にっこりと女は笑うと、またぱしゃぱしゃと水を踏む。
なんと言い返してよいのか解らずに、 剣心はただ呆然とそれを見ているしかない。

女は幾度か、きょときょとと辺りを見渡し。
また水面に向かって足を振り下ろす。
(宝探し・・・赤子を探してるのか?)
漸く固まっていた口を剣心が動かし「あなた、は」と 云いかけた時。
「居ない!」
女が驚くほど甲高い声で叫んだ。
「・・・ない、ない・・・居ない。
 どこにも、居ない。
 ねえ、“やや”が流れたの、探さないと。
 見つけたらきっときっとあの人も帰ってくる」

ばん、ばん、ばん

弾き飛ぶ水音が荒く、忙しく、不規則になってゆく。
まるで己が何かに追い立てられるかのような錯覚さえ、剣心はした。
「居ない、いない、いない。
 いないよぉ、見つからないよぉ・・・」

ばしゃん

両足で思い切り跳ねて。
その高く上がった水飛沫が、ぱらぱらと女自身に降り注ぐ。
手入れを怠った髪も、だらしない襟元も、がりがりと痩せ細った腕も。
濡れそぼって、ぽたぽたと幾つもの水滴を零してゆく。

剣心はざぶりと川に足を踏み入れると、大股で女に近づき。
やや手荒に女の右腕を掴んで引いた。
「・・・まだ汗ばむ季節とはいえ、夜中にこんなに濡れたら風邪を引きますよ」
しかし女の瞳には、剣心の姿はまるで映っていないかのようだ。
川下の方へ必死に頭(こうべ)を巡らし「いない、いない」と呟き続ける。
剣心は仕方なく、優しい声音で会話を試みた。

「誰を、探してるの?」
「“やや”・・・流れたの」
「子どもは、ちゃんと父親との元で暮らしてるんだろう?」
「流れたの、稚児(ややこ)・・・抱いて、やれなかった。
 泣いてるもの、抱っこ、してあげないと・・・泣いてる」
「それ・・・はどういう―――」

飯塚から聞いていた話とは、少しずれている。
剣心は狼狽えた。
女にはもうひとり、引き離された子どもの他に 『赤子』が存在していたのだろうか?
『抱いてやれなかった赤子』が。

だがその真相を本人から聞ける訳もなく。
剣心は彼女が川の深みへ行かないように、 腕を押さえるばかりだった。







宿屋の女将は新しい茶葉を淹れてくるといって厨房へ下りていった。
巴は所在無さげにまた外を眺める。
「・・・まだ、見つからないのかしら」
巴の身体の何処かで。
何かの警鐘が鳴り続ける。
(早く、早く、帰ってきて)
祈るように両指を組み合わせた時。
巴は灯りの殆どない夜道に、ひとつの人影が在ることに気付いた。
見覚えがあるような、その輪郭。
眉根を寄せて思い出そうとしていると、その影がすい、と右腕を挙げる。
途端巴はその所作が誰のものか思い当たり、大きく目を瞠った。
次の瞬間には身を翻して階段を駆け下りる。
幸いなことに誰にも見咎められず、巴は宿の脇の小道に通り出た。

はあはあと少し肩を揺らしながら。
それでも巴は冷静を装って、『影』に訊く。
「―――何かご用ですか、飯塚さん」

『影』は半歩ほど巴に近づいた。
宿から漏れる燈火が、彼の顔を半分ほど闇から浮かび上がらせる。
貧相に痩せた、それでいて余裕綽々の薄笑いを常に貼り付けた、顔を。

「嬉しいねぇ、すぐに俺だって判ってくれるたぁ」
「・・・あなたの所作は独特ですから」
極めて感情を押し殺した声で、巴は答えた。
「いやあ、俺のことをよく見てくれてて嬉しいなあ」
薄ら笑い続けながら飯塚はぽりぽりと頭を掻く。
二の腕あたりに、ざわりとした鳥肌を覚えながら、巴は軽く唇を噛んだ。
彼に対して持ち続けている苦手意識は、どうにも上手く制御出来ないものらしい。
「それで、緋村に何かご用でしたか?」
低くなりがちな声を、懸命に抑えながら。
巴は飯塚に訊ねた。
飯塚は我が意を得たり、の表情(かお)をして両手を広げてみせる。
「さっきちょいと臨時収入があったんで、 酒でも呑もうかと思ったんだが・・・」
「ほんとにお金を巻き上げたんですか?」
「へ?」
「い、いえ―――何でもありません。
 生憎ですが、今緋村は・・・」
「知ってるよ」

飯塚が不意に薄笑いを消して。
その細い目をさらに、細めた。
「え・・・?」
「知ってるって云ったんだよ、巴ちゃん」

そういえば剣心は『狂女』の話を飯塚から聞かされた、と話していた。
飯塚の唐突な変容に戸惑いながら、巴はその事を思い出したが、 腑に落ちない点がひとつある。
(緋村が『狂女』を探していると知っているなら、どうしてわざわざ)

―――飯塚は此処に来たのか。

まさか狂女の捜索を手伝うつもりでもあるまいに。
じっと彼を凝視しながら。
巴はめまぐるしく思考する。
しかし飯塚は予想を遙かに上回る発言で、 巴を驚愕させることに成功した。

「これでも何回かはあいつの殺しの検分をやったんだよ、巴ちゃん。
 殺された人間の家族の塩梅(あんばい)とか、 いろいろ情報として持ってることもあるんだぜ?」








剣心は両腕で彼女を引き摺るようにして川を上がった。
ふたりとも疾うにずぶ濡れで、まだ生温いはずの夜風にさえ、 微かに身震いがする。
女は歯の根が合わないのに、まだ川面に視線を送り「ややが、ややが」と 呟き繰り返し続けていた。

「居ない、から」
あやそうとして、剣心が発した声は。
何故か湿り気を帯びて震えていた。
剣心はそのことに驚きながら、 自分が泣きたいような気持ちになっていることに気付く。
(なんで、こんな)

女が哀れだからか。
女が狂っているからか。
女が、こうなってしまった『出来事』が辛すぎるからか。

女を掴んでいる指先に、我知らず力が入る。
頼むから、頼むから。
「こんなところに、稚児(ややこ)は居ないから・・・」



在るはずのないものを、探すのはやめてくれ――――――















「どういう、ことなのですか・・・・・・?」

低く掠れた、声で。
巴が訊いた。

さっき、飯塚はなんと云った?
殺しの検分?
誰の?
家族?
殺された、人間の家族?

「どう・・・して。
 何故、あなたは・・・“此処”に・・・」



どうして。
そんな、話をするの
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