ようやく、夏の陽射しがやわらぎ。
汗がべとつく不快感も減ってきた。
「ああ、まったくもう!」
ざかざかとやや乱暴に竹箒で家の前を掃きながら。
娘はぼやき続ける。
「ごろごろしてたと思ったら、また留守にして。
 帰ってきたと思ったら、あちこちウロウロしまくって!
 探偵だかなんだか知らないけど、ちゃんと儲かってる風もなし。
 ・・・ああ!まったくもう!」

ざかざか、ざかざか

いつしか砂埃がもうもうと立ち込め始めた。
そこへ、ひとりの中年の女性が通りがかったかと思うと、いきなりよろめいて倒れ込む。
「あ!」
びっくりして娘が駆け寄ると、女は酷く辛そうな顔をした。
「だ、大丈夫ですか?」

おきゃんだが人の好い娘は、女がゆっくりと立ち上がるのを介助した。
「・・・ご親切にどうも」
「何云ってるんですか、気になさらないでくださいね」
「ああ、本当に可愛らしくて良い娘さんですね」
柄にもなく娘は照れて顔を赤くしたが、それでもまだふらつく女性の肩を抱いて支え続ける。
「あの、この辺りに何かご用ですか?」
女は頬にほつれた髪を撫でつけて、笑った。
「ちょっと不思議な探偵さんがこの界隈にいらっしゃると聞きまして」
娘はややきょとん、として。
やがてうーん、と呻りだした。
「・・・その探偵ってうちに下宿してる人のことかも・・・?」
「ほ、本当ですか!?」
「はい、まあ、お役に立ってるかどうかわかんないですが。
 それに今は留守ですよ。
 いつ帰るのかも見当がつかないし」
「・・・そうですか」
女はやんわりと己を支える娘の手を外した。
そしてゆっくりと頭を下げながら
「それでは致し方ございません。
 お帰りになられましたら『西行路』が来た、とお伝え下さい」
「サイギョウジさん?
 はい、わかりました」

女は最後にまた一礼すると、ゆるゆると歩き出した。
娘はその疲れたような背を見送りながら。
あんな自堕落な探偵にも依頼人があるのかと、あきれるばかりだった。





ちりん ちりん ちりん

風鈴売りが通り過ぎる。
リヤカーの荷台に組まれた木枠から、色とりどりの風鈴が。
真っ赤な夕陽に、照り光る。

気怠げに上着を肩に掛け。
魔実也が煙草を吹かしながら、長屋の並ぶ狭い通りを来る。
「あ!」
下宿先の大家の娘が、目敏く彼を土間から発見して声を上げた。
「よぉ」
「・・・この風来坊っ!どこをほっつき歩いてるのさ!」
にやりと笑いながら、魔実也はくきっと肩を鳴らした。
「これでもいろいろ働いてる」
「なに云ってるの。
 せっかくあんたには稀だろう、お客さんがお昼に来てたのに!」
腰に両手を当てて。
娘は仁王立ちだ。
魔実也は心外そうにやや目を見開いた。
「客・・・本当に珍しいな」
「ちょっと、肯定しないでよ」
娘はあきれたように溜め息を吐いた。
「どんな客だ?」
「そうねえ、女の人・・・ちょっと疲れたような」
ゆらゆらと紫煙が細く長くたなびく。
「女・・・」
「白髪まじりだったわ、見た目よりお年なのかしら?
 そうそう、名前なんて云ったかしら?
 さ、さ、さいぎょう・・・」
魔実也の左眉が大きく跳ね上がった。
「西行路か!?」
娘はぽん、と手のひらを叩くと大きく頷く。
「そう、それよ。
 それほど急用って感じもしなかったけれど・・・」
「“触れた”のか?その女性に?」
自分の話を聞かずに、突拍子もない事を訊ねる男に。
娘は面食らいながらも「え、ええ」と頷く。
魔実也は、娘が見たこともないほどの、不機嫌さを露わにしていた。
彼の視線は娘を通り越し、まるでこの界隈を全て探るように動く。
「ど、どうしたの・・・?」
いささか不安になって訊ねても、その問いに対する返答はない。
代わりにぶっきらぼうに「今日は大人しく家にいろ」と云い捨てて、またくるりと背を見せた。
「あ!ねえ、何だって云うの!?
 ねえったら!」

みるみる魔実也の背中が小さくなって。
娘は溜め息と共に、部屋へ上がる。
どうしようもない男だ、と日頃悪態を吐きながらも。
その実、彼に対して己がどれ程殊勝であるか、ということに彼女は気付いていなかった。





――――――那由子!!

「はっ!」
漆黒の闇をつんざくかのような呼びかけに、那由子は思わず声を上げた。
ざざっと縁側へ走り、雨戸を開く。
中庭に整然と植えられた木々が、静かに彼女を出迎える。
ころ、ころ、ころ、と鳴く虫と、幽かな葉擦れの音。
そして。
音もなく縁石にわだかまる・・・影。
那由子はすい、と双眸を細めた。
ぼんやりとした黒い“それ”は小さな鳥だ。
夜目が利かないのにこの闇の中を飛んできたせいか、あちこちに傷をつくているようだ。

「・・・お前が呼んだの?わたしを?」
真っ黒な眼を、鳥は向けた。
那由子はさらりと黒髪を揺らして。
やや固い声で問いかけた。
「・・・魔実也、さん?」

ばさ

鳥が羽ばたき、彼女の肩へ留まる。
「―――待って、刀自に見つかる」
那由子は足袋のまま庭へ下り、裏木戸から屋敷を抜け出した。
半月に、ぼんやりとした暈(かさ)が眼に映る。
まるで猫のようなしなやかさで、那由子は小径を走り抜ける。
小さな鳥は、ただじっとその肩に爪をくい込ませるだけだ。

「・・・このぐらい離れればいいわ」
吐息と共に呟かれた言葉に。
鳥がくるる、と喉を鳴らした。
“じゃじゃ馬健在だな”
「人を呼びつけておいて、その科白なの?」
“勝手に呼びつけたのはお互い様だろう”
那由子は真っ黒でつぶらな鳥の眼を見遣った。
「・・・容姿とはえらく違うのね、口の利き方が」

ばささ

小鳥は軽く羽ばたき、彼女の肩から顔の正面へと移動した。
“使えそうなのがコレしかなくてな”
「―――西行路暁彦、が関係してるの?」
“こちらの存在を、気付かれた”

那由子の唇が、信じられない、と云った言葉をかろうじて呑み込んだ。
「あなたと、わたしを?」
“・・・いや、おそらく僕に関することだけだろう。
 僕の下宿先に、西行路に仕える女が姿を現した”
「それで?」
“僕は会っていないが、大家の娘に接触した。
 今のところはそのぐらいだが”
「・・・相手は随分と自信家なのね」
那由子は真っ赤な唇を歪めて笑った。
だがその瞳はまったく笑っていない。
くるる、と鳥がまた喉を鳴らす。
“先日、僕はヤツの親族に会った。
 それが原因だろう”
「それだけのことが、できるのね。
 困ったこと」
さらっと髪を掻き上げて、那由子が大きく息を吐いた。
「正直見くびったわ。
 相手がこっちへ目を向けるなんて・・・想定外よ」
“・・・おそらく、相手は再び接触してくるだろうな”
「どうするの?」
“僕ひとりでは少し荷が重い。
 頼めるか?”

つん、と唇を尖らせて那由子は不機嫌そうな表情(かお)をした。
「呆れた、依頼主に手伝えって云うの?」
“・・・確か元は夢幻家への依頼だろうが”
「あら・・・そうだったわね」

那由子は幾度か瞬きをして。
困ったように肩を竦めた。
「刀自への言い訳を考えておかないと」
“ずる賢いお前なら、うまくやれるだろう”

くぅくぅ、と愛らしく鳥は鳴く。
それが返って憎たらしい。
「・・・魔実也さん、俗っぽくなったわね・・・」
“それは誉め言葉として受け取っておく”
ふふ、とその夜初めて那由子は笑みを漏らす。

「お好きにどうぞ」
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