで、剣心を見下ろすように佇んでいた。
「きみは、あの時俺に声をかけた   ・・・」
少年は淡々とした、むしろ無表情と云える顔を剣心に向けたまま、 「そうだ」と答える。
崩れ落ちそうな身体を必死で左腕で支えながら、剣心は重ねて訊ねた。
「女性が、居なかったか?
 近くに多分・・・居たはずなんだ」
少年はふん、と鼻で微かに笑うと
「知らないな」
と素っ気なく。
ぽん、と操に薬袋を投げると踵を返した。
「あ、ちょっと!縁ったら!!」
縁、と呼ばれた少年は振り返りもせずにまた御簾を上げる。
   ・・・“白き龍”はおそらく死んだ。
 “最後の双龍”と呼ばれてたけど、 とうとう“龍”はあんただけになったようだね」
「・・・!」
剣心は立ち上がろうとして、上手くいかずにそのまま崩れる。
操が慌てて支えようとしたが間に合わなかった。
「まだムリだよ!お願いだからおとなしくしててっ!」
ぜぇぜぇと乱れる息の下で剣心は鮮明に思い出す。

あの少年は“俺”を知っている。
俺が、“紅き龍”だということを。
確かにあの時彼は。
俺をそう、呼んだのだから・・・・・・





吹き付ける風には、必ずざりざりと砂が混じっていた。
固い大地。
耕作すらろくに行えない。
そびえる巨大な岩。
形を利用したり、くり抜いたりして、居住する。
装飾は味気なく、思ったような部屋にすることすら困難だ。
こんなろくでもない辺境に追い込まれても。
先祖達は『沙(すな)』と対立するよりもまず一族で生き抜くことを優先した。
少なくとも。
“龍”と呼ばれる希有な能力を持つ者が生まれる限り、 物量では圧倒的に劣るとも、五分の戦(いくさ)が出来るはず、だった。



「ふう」
薫は溜め息をひとつ吐いて。
ぼんやりと高台から下の邑(むら)を見遣る。
が、背後から近づく足音に気怠そうに振り向いた。
「蒼紫」
淡紅色の唇が、この巨大な岩壁と一体化している宮殿で宰相を 称する男の名を呼ぶ。
蒼紫は両腕を組み、深く一礼するとその冴えた双眸を この『龍の郷』に君臨する、少女へ向けた。
「・・・剣心は見つかりそう?」
あまり期待をしていない声音で問うと、蒼紫は再度深く礼して 「わかりませぬ」と答える。
「幾人かで捜索しておりますが、河川沿いには見あたらず、 範囲を広げております」
「そう。
 でもちゃんと生きてはいるようね」
「はい」
薫は苛々と爪を噛むと、またひとつ訊く。
「・・・・・・あの女は?」
「巴皇女、ですか」
「そう、よ」
蒼紫は視線を落とし、僅かに逡巡したようではあったが、 それを気づかせぬ態度で、粛々と告げた。
「近距離で“龍”同士の戦いが始まったのです。
 精神にかなりの負担を受けたと思われます。
 ・・・まだお目覚めにはなりませぬ」
「“龍”とは優れた身体能力を持つが、しかし特筆すべきは その精神感応能力である・・・そうわたしに教えたのはおまえだったな」
「はっ」
「攻撃の対象に幻覚や幻痛を与えて大いに怯ませ。
 そうして戦いを切り開く      
「・・・」
「そんなものを間近で繰り広げられれば、かなりキちゃうかも、ね」
くすくす、と薫は笑って。
さらりと薄衣(うすぎぬ)を翻すと、つかつかと奥へ歩いた。
「巴皇女が意識を取り戻したらすぐに伝えよ」
「はっ」
「それから」
ひた、と薫は足を止める。
「・・・比古の遺体は手厚く葬れ。
 わたしの、無理をきいてもらったのだから」
   ・・・はっ!」

かつん

薫は再び沓音を鳴らした。
精一杯の虚勢が、ぼろぼろと剥がれ落ちていくかのように 肩が小刻みに震え出す。

(知っていた)
(比古は、解っていた)
(わたしが)
(何よりも誰よりも、剣心を必要としていたことを)

かつん、かつん、かつん、かつん。
音は速くなってゆく。

(比古は)
(全力を出さなかった)
(わたしが)

彼を、死に追いやった         





蒼紫は。
郷の全てを背負う、小さな背中を。
ただ黙して、見送った。
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