切り抜きは真新しいものもあれば、黄ばんだものもあった。
いずれも死亡記事ばかりだ。
政界、財界、官界、法曹界、様々なポジションにある様々な世代の人間の『死亡記事』。

「・・・」
ちらりと目を通して、彼は頬杖をついたままやや上目遣いで少女に視線を移した。
彼女は眉ひとつ動かさずその鋭い眼光を受け流す。
再度魔実也は切り抜きへ目を落とした。
「事故死、もしくは病死。
 羨むほどの権力者や金持ち、ばかりだな」
「―――奇妙な共通点がひとつあるわ」

やはりそういう風に来るのか。
魔実也はこっそりと溜め息を吐く。
少女は気付いたが構わずに今度は別の小さな紙片を取り出した。
万年筆で走り書きされた数個の文字が、そこにあった。

『西行路暁彦』

「・・・サイギョウジ アキヒコ?」
「そうよ。
 この数年で頭角を現した財閥の御曹司。
 今十五かそこらの年齢のはずだわ」
それがなんだ、と口を開こうとして魔実也はその紙片から奇妙な感覚を覚えた。
細い人差し指をするりと文字面に這わせる。
「透視、で名を記したのか」
「ご名答」
少女は艶やかに微笑んで先程の切り抜きの一枚を抜き出した。
とある検察官夫妻の死亡事故の記事だ。
「この夫妻の死亡事故に居合わせた娘もその時重傷を負ったの。
 傷口から細菌感染して心の臓を侵されて、先週亡くなったわ。
 で、その娘はいくらか『力』を持っていて」
少女はするりと魔実也の手から『西行路暁彦』と書かれた紙片を奪い取り、彼の鼻先でひらひらさせる。
「・・・今際にこの名を書き留めた」
魔実也は気難しげに眉を顰めた。
この少女が関わって自分にプラスになった試しはない。
話の流れからしても、予想されることはただひとつ。

「仕事を依頼するわ、帝都の有名な探偵さん」

―――その予想した科白をきっぱりと突き付けられても、魔実也は微かに目蓋を動かしただけだった。

「度重なる各界の有力者の、死亡。
 手放された利権を必ず手中にしているのはこの西行路家よ。
 幾人かはそのことを不審に思って動いてはいたの。
 この遺言のような走り書きはまさに渡りに船、ってとこかしら」
背筋をぴんと伸ばし、なめらかに唇を動かし。
少女は魔実也から一瞬たりとも視線を外さない。
「・・・その依頼は夢幻家へ来たんじゃないのか?」
うんざりしたように、グラスの酒の残りを飲み干して、魔実也は深く椅子の背に凭れた。
「その通りよ」
少女は悪びれもせずに肯定した。
「けれども『夢幻』の力は魔や妖に対して行使される。
 今回のような『人間(ひと)』に対しては振るわない。
 それが刀自の意見だった。
 だから、わたしはあなたに依頼するの。
 ・・・『わたし』では動けないから」
無表情に、やや声音を低くして少女は呟くように云った。
ただその大きく真っ黒な瞳だけ、ゆらゆらと不安定に揺らめく。
「ではこの依頼、お前はあくまで『人間(ひと)』が殺人を繰り返していると読んでいるのか?」
魔実也が肘をテーブルにつき、ゆっくりと両指を組み。
その上に顎を載せた。
気怠げな仕草のはずであるのに、彼の纏う空気が、ぐんと温度を下げる。
ぞくぞくするわ。
・・・少女は胸の裡でこっそり笑った。
こんな風に、一体何人の女性を籠絡させたのかしら?
だが彼女は態度にはそんな意識を微塵も感じさせずに、挑戦的に微笑んだ。

「わたしを誰だと思っているの?
 “防人”となる者なのよ―――」

魔実也は降参、といった風に軽く両手を上げて見せた。
少女は上辺だけ感心したように見せても駄目よ、と笑う。
「わたしは、一番怖ろしいのは人間だと思ってるわ。
 しかもこの先、もっともっと手強くなる。
 ・・・この意見には、貴方も同意すると自惚れているのだけれど?」

魔実也は、大きく唇の端を吊り上げただけだった。
少女は裾も乱さずに、す、と腰を上げた。
「その顔、引き受けてくれるのね?」
魔実也の片眉が僅かに跳ねる。
「ああ、もちろん報酬は考えてあるわ」
「口達者なのも変わらないな。
 お前が“刀自”と呼ばれるほど長生きすると思うとぞっとする」
くくく、と少女は喉を鳴らした。
真っ黒な瞳が細められ、まるで優雅な黒猫のようだった。
「代々、夢幻の女は長生きだわ。
 しかも女系の一族。
 わたしは老女(とじ)になり、戸主(とじ)でもあり続けるでしょうね」
魔実也は椅子に腰深く座ったまま、視線だけを彼女へ向けた。
「・・・だから、わたしが生きている間は貴方を実質『夢幻』という家から解放してあげるわ。
 これが報酬よ」
「―――那由子」

魔実也はその日初めて彼女の名を呼んだ。
代々防人となるべき女が継ぎ続けている名を。

少女は名を呼ばれて、少し嬉しそうに笑った。
「嫌いでしょう、『夢幻』の家が。
 でもちゃんとその事を享受して、そしてちゃんと切り離して生きるあなたは結構好きだわ」
さらさらと、長い髪が流れる。
那由子は背を向けてゆっくりと歩き出した。
音も立てず。
気配もない。
特有の、歩き方。

「ふう―――やれやれ、だな」
その時魔実也達をテーブルへ案内した泣き黒子の女が慌ただしく近づいてきた。
「すみません、センセ。
 もうすぐ店が開き・・・」
彼女はそこまでしゃべって、ふと魔実也の連れが消えていることに気付いた。
「おや?いつの間に帰られたんで?」
魔実也は空になったグラスを軽く振りながら笑う。
「姐御の脇を通り抜けて出ていったぞ。
 気付かなかったか?」
女は目を見開く。
「いえ、全然気付きませんでしたよ。
 まるでセンセみたいな身のこなしだねえ」
「・・・仕事の依頼だ」
魔実也は帽子を取り立ち上がる。

「確かに、魅力的な報酬だしな」





リィー・・・ン
リーン

常人には聞こえない、不規則な風に揺れる風鈴のような音(ね)。
路を行く那由子に惹かれるようにして、集まってくる小さな妖し達。
高揚した精神や、火照った心臓を冷やしてゆくには丁度いい。
これはほんの戯れだけれど、代々現世(うつしよ)を護ってきた『夢幻』では否定される類の力だ。

「・・・はっ、バカらしいわ」

『夢幻』で在っても人で在るのならば、正負どちらの力を持ち合わせていたとしても、それは当たり前なのだ。
けれど現在(いま)の刀自は頑固にそれを否定する。
那由子に、『那由子』と名付けたことを後悔していることだろう。
しかし。
そう考える彼女でさえ。

魔実也の力は怖ろしかった。

元々『夢幻』の家系で力を持つのは女、のみ。
男には殆ど具現しない。

傍流の『男』でありながら。
彼の『力』は凄まじかった。

「・・・それだけなら、良かったのに」



それだけなら。
異質ではなかった。
おそらく血統を守る為、つまり防人を産む為に契りを強制されるはた迷惑な命に悩まされることはあっても。

―――異質にはならなかった。




(あれはどうしている?)
(・・・あれ?)
(・・・・・・魔実也じゃ)
(勝手に行方を眩ました者が気になりますか?)
(お前はまだ解っておらんのだ。
居なければ良い、という存在ではない。
絶えず掌握しておかねば・・・)
(―――?)



まだ幼かった那由子には解らなかったのだ。
異質であることが、どれ程脅威であるのかを。




リーン・・・
リリィーン・・・・・・

闇に生きる小さな命達は、この程度なら心地よい。
けれど、それらと同化しようとは思わないし、出来もしない。




(あれは)

(あれは、闇を司る禁忌を犯すやもしれぬのだ)





「―――だけど、お祖母様」

那由子は軽く頭(かぶり)を振りながら、遠い空の下を思った。
「だけど、彼は」
物ぐさで、勉強嫌いで。
酒好きで、女好きで。
夜遊びが好きで、煙草が好きで。
おそらく。
生きていくことが、好きなのだと思う。

人間(ひと)として生きて往くことが。

だから。




夕闇が濃くなる川辺を、那由子はゆらゆら歩く――――――
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