ぱたぱたぱた

明け方部屋へ帰ってきた娘は、不機嫌な表情(かお)で ツォンの居るベッドまで駆けてきた。
ぼすん、とベッドのスプリングを揺らして腰を下ろし。
ぎゅ、っと彼の首に両腕を回す。
「・・・」
また彼女はどこかへ出かけていた。
どこであったのかは、薄々ツォンも気づいてはいる。
この、神羅ビルの地下。
動力室の周辺。
もっと厳密にいえば      魔晄炉。
何故彼女が魔晄炉に執着するのかは、はっきりとした理由は まだわからない。
だが彼女が執着するのに魔晄ほど相応しいものもないのかもしれない。
ぎゅぎゅ、っと腕に力を込めながら、 ツォンの胸に彼女は頭を押し付けた。
まるで、不機嫌だからかまってほしい子どものようだ。
「エアリス」
そっと頬を撫でて。
彼女の顎を持ち上げる。
ぷう、と頬を小さく膨らませたまま、彼女はその碧の瞳にツォンの 顔を映し込んだ。
「・・・エアリス、何かあったのか?」
こくこくと首を縦に振って。
彼女はほんのり紅い唇を動かす。
『じゃま』
音はないけれど、その形の良い唇は確かにそう象った。
『邪魔、された、嫌い』
読唇術に慣れ始めたツォンは、 彼女が次々と綴る言葉を解(かい)してゆく。

『あと少しで、停まるのに』
『邪魔が入ったの』
『嫌い』

怒っている、というより拗ねているといった方が正しいだろう。
年齢的には充分大人であるのに、彼女は数年間をぽっかり 何処かへ置き去ってしまった状態のようだ。
「・・・君は、何をしているんだ?」
彼女の両肩をそっと包んで。
ツォンは柔らかく問いかける。
自分がこれ程優しい声が出せたのか、と驚くくらいだ。
彼女は上目遣いにツォンを軽く睨んだ。
乾いた唇を舐めて。
ふいと横を向く。
話すことを迷うかのように、視線が狭い部屋のあちこちへ泳がされた。
「エアリス、わたしにも多少の推測はついている」
『・・・』
おずおずと彼女は、ツォンの頬へしろい指先を伸ばす。
少し冷えて、それでいて柔らかな感触が。
ツォンの片頬を包んだ。
彼女のその指に、ツォンは己の指をそっと重ねる。
「心配しなくても良い。
 わたしは、おまえの“邪魔”をするつもりはない」

      ふわ、と笑った彼女の顔は。
ツォンが最後に見たエアリスの笑顔と、変わらなかった。





図面とにらめっこしつつ、はしたない音を立てて リーブはコーヒーを啜った。
床面には数枚の見取り図が散らばっている。
スクリーンには複雑なグラフが刻々とその値を刻んでいた。
「・・・これ、ほんまかいな」
うっかり故郷の方言が零れたが、部屋の中は彼ひとりなので 気にする必要もない。
むしろ誰にも調査の目的を知られたくなくて、 リーブはこの無機質で乱雑な部屋にひとりで居るのだ。
がりがりと頭髪を掻きむしると、今度は別の棚からまた大きな図面を 引きずり出して調べ始めた。
今夜、再度クラウドとバレットが調査にくる予定だ。
最初は“幽霊”の正体を曝く程度のことだと考えていたのだが。

ずずずっ

再びコーヒーを啜ってリーブは呻いた。
「大事(おおごと)になるかもしれんなあ。
 それこそ、この星に大きく関わる・・・」
眉間に皺を寄せ、疲れた表情でリーブが肩を落とした時。
けたたましい警戒音が響いた。



「ビルの魔晄炉が完全停止・・・?」
クラウドは携帯を握る手に思わず力を込めた。
昨夜の調査の段階では、まだそこまでの危機感はなかったはずなのに。
リーブは魔晄エネルギーの抽出量が僅かずつ減少している、と 説明していたではないか。
ジープのスピードを上げるように、クラウドは隣の バレットに目で合図した。
漏れた会話の端々から、バレットもただ事ではないと察したらしい。
ぐおん、と砂煙を四本のタイヤが纏った。
そのままクラウドはリーブと電話を続ける。
「もう暫くしたら到着する。
 ビルの電力は最低限の確保が出来ているのか?」
『ほんとに“最低限”ですけどね。
 電力だけじゃない、動力のまだ六割は魔晄エネルギーですから、 近隣の魔晄炉から臨時の供給配線を至急手配させています。
 だがそれでも安定には遠い。
 暫く街は混乱するでしょう』
「・・・頼む、今はあんたが頼りだ」
クラウドは眉を顰めて窓の向こうの飛ぶような景色を見遣る。
メテオの脅威からようやく回復してきたところだ。
まだ所々に無理矢理大地を剥がしたような跡も見受けられる。
「クラウド、どうする?」
巧みにハンドルを握りながらバレットが問うた。
くらくらし始めた頭を軽く振りながら、クラウドは「さあ」としか 答えられない。
「・・・俺たちに何が出来るっていうんだ?
 こんな場合はリーブや他の技術者たちの方が余程役に立つ」
「だがよっ・・・!」
悔しそうな顔で、バレットは舌打ちした。
バレット、俺たちは、ヒーローじゃないんだぞ。
そう胸の中でクラウドは呟く。
ただ、今は。
何よりも確かめないといけないことがある・・・それだけだ。
「・・・っ」
胃の中身が軽く迫り上がってくる。
(ああ、そういえば、俺は乗り物に弱いんだっけ)
ぐらぐらする瞳の奥で。
乳白色の光に浮かんだ、懐かしくて哀しくて、そして愛しい顔を 思い浮かべた。



ぱちん、とスイッチを入れても点灯しない。
「やだ、壊れたのかしら?」
子ども達にミルクを温めようと思ったのに。
ティファが腰に手を当てて、さてどうしようかと思案していると、 ばたん、とドアを開けて少女が飛び込んできた。
「マリン、どうしたの?」
短いお下げを揺らすあどけない少女にティファが笑いかける。
「ティファ、さっき緊急連絡が回ってきたの」
「緊急?・・・」
マリンの掴んでいるメモを受け取り、ティファは目を瞠る。
「魔晄炉停止・・・!?」
思わず大きな声を出した後、不安そうなマリンを気遣いティファは にこりと笑ってみせた。
「ああ、大丈夫よ。
 ちょっと電気が使えないだけ。
 今夜は電力の回復は無理かもしれないから、みんなに ちゃんと準備しておくように伝えてくれる?」
優しい指でくすぐるように前髪を掻き上げられたマリンは「うん」と 頷くと、軽やかに走り去っていく。
少女の愛くるしい仕草に頬を緩めながら、ティファはもう一度メモに 目を通した。

(魔晄炉)
(魔晄、ライフストリーム、星の命)
(・・・エアリス)

目頭を軽く押さえて、ティファはぐるぐると回る思考を停止させる。
「考えたって仕方ないのに」
そこへ今度は軽く階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「ティファさん」
そばかす顔をひょっこり覗かせた青年は、人の好さそうな笑顔を 浮かべながら口を開いた。
「ティファさん、フェンリルの整備終わりましたよ」
「ありがとう、電気とか停まっちゃったんでしょ?
 大丈夫だった?」
「なんとか、ギリギリ。
 それよりもあのバイクの持ち主に云っといてくださいよ、 もう少し丁寧に乗ってくれ、って。
 大きな損傷はなかったですけど、大変だったんですから」
「わかったわ」
青年はぺこりと頭を下げて、またかろやかに階段を降りてゆく。
ティファは彼の去り際にひらひらと手を振って、 もう一度ありがとうと紡いだ。

(ほんとにねー)
溜め息を吐きながら、ティファは髪を掻き上げる。
「・・・人の運転だと酔うんだから、フェンリルは大事に乗りなさいよ」
かたん、と寄りかかった窓の向こうに。
泣き出しそうな程綺麗な夕焼けが広がっていた。
(ほんとに)
   泣きそうだよ」



いささか乱暴にジープが停まる。
バン!とバレットがドアを閉めると、ジープもぶるりと車体を震わせた。
「クラウドさん!バレットさん!!」
正面玄関からリーブが駆け寄ってきた。
髪がばさばさに乱れ、目の下に隈が出来ている。
魔晄炉が停止してからどれだけ彼がその対応に追われたか、 手を取るようにわかった。
「塩梅はどうだ、リーブ」
バレットは心配そうに、彼の肩に手を置いた。
「まあ、なんとか最低の処置は出来るでしょう。
    最低、ですがね」
「最低限のライフラインが確保できるなら、いいってことよ!
 よくやったな、リーブ」
どん、とバレットに肩をはたかれて。
がくりとリーブの膝が折れた。
「ま、まあ、それよりも、ですね」
リーブはなんとか持ちこたえながら、バレットの労いに 笑顔を浮かべた。
しかしこほん、と咳払い。
傍に佇むクラウドを見る。
「・・・“幽霊”についてですが」
クラウドの瞳の光が強くなる。
抑えようとして抑えきれない衝動を、 拳を握り込むことで紛らわせた。
リーブはやや躊躇う気配を見せたが、すぐに次の言葉を継いだ。
「隠れ家、わかりましたよ・・・たぶん」
「隠れ家?たぶん?
 そりゃ、どーゆーこった!?」
空かさずバレットが怒鳴ると、す、と腕を上げて クラウドがそれを遮った。
「“幽霊”は、ちゃんと電気が要るような生活をしてたってわけだ。
 ・・・で、どこに潜んでるんだ?」
「まだ確認してませんが、 微量ではあるけれど不明な通電が頻繁な部屋を見つけましてね。
 おそらく、と」
クラウドは訝しげにリーブを睨み、そしてはっとした。
リーブもそれを見て、大きく頷く。

「このビルにずっと居たのか・・・!」
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