賑やかな通りの向こうで、彼女を見つけた。
艶やかな赤い花柄の、ロングスカートがとても綺麗だ。
美しく紅を掃いた唇が、睫毛の長い瞳が、 僕の姿を認めると同時に、活き活きと動き出した。
「こっち、こっちよ」
もの柔らかな声は行き交う人々を振り返らせるほど、魅力的だ。
そして、圧倒的な彼女の美しさに感嘆して、人々は通り過ぎてゆく。

最初(はじめ)僕は、これほどの女性と連れだって歩くことさえ気恥ずかしかったが、 順応したというのか、現在(いま)ではまるで見せつけるように腕を組むことすらある。
全く、彼女と出逢う前の自分からは考えられない大胆さだった。

「すまない、遅くなった」
「いいのよ。
 お友達と一緒だったのでしょ?」
「ああ、風変わりなヤツだが、気は置ける」
「そう」
「・・・おや?」

その時、僕は漸く気付いた。
長袖の白いブラウス、くるぶしまでの長いスカート。
陽は落ちているとはいえ、真夏のこの時期に、暑苦しすぎる。
記憶に在る限り、彼女が極端な暑がりだった覚えもない。

「風邪でもひいたのかい?」
「どうして?」
「あんまり寒そうな格好をしてるから」
「!!
 い、いえ・・・あ、そう!そうなのよ。
 なんだかゾクゾクして・・・」

瞬時に彼女は蒼ざめ、そして自らを抱くように腕を回した。
普段物腰の落ち着いている彼女からは考えられない仕草だったが、 僕は深く考えずにこう言った。

「ああ、まさか無理して此処に来てくれたのかい?
 遠慮は要らない、すぐに帰って休もう」

僕は彼女の腕を取り、すぐ近くの駅に向かおうと踵(きびす)を返しかけた。
しかし。

「ま、待って!!」
可憐な声を張り上げて、彼女は僕の腕を引き止める。
「たいした風邪じゃないの!!
 こうして少し厚着をしていれば大丈夫」
「だけど、君・・・」
「昔からなの。
 体質なのよ。
 だから自分のことは自分で解るから・・・」
お願い、と彼女は残りの言葉を音にせずに、目で僕に訴えた。
「・・・本当に?」
「ええ」
「じゃあ、気分が悪くなったらすぐに言ってくれ。
 頼む」

仕方なさそうに、そう僕が彼女の願いを承知すると、 彼女は忽ち顔を綻ばせた。
まるで大輪の花のようだ。

美しく、聡明で、気配りもある。
そんな彼女を、大声で周りに自慢したいくらいその晩の僕は意気揚々としていた。
食事をして、お酒を飲んで。
楽しく別れた。
確かに彼女は弱ってるようでもなく、本当にいつも通りだったので。



三日後に会った時、前回よりも更に全身を隠すような服で現れた彼女に ―――仰天した。



「やはり何かあるのか?」
思わず彼女の腕を掴もうとした。
しかし彼女は予想以上の素早さで身を翻し、僕の手から逃れる。
「―――なんでもないわ」
きっと顔を上げて、視線に強い意志を込めて。
それは本当に見惚れるほどの美しさを含んでいたけれど、今はそんな時じゃない。
「いいか、まだ八月だ。
 このぎらつく陽の下で、鍔の大きな帽子を被るのは当然だろう」
僕は、虚しく宙を掻いた右手を所在なさそうに引っ込めながら、 震える声で問い詰めた。
「・・・けれど、ハイネックの厚手のブラウスにヒールが隠れるほどのロングスカート。
 それからその白い手袋。
 変だろう?心配しない方がどうかしている」

彼女は僕の声に切羽詰まったものを感じたのだろう。
普段明るく煌めくその瞳を曇らせ、俯き、顔色を蒼くしてゆく。
彼女が僕に「そのこと」を訊かれることを、どれだけ嫌がっているか充分解ってはいたけれど、 もう先延ばしには出来ない。

「頼む、どんなことを聞いても驚きはしない。
 ・・・本当のことを話してくれ。
 僕に、話してくれ」



赤い唇が戦慄いて、彼女はゆっくりと頭(かぶり)を振った。
ぽとりと、美しい涙を一粒落として、後退ってゆく。
「もう、これきりにしましょう」
「なんだって!?」
「もう、会わないわ」



彼女のスカートがふわりと翻った。
微風に紛れて、甘い甘い彼女の香りが僕を雁字搦めにした。
「ま、待ってく・・・・・・」
出来うる限り張り上げたつもりの声は、実際には掠れた囁きに過ぎず。



動けない僕は、去りゆく彼女の背中を。
呆けたように見送った。
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