俺は、壊れているのかも知れない。 いつも纏わり付くのは、錆びた鉄のような臭い。 いつも視界に薄く膜を張るのは、どろりとした深紅。 風の中に紛れる湿った雨の匂いも、 季節に合わせて色を変える落葉樹の葉も、 確かに認識できているのに。 気が付けば、血の臭いとその色しか残らない。 酒を口にしても独特の麹の香りとか、まろりとした舌触りとか。 それらは自分という膜を通せば。 ―――べたべたした血糊でしかなくなる。 「あなたは、本当に血の雨を降らすのですね・・・」 そうだよ。 降らして。 浴びて。 まみれて。 同化した。 だから。 白梅香を嗅ぎ分けられたなんて、衝撃だったよ。 血の臭いしか嗅げなかった俺が。 返り血を浴びた君から、甘酸っぱい花の香を探し当てたなんて。 壊れた俺を、組み立て直したのは・・・君。 修復されて、漸く気付いた・・・罪。 生半可な考えで、数多(あまた)の人を斬り。 その事に迷って、疎んで、挙げ句の果てに己の感情を封じて、 ―――また、斬った。 そんな人間に殺された人々は、なんて悲惨なのだろう。 俺みたいな人間に、生命を奪われた彼らがあまりにも痛ましい。 そんな血の檻から俺を解き放ったは君で。 そして同時に、 君が俺の過ちを露わにする。 それでも君と居たかった。 君と居て幸福だった。 君が突き付ける俺の過ちに、苛まれながら。 君が晒した本当の自分に、嫌悪しながら。 君を愛して。 ―――それは、俺のどろりとした全ての負を、凌駕して。 俺を幸せにした。
「そういえば、つけないんだな」
目蓋を伏せた君の、その傷みに気付かなかった。「何を、ですか?」 「香油」 「・・・すずしろを抜くのに、髪油は必要ないかと」 「え?ああ、そうだ、な」 「どうしてですか?」 「特別、だから」 「?」 「君の香りだから、特別なんだ」 「それは、嬉しく思っていいのですか?」 「―――うん」 俺を甘やかし、俺を責める、特別な。 「―――母が、好んでつけていたんです」 君から、教えてもらった罪(ほんとう)に気付いた俺は。 君の真実(ほんとう)に気づけなかった。 君こそが。 まさしく俺を断罪できる、者。 断罪者の君を喪えば。 俺は迷走するしか、なかったんだ。 けれどあの当時と違うのは。 自分を見失わず、ごまかさず。 直視し出来るということ。 君のことを思い返す度、俺は愚かで浅ましい自身を、眼前に映し出し続ける。 君のことはけして忘れることはないから。 自分の罪も忘れることはない。 「ごめん・・・ごめん・・・と、もえ・・・・・・」 そうすることでしか、 己の闇を繋ぎ止める事の出来ない俺を許して。 君を利用しないと、 『殺さず』の逆刃刀を振るい続けられない俺を許して。 年月が、忘却を強大にする。 俺を頼り俺に感謝して、俺を好きだと言ってくれる優しい人々が。 俺の罪を、俺の中で、薄っぺらくしてしまう。 君の記憶を、俺の懺悔の楔にしてしまうことを、君が是とするはずはないのに。 「ごめん・・・ごめんな」 他の誰にも赦されない俺を。 君だけは、許して。 凍えた空気が、温み。 刺すような川の水が、さらさらと膚に触れ。 色彩豊かな花と緑と。 唄う小鳥たちと忙しく動く虫たちと。 春が来たら。 君とその大いなる息吹の中を歩きたかった。 君の纏う白梅香だけが。 俺と君との、春だった。 訪れることのない、ふたりの、季節。 |