「はかどらないな」 癖のない真っ直ぐで細い赤茶けた髪を揺らして、彼は鼻を鳴らした。 「殺ってもすぐ別のヤツが台頭してくる。 邪魔者を消すのが手っ取り早いと踏んだんだけど。 頭の中だけで考えてちゃあ、駄目ってことかな?多恵?」 多恵はますます増えた白髪の混じった頭を、ゆっくりと傾げてみせた。 「さあ・・・多恵には難しいことは解りません、暁彦坊ちゃん」 少年は、蔑みを籠めた眼差しで、じろりと彼女を嘗め回し。 再び鼻を鳴らす。 「・・・かといって回りくどい手は苦手だ。 こいつらを生きて“見せかける”だけで疲れるしな」 少年は背後に立ち尽くして動かない二体に向けて、ひらひらと手を振った。 二体はやや猫背で、とろんとした瞳の、中年の男女だった。 瞬きもせず、鼓動もせず、息もなく。 まるで人形といっていいほどなのに、どこか人間の臭いが、する。 「僕はまだ子どもだから『親』は必要だ・・・世間的にな。 だからわざわざ屍体を腐らせずに使役してやってるんだ。 この僕が、こんなに苦労してるのに」 暁彦は立ち上がり、いきなり振り向くとそのひょろりとした右足で微動だにしない男の向こう脛を蹴った。 ぼくん、と奇妙な音がして。 奇妙な形に歪みながら。 屍体の男は崩れ落ちる。 それに巻き込まれるようにして、女の屍体もぐぼり、と崩れた。 「役立たずめ」 かつてそれらは、少年の親であった者たちだった。 「多恵」 少年は苛立ちを隠さずに、顔を歪めた。 「・・・お前がもう少し利口だったら苦労しないで済んだのに」 「坊ちゃん―――」 多恵は相変わらず揉み手をしながらおどおどと震えるばかりだ。 「見ろよ、これ」 皺だらけの新聞紙を投げつける。 多恵はそれを手に取らず、見つめるばかりだ。 「ああ、お前は字が読めないんだったな」 呆れたように肩を竦めて、暁彦は唇を歪め笑った。 「こいつ」 とん、と細く骨張った指が新聞紙の一部分を指す。 「・・・こいつ、大臣だってさ。 この『西行路』の献金を断った癖に・・・!!」 写りの悪い白黒の。 とある男の肖像写真を爪でえぐるように滑らせた。 「こいつのせいで、今までの苦労もおじゃんに近い。 さて、どうしようかな?ね、多恵?」 にたりと嗤う、その幼さの残る顔が。 白目の多い、大きな瞳が。 不気味で多恵は思わず胃を押さえた―――――― 多恵が西行路の家に奉公に来たのはまだ六つの頃だった。 多恵は貧乏な農家の生まれで、多くの兄や姉の末に産まれた彼女は、体よく口減らしされたのだ。 ここでの生活は確かに食べるには困ることはなかったが。 決して楽しいものではなかった。 むしろ。 辛酸を舐め尽くしたといっても、云い足りないほどだ。 胃痛を我慢しながら、多恵は暁彦の背を見遣った。 彼の成長だけが、彼女の楽しみだったのに。 結果は・・・・・・『これ』なのか。 始末の悪いことに、それでも多恵は暁彦に執着していた。 彼女が乳を与え、彼女がむつきをあて、彼女が背負い、彼女が・・・ 「多恵」 物思いをうち破るかのように、暁彦が呼ぶ。 「多恵、まだるこい事はもう止めにした。 変に考えるから駄目なんだよな。 世間体とか政治とか、僕には関係ないし。 金はあるし・・・“力”もある」 楽しいおもちゃを見つけたような顔で、暁彦はうきうきと喋る。 人脈や金脈の流れを読むんだと、下手な策を巡らし悦に入っていた少年が何を云うのだろう。 そう思っても多恵は彼を止めることが出来ない。 何故なら。 「殺したい時に殺せば、すっきりするかな」 ―――彼を止めることなど、出来はしないのだから。 西行路昌彦は、うだるような暑さの中で、黙々と畑を耕し続けた。 腰の動きや鍬の扱い方を見ても、彼が農作業に疎いことはすぐにわかる。 「・・・はーっ、はーっ」 カラカラに乾いた口腔から、ざらざらの息が漏れる。 潰れた手のひらのマメが痛くて、ちょっと涙目になっていた。 一息入れようと、どかりとその場に腰を下ろす。 煙草が欲しいと右手が胸元のポケットをまさぐるが、 そこには砂しか入っていなかった。 「・・・ああ・・・空しい・・・」 ぼんやりして遠く山脈の稜線を眺めていると、向こうからぼんやりと黒い影が近づいてくる。 空の青と、山の碧が広がる景色の中で、それは酷く目に付いた。 影はどんどん近づいて、終いには座り込んでいる昌彦の目の前まで来た。 黒いスーツをぴっちりと着こなした、細身で酷く色の白い青年だ。 真っ黒な切れ長の眼(まなこ)と、女性のように紅い唇が目立つ。 青年はその小綺麗な顔を少し動かして口を開いた。 「・・・やあ、探しましたよ」 昌彦は力無く微笑んで返した。 「わたしを、ですか?」 「ええ、西行路昌彦さんですね」 青年は黒い帽子を取って、軽く会釈した。 「夢幻魔実也、です。 実はお訊きしたことが少々あるのですが」 昌彦は僅かに右眉を上げ。 そして観念したように頷いた。 「・・・『西行路』から逃げたわたしから、『西行路』について何か知りたいのですか?」 魔実也は表情ひとつ変えずに「そうです」と素っ気なく肯定した。 「一番知りたいのは・・・あなたが何故『西行路』を捨てざるを得なかったか、ということなのですが」 「は、は、は」 昌彦は乾いた笑い声を立てた。 「捨てた・・・いや、“逃げた”とわたしは云ったはずです。 逃げていなければわたしはとうに死んでいることでしょう」 投げやりに言葉を紡ぐ昌彦は、それでも微かに右手を震わせていた。 逃げたはずの『今』でさえ、西行路を怖れているかのように。 「―――あなたにそれほどの確信を持たせるような少年ですか? 彼は」 昌彦はぴくりと頬を痙攣させた。 魔実也から逸らしていた視線を再び戻して。 ゆっくりと頷いた。 「どうやら君は『暁彦』を『知って』おられるようだ」 この暑さの中、魔実也の無表情な貌は妙に気味悪かったが、昌彦はのそりと立ち上がると木陰へと魔実也を誘(いざな)った。 木陰に入って、ようやく僅かでも躰を冷やした昌彦は、気持ちも落ち着いてきたのだろう。 持っていた水筒から一口水を飲むと、やや柔和な表情になる。 「・・・暁彦の父は、つまりわたしの叔父は確かに金に綺麗だとは云えませんでしたが、それでもちゃんとした“筋”みたなものは持っていたんですよ。 現在の『西行路』からは想像もつきませんけどね」 「いつから『西行路』は変わったのです?」 「わたしの知りうる限り、暁彦が中学を退学した時からです」 やや太い首を動かして、昌彦は鎖骨の汗を拭う。 それから立ったままの魔実也を徐に見上げた。 「暁彦は、不可解な子どもだった」 昌彦は遠くを見るような視線で、また中空の太陽へ目を眇めた。 「暁彦が生まれた時、殆ど産声を上げなかったそうです。 叔父はあの子が虚弱児ではないかと心配していました。 ・・・けれど現実はもっと深刻でした。 あれは、感情のない子どもだったのです」 「・・・“だった”?」 「そうですよ、尋常小学校に入るまでは、そうだったのです。 あの子は歩き、言葉を解し、喋ることが出来るようになっても一向に泣きも笑いも・・・怒りもしない、気味の悪い子どもでした。 あの子を赤子の頃から面倒見てきたのは多恵という地味な女でしたが、彼女の育て方が拙いせいだと叔父が多恵を殴るのは日常茶飯事でして」 昌彦は身内の恥を曝しているようで、居心地悪そうに腰を揺する。 魔実也はただ煙草に火を点し、ぷかりと紫煙を吐きだした。 「けれど、誰の目から見ても彼女が懸命に暁彦を育てているのがよくわかりましたから。 多恵は昔も・・・現在(いま)も暁彦の乳母なんですよ」 ごく。 また一口、昌彦は水を飲む。 長く語るには、時候はまだ暑すぎた。 「あの日のことは忘れられません。 ちょうどその頃、わたしと叔父は貿易事業を手掛けていました。 大きな商談が成功して、久方ぶりにあの『西行路』家へ赴き。 ・・・寮に居るはずの暁彦に、会いました」 |