薄暗く、狭い通路をゆっくりと辿る。
所々壁が崩れて、配電コードやら外熱遮断材などが晒されていた。
「よく残ったものだ・・・」
メテオの脅威は神羅ビルの半分以上の機能を損なわせていた。
ツォンの向かおうとしている場所も、 果たして以前の機能を残しているのかどうか怪しい。
だがツォンはその機能には殆ど興味がなかった。

      狂気の学者が残した遺産など。

あの宝条の成した、動機も過程も結果も糞食らえだ。
今の自分にはただひとつの研究データが残っていれば、それでいい。
いやむしろ。
「全て消失してくれた方が   ・・・」
思いがけず出た己の言葉に、ツォンは軽く頭を振った。

何を馬鹿なことを。
冷静になれ、ツォン。
わたしは『知る』べきなのだ。
その結果がどうであれ。
・・・『知らねば』ならない。
タークスの、長として。

やがて長い廊下の終点に、小さな鋼鉄の扉が現れた。
多少歪んでいるようだが、開閉に支障はなさそうだ。
傷が癒えたばかりで満足に動くには程遠い身体を、 ツォンはその扉の脇に立たせた。
ヴン、と小さな音がする。
ツォンの網膜を認証した防犯装置は、 今度は暗証番号を入れろとボードの光を瞬かせた。
慣れた指先がキーの上を滑る。
キュルル、と解除装置の作動音が響き、扉がゆっくりと横に開いた。
神羅が全盛だった時代の、暗黒の研究室が。
ぱっくりとツォンを呑み込む。





ティファはそれきり押し黙ってしまったクラウドの手を引いて、 階下へ降りた。
ソファーに導くと素直に座り込む。
自慢のコーヒーを点てている間、ふたりは無言だ。
ちらとティファはクラウドの表情を見遣るが、 傍目に彼は至って落ち着いてるように見える。
(・・・ぼんやりしてる、ってとこね)
彼の怜悧な風貌は、彼の感情を押し殺させることに一役買っていた。
ただし、ティファや仲間たちの前では通じはしないだろうが。

「はい、どうぞ」
豊かな香りが立ち昇った。
はたり、と一度瞬きをしてクラウドが顔を上げる。
彼の向かいに腰を下ろして、ティファが一口コーヒーを啜った。
「・・・もしかして否(いや)かもしれないけど」
優しいけれど、どこかぴん、と張り詰めた声。
「もう一度、ちゃんと訊くね?」
クラウドはまたひとつ瞬きして、 真っ白なコーヒーカップに視線を落とす。
「あなたが『見た』のは、エアリスだったのね」
ほんの僅か。
ティファの声は震えていた。
彼女自身が自覚できないほどに。
そのことにクラウドはぼんやりと気づいたものの、 自分がどうすればいいのかなんて、皆目見当がつかない。
「ああ」と一言だけ返すのがやっとだ。
「・・・あなたに気づいて、 あなたを『見た』彼女はどんな様子だったの?」
投げ遣りのようにも取れる、その返事を予想していたかのように ティファは矢継ぎ早に訊いてきた。
小さく唇を開いて、クラウドはまたすぐに口をぎゅっと結ぶ。

驚いたように振り返る影。
ミルク色の保安灯が照らし出す、その貌。
色褪せない碧の。

くしゃ、と前髪を掻き揚げてクラウドは「は、」と短く笑った。
「クラウド?」
「嫌悪」
「え?」
「秘密がばれた。
 どうしよう。
 どうして、オマエは此処にいる?
 オマエは、邪魔だ。
 ・・・オマエは、誰だ?」
「それって」
「それが、『彼女』の表情から汲み取った印象」

カップから、少しずつ温もりが消えてゆく。
少しずつ、クラウドが冷めてゆく。
(だめ)
ティファは焦燥した。
歯止めが要る。
不定要素の多い『彼女』を、エアリスだと クラウドが完全に認めてしまう前に。
(で、ないと)
ティファがぼんやりと恐れていた“もの”を、 突き付けられてしまう・・・!

「おかしいわ」
思った以上に、力強い言葉が出た。
ティファはそのことに自信を持った。
そうだ、今から自分が云おうとしてる説明の方が 遥かに説得力があるはずだ。
「おかしいわよ、クラウド」
「ティファ・・・」
「もし、エアリスなら。
 もし生きているなら、彼女は真っ先にわたし達の所へ顔を見せるはずよ。
 あんな機械だらけの場所にふらふら姿を現して、一体何をする 必要があるっていうの?
 リーブさんも云ってたけれど、跳躍力とか、足の速さとかエアリスと断定できない ほどの凄さだったんでしょ?」
クラウドははっとしたように目を瞠る。
「そう・・・そうだな」
普通の人間ならばよじ登ることも困難な様態の機器群。
僅かな足場を正確に見極めて、しかも軽々と跳んでいた。
「ね、エアリスだと決めつけるのは早計だわ。
 仮に   極めて可能性が低いけれど、 仮に『彼女』がエアリス本人だったとしても、何らかの事情がきっと 在るはずなのよ」
己の膝頭を握り締めるクラウドの五指。
そっとその上に、自分の手のひらを重ねてティファは続ける。
「まだ、早い。
 まだ、わたし達は何も証拠を掴んでいない。
 だからね、クラウド」

『エアリス』に拒絶されたなんて思わないで。

既(すんで)の所で出かかった言葉を無理矢理飲み込み。
ティファは笑ってみせた。
「・・・ちゃんと、確かめないまま悩むのは止しましょう?」
ティファのそれに釣られるように、 クラウドもふっと表情を緩め。
重なっているふたりの、ふたつの手の上に。
空いていた手を載せる。
「確かに、勇み足になるところだった」
ティファはクラウドの手のひらから伝わる体温(ねつ)に、 微かに頬を赤らめた。
が、それに気づかずクラウドは徐に立ち上がる。
「リーブのところへ行ってくる」
「この仕事、続けるの?」
大きく頷きながら、クラウドは上着を羽織った。
「別人にしても、似すぎていた。
 それに魔晄炉が関係していることも気になる」
「・・・そうだね」

手伝えることがあったらいつでも云って欲しい。
そんなティファの声を背中で聞きながら、クラウドは足早に 出て行った。
ぽつんと残されたティファは、 リーブもほぼ徹夜に近い状態だったからまだ寝てるかもしれないわ、と 想像して小さく笑む。
それから。
またソファーに座り込んで、冷え切らない、それでも 温すぎて飲めないクラウドの コーヒーカップを両手で抱えた。

「決めてるくせに」
空になった自分のカップと、黒く波打つクラウドの カップを見比べる。
「あれはエアリスだと・・・決めてる、くせに」



願望、切望、希望。
どの言葉で表現しようと、ティファにとってはどうでもいい。
ただ、クラウドとエアリスの絆に、少し 哀しくなるだけだ。
そして。
クラウドがエアリスだと思いこんだ、否、 クラウドにエアリスだと思わせたその『幽霊』の 存在に。
胸の奥がもやもやと蟠(わだかま)る。

「気持ち、悪い」
暫く、ティファは俯いたままだった。
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