感情を表すことが、下手な自分は。
その人を幸せに出来るのだろうかと考えた。
彼は大概優しく笑って「大丈夫」と言ってくれたけれど。

一度、本気で怒鳴られた事がある。
「僕がそうしたいと思ったんだ。
 君は、どうしてそこまで思い悩む!?
 ちゃんと、僕が幸せにするんだから」
滅多に声を荒げない彼の一喝に、わたしは縮み上がって。
彼はすぐにそれに気付いて、ごめんとわたしの頭を撫でた。

―――そうなのだ。
もっと自分に自信を持たないと。
彼に失礼だ。
わたしを選んでくれた・・・大切な幼馴染みに。

父にそのことを少し相談した時、父は普段通りに優しく微笑みながら。
けれど瞳を淋しそうに伏せた。
「・・・まだお前達にはわからないのかもしれんが。
 『自分』が『相手』を幸せにしてやろう、なんて気負っていたら・・・いろいろうまくいかないものなんだよ。
 大切にしたいならば、まず相手の気持ちを考えねばならん。
 いとも簡単に相手の為だからと、先走ってはいかん。
 ・・・『ずれて』しまうからな。
 わたしはそこが少々不安なんだよ。
 ―――お前達にはほんとに幸せになってもらいたいからな」



確かに。
わたしは。
わたし達は、解っていなかった。

・・・わたしには。
最期まで、わからなかった。







「明良・・・、あきら、あきらああああ!!!」
突然の悲報は、清里の家を滅茶苦茶にした。
彼の母は、清里家を継ぐ兄よりも彼のことを溺愛していた。
彼女は髪を振り乱してわたしの家へ押し掛け、息子を返せと喚き散らし。
父はわたしのせいではないと彼女を諭す。
狂乱状態の、彼女が。
それを理解するはずもなく。
返せ、返せ、お前のせいだと。
いつまでもいつまでも責めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
壊れたからくりのように、同じ台詞を繰り返し。
震え続けるわたしの身体を、小さな弟が抱き締める。

あの人が斬り殺された、と第一報を耳にして。
信じられずに茫然と・・・ただ立ち尽くしただけだった。
驚きと絶望が、哀しみへと形を変える前に。
彼の母親は声が掠れても、わたしを詰り続ける。

お前があのこを京都へ追いやったのだ。
お前があのこを殺したのだ。
こんな貧乏で甲斐性もない武士の家の娘が。
あのこに相応しいわけなどなかった。
あのこは、笑って旅立ったのだ。
春には祝言をあげると笑って。
なのに、なのに。
帰らない、返らない。
永久に、あの優しいこは。



「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
涙は、流れなかった。
その代わり、わたしを形成する感情の殆どは、 凍り付いてみしみしと細かなヒビを刻み続ける。

行かないで、と強く彼を押し止めておけば。
貴方が、わたしの傍にあるだけで、 それ以上の幸せはないのだと、叫んでいれば。

それなのに。

次男としての、冴えない風評を覆したい。
そんな彼の野心にも気付いていたから・・・どこかで遠慮した。
一旗揚げる、と意気揚々と笑ったあの人に・・・遠慮した。
あの人の為に。
そう―――考え。

「あ・・・ああ・・・っ」
がりがりと頭を掻きむしった。
幾本髪が抜け落ちても、痛みは感じない。

壊れる。
なにもかもが・・・壊れた。



わたしを慰める父の言葉に、耳も傾けず。
頼り無げにわたしに付いて回る弟に優しい言葉もかけず。
何も言わないまま。
わたしは家を出て。
京へ向かった―――――――――













「・・・ああ、この香り・・・香油だね」
「ちょっときついですか?」
「全然。
 あれ、もしかしておばさんが付けてたのと同じ?」
「そう・・・です、よくご存じでしたね」
「ちっちゃな頃からの付き合いだから。
 巴ちゃんとは」
「・・・・・・」
「おばさんに、よく似合ってた香りだった。
 巴ちゃんも、もうこれが似合う年頃になったんだ・・・」
「あ、あの」
「なに?」
「・・・好きですか、この匂い」
「僕は」

君が好きだから。
君に似合う香りは、好き。








甘酸っぱい花の香りだった。
『白梅香』というのだと、亡き母から教えてもらった。
長い髪を、櫛で梳くたびにふわふわと漂った。

桜より、梅の花が好きだと言ってくれた。
目を閉じていても、その存在が解るからと。
昔の人は、桜より梅を愛でていたと。
だから。
梅の咲く季節に、君を幸せにすると言った。

雪が溶けるか溶けないかの・・・季節に。
その香がかぎろう、季節に。



春が来たら。
春が来たら。



そうして。

わたしの元にはけして来ない春を。



待ち続ける。
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