「つまり、だ」
ツォンは珍しくあからさまなため息を吐くと、クラウドの顔を見遣った。
「・・・かつて、遠い昔。
 この国の何処かに、異世界と通じる空間が出来てしまった」
クラウドの、動かない瞳はそれを肯定した。
非現実的なこの展開を、やや苦々しく思いながらツォンは冷静に続ける。
「その異世界から渡って来たのは、こちらからすれば醜い姿の魔物たちだった。
 ・・・殆どが黒い翼で飛行し、こちらの世界の生き物を喰らう、と こういう訳だな」
ツォンは立ち上がり、ゆっくりとエアリスへ近づく。
「そしてその空間を閉じる能力を有していたのが『エアリス』だった。
 彼女は数年という時をかけて、その空間を閉じ。
 なおかつその衰弱した身体でクラウドの『魔物』の部分を浄化しようとした」
エアリスは話の中身について行けないのか、戸惑うように幾度も 瞬きを繰り返す。
ツォンは優しくその柔らかな頭を撫でながら「変わらんのだな、おまえは」と 小さく漏らした。
きょとん、とエアリスはツォンを見上げ、褒められたらしい、と解ると 頬をうっすら染めて俯く。
壁に背を預けていたクラウドがちらりと視線を奔らせて、白皙の面に微かな翳りを 浮かべた。
「そして完全に浄化できぬまま・・・彼女は亡くな」
「違う」
クラウドの怒気を潜めた声が、ツォンの言葉を遮った。
ぴくりと片眉を跳ね、ツォンが振り返る。
彼がこれほどの感情を声に託したのはツォンは疎か、 エアリスにも初めてのことだった。

「・・・違う、彼女は死んだんじゃない。
 確かに力を失って、肉体を維持することも難しくなって。
 それでも彼女は俺を『人間(ひと)』にすることを止めてくれなかった。
 どんどん存在が薄くなってゆく彼女を見ていられなくて、俺、は」
「『魔物』の力を使ったのか」
ヴィンセントが組んでいた両腕をゆっくりと解きながら鋭く詰問する。
さあっとクラウドの顔から血の気が引いた。
「おまえは、『エアリス』を此処に繋ぎ止めておくために力を使ったんだな?
 彼女を純粋な、そう魂の結晶のような形にして二百年も機会を待ち続けたんだ。
 『エアリス』を再生させる器が、目の前に現れる機会を」
「ルクレツィアか―――」
ツォンもそう推測していたらしく、確認するかのように相づちを打つ。
クラウドは顔色を失ったまま、目を伏せた。
「まるで処女受胎の如く、おまえはルクレツィアを・・・」
ヴィンセントが右手でその両目を覆った。
彼女が身籠もったと知った時、彼は彼女を詰った。
自分の子ではないことは明白で。
誰の子でもない、という彼女の言葉も一切信じられず。



(そうまで言い張るなら、堕ろせ!
 おまえの中に在るのは普通ではない、ということだろう?)
(だめ・・・それは、だめ。
 ちゃんと血液も羊水も調べたの。
 生命よ、この子はれっきとした人間なの)
(・・・では、誰の子だ?)
(云ったはずよ、わたしにはあなたしかいない。
 このお腹の子は、誰の子でもないの)
(何もせずに出来るわけがない!)
(事実なのよ・・・っ)
(そんな、そんな不自然な受胎があるとして、おまえは受け入れるのか?
 おまえの身体では出産は危険だと・・・)
(やめて!
 ・・・もう、止して・・・)



それでも彼女を喪うのは怖くて、産むことを反対した。
弱くて細い肢体の彼女の意志は、しかしヴィンセントを大きく凌駕し。
小さな女の子を産み落とした直後、還らぬ人となった。



「おまえが・・・事の始まりだったのか」
ヴィンセントの掠れて低い声が、クラウドに突き刺さる。
クラウドは乾いた唇を噛みながら耐えた。
ああするしか、なかったのだ。
エアリスを喪わない為には、ああするしか。
しかしそうして。
ヴィンセントの大切な女性(ひと)は喪われた――――――

「俺、は・・・」
「止めろ、後だ」
どうにか云い繕うとするクラウドをツォンは制止した。
「肝心なことが語られていない」
ヴィンセントも再び目蓋を開けてクラウドを凝視した。
十年という月日が、ヴィンセントを凄まじく冷静な人間に変えていた。

「訊こう。
 『エアリス』が異世界へ通じる空間を閉じた筈なのに、 何故再び、現在(いま)になってまた魔物たちが現れたのか?
 ・・・おまえには予測がついていたらしいしな」
クラウドの喉が。
こくりと動く。
だがツォンは氷も斯くやという冷えた瞳でクラウドを射抜いた。
彼のすぐ傍で。
かたかた、とエアリスが震えている。
自分の出生の真実が、ヴィンセントの人生は疎か、この国まで巻き込むものとは。
まだ幼い少女は、その重さが恐ろしくて、震えていた。

「・・・『エアリス』を再生させるために、俺が『魔物』の力を使ったからだ。
 閉じて間もなかった空間が、傷ついた。
 長い時をかけて少しずつ綻びは大きくなって。
 とうとうあいつらが僅かにこの世界に入り込み始めたんだ」
何度目かの深い溜息を、ツォンが吐く。
「では魔物たちがこのエアリスを狙うというのは、再び空間を 閉じられることを畏れているからか?」
「それも、ある。
 だが・・・」
「だが?」
「空間を“閉じる”ということは、反対に“開く”ことも出来るということだ。
 やつらは『こっち』へ来たがっている。
 人間の肉ほど、旨いものはないからだ―――」
ツォンがぐっと拳を握りしめた。
「・・・この娘(こ)に、それ程の力があると・・・?
 しかもそれを利用する程度の知能を、あの化け物どもは持っているのか?」
「現に俺が存在している。
 人間の女を孕ませ、圧倒的に数の少ない自分たちの種族を増やそうとした」
皮肉めいた表情でクラウドが吐き捨てる。

「成る程、事は深刻だ」
ツォンが唇を歪めて嗤った。
ぴん、と張り詰めた酷く冷え切った何かが彼を薄く覆う。
それが静かな怒りであることを、エアリスは知っていた。
「この娘(こ)を利用し、人間を喰らい。
 更に女たちをも襲う。
 一寸たりとも容赦できんな」
ツォンは大股で部屋を横切り、カーテンを開けた。
さあっと光が入り込み、一瞬ゆらりと目が眩む。
「ヴィンセント、クラウド・・・そしてエアリス」
ツォンの声が飛んだ。
「おまえたちがそれぞれ複雑で割り切れない事情を持ち合わせているのは解った。
 だが暫し堪えろ。
 国王に相談し、態勢を整える。
 ・・・今はあの化け物どもを排除し、我が娘エアリスを守らねばならん」
「ツ、ォンさま・・・」
エアリスがぱあっと表情を明るくする。
自分が誰であろうと。
どんな力を持っていようと。
今まで通り、我が娘だとツォンは告げてくれたのだ。
「クラウド、かつての『エアリス』がおまえに気配を消す術を教えたのは、 おまえが純粋な人ならざる故だろう。
 どれ程の迫害がおまえに対して在ったかは想像に難(かた)くない。
 だが最早必要な時以外、使うことはない。
 おまえは、やつらをよく知っている・・・おまえは」
かっかっとツォンはクラウドへ歩み寄ると、その胸ぐらを掴みあげた。
「おまえは、エアリスを守るのだろう?
 その責任を―――果たせ」

ヴィンセントは、ただ。
クラウドとエアリスを、見つめる。
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