めずらしく飯塚と村の外で落ち合うことになった。
買い足したい物も幾つかあったので、巴と一緒に村を出る。
人通りの多い賑やかな界隈は、普段ふたりの住んでいる村とは 雰囲気が全くかけ離れていて。
元々江戸で育った巴は、どこか嬉しそうだった。

「この辺りで用を済ませておいてくれ。
 問屋に薬草を買い取ってもらって、後は飯塚さんと 簡単な連絡だけだから、一刻程ですぐに戻ってくる」
剣心は背に担いだ籠を一度揺すって、彼女へ笑いかける。
「はい、いってらっしゃいまし」
巴も小さく笑みを浮かべて頷いた。
欠けた茶碗とか、もうひとつ手頃な鍋も欲しいところだ。
ついでに髪飾りでも眺めていればあっという間に時は経つだろう。
やはり活気のある町は彼女の育った地を連想させて、 居心地がいい。
剣心はこの界隈からあまり外れた場所へ行かないように念を押して、 巴と別れた。
彼女は幼い子どもではなく、ましてや剣心より三つほども年かさなのだから、 まるで言い含めるようにそんなことをするのは可笑しな気はするが、 どこかでいつも剣心は心配している。

巴が、自分の手の届かない処へいってしまうことを。

それが執着であることに剣心は気付いていなかった。
これまで己の命さえ軽んじる傾向のあった少年が。
初めて手にした大切なもの重みを。
―――まだ気付く由がない。





「どうだい?うまくやってるかい?」
にやにや笑いながら飯塚が訊いてきた。
「・・・大丈夫です、ちゃんと暮らしてますよ」
素っ気なく答えると飯塚は細い目を丸くして、溜め息を吐く。
「いや、そんな意味じゃなくてなあ・・・」
飯塚は橋の欄干にもたれたまま、ぽん、とキセルをはたいた。
「俺、なにかへんなこと云いましたか?」
「ったく、面白みがねえなあ、相変わらず」
剣心は困ったような顔をして飯塚を見遣る。
飯塚はやはりへらへら笑いながら
「こんな朴念仁に嫁ぐ女が居たってことが奇跡だな」
そう云いながら背伸びをした。
剣心はまだ困ったように口元をへの字に結んでいる。
気にすることもなく飯塚は続けた。
「桂さんからはなしのつぶて。
 京は荒れ放題。
 お前をからかうくらいしか面白いことがねえ」
「・・・飯塚さん」
年上には元来敬意を払う剣心であったが、さすがに眉間に皺を寄せて 飯塚へ苦情を云わんばかりの顔を向けた。
そうして、ははは、と笑いながら剣心へ振り返った飯塚の仕草が。
一瞬凍り付く。

「ちっ、変なのに真っ昼間から出くわしちまったな」
毒突く飯塚の視線の先を、剣心も見た。
紺がすりの女が。
ふらふらと歩いている。
「・・・お知り合いですか?」
深く剣心が考えずに問うと、飯塚はぶるぶると首を振った。
「冗談はやめなって。
 この辺りじゃ有名な狂女だよ」
「え?」
「あの女の夫は確か京で斬られたんだ。 どうやら男の家族の反対を押し切って所帯を持ったみてえでな、
 その肝心な男が死んじまったもんだからたまらねえ。
 女はたったひとりの子どもと引き離されて、そのまま実家へ 帰されちまったってわけさ。
 で、後はご覧の通り」
飯塚は何の感慨もなく淡々と説明してゆく。
剣心は憂鬱げに眉を顰めた。
「あの女性(にょしょう)にはなんの罪もないのに・・・気の毒ですね」
飯塚は目を眇めて剣心を見遣った。
その薄い唇に、侮蔑に似た笑いが微かに浮かぶ。
女の姿はやがて垣根を隔てて小さくなってゆく。
剣心は見送るように、その背をぼんやりと眺めていた。





一通り物色を済ませた頃、巴は周囲がざわめくことに気付いた。
手に取った小さな簪(かんざし)もそのままに、思わず振り返る。
人混みの向こうに違和感のある人影が在った。
「おんな・・・?」
すらりと痩せ細った、どちらかと云えば巴と同じく背の高い女性がよろりよろりと 数間ほど離れた通りを歩いている。
薄汚れた紺がすり。
擦り切れたわらじ。
ばさばさと乱れた黒髪を無造作にひとつに束ね。
―――道を、往く。

「ああ、またあいつか」
道端で簪や櫛を広げて売っていた老人が呟いた。
「あれは・・・?」
何気なく巴が訊ねると老人は禿げた頭を軽く振る。
「この近くの長屋に居る女だよ。
 気狂いだ。
 朝な夕な家族の目を盗むようにしちゃうろつくんだ。
 まあ、可哀想な女なんだけどねえ」

女の周りは自然人が避けて細い道が出来る。
無論その事を気に掛けることもなく女はただ歩く。
焦点の合わない瞳で、かさかさに乾いた唇を細かく震わせながら・・・彷徨う。
「おお、居た居た!」
年老いた男が慣れたように周囲にぺこりぺこりと頭を下げながら、女に近づいた。
やがて細くて色の悪い女の腕を掴むと、 何事か呟き、その骨張った肩を抱く。
しかし女はそれすら気が付きもしないようだ。
ただ男に手を引かれるまま、よたよたと元来た道を帰ってゆく。
そのどんよりとした瞳は。
遠い何処かを見つめたまま。

「あの方は彼女の親御さんでしょうか?」
巴は何故か気に掛かって簪売りの老人に訊ねた。
老人は心根が優しいのだろう、気の毒げに顔を顰める。
「あの娘の父親(てておや)さね。
 あれも昔は器量よしでねえ、まあ、いろいろ恋の鞘当てもあったくらいで」
老人はほう、と息を吐き出した。
紺がすりの女がまだ少女の頃は、よくこの老人の簪を買ってくれたものだったのに。
「・・・身分は低いけれど誠実そうなお武家さんへ嫁いでね、子宝 にも恵まれて、だけどなあ・・・」
老人は目をしおしおとさせて、巴を見上げた。
云うべきかどうか迷うように。
「あんたはまだ若いし、綺麗だし、こんなこと聞きたいかい?」
「こんなこと?」
「―――ああ、止そう、止そう、この話は止めだ。
 聞いたって気分が悪くなるだけだし」
しわしわで静脈の浮き出た手の甲を、巴に向けて振る老人にこれ以上訊くのも憚られて、 巴も仕方なくそのまま口を噤む。

それでも何故か。
何かを求めるような眼(まなこ)をした女が、気に掛かって仕方がなかった。
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