ツォンは“消えたクラウド”がさっきまで居た、その部屋の一角を凝視した。
「・・・ふむ」
小さく頷くと、エアリスに訊ねる。
「彼が見えるか?エアリス」
エアリスはこくりと頷き、躊躇いがちに説明した。
「さっきよりもぼんやり薄くなった感じだけど、全然動いてないよ」
「エアリス、わたしには彼の姿が掻き消えたように見える」
「・・・そう、なんだ」
薄々そうなのだろう、と思っていたのでエアリスはさほど驚きはしなかった。
クラウドの気配が変わる瞬間を目の当たりにしたのは初めてだったが、 これまで彼はこうやって、エアリス以外の者たちから 姿を眩ましていたのだろう。

「だが神経を集中すれば“気配”は感じ取れるな。
 これまで気付かなかったとは不覚だった」
ツォンは不愉快げに眉を顰めた。
彼はこの国でも屈指の剣士として知られている。
剣の腕だけではない、広大な領土を治める手腕も国王や大臣達から 高く評価されていた。
その自分が。
選りに選ってエアリスの身に起こった出来事に気付かなかったとは。
―――三年間も。
クラウド、と名乗る男に悪意があれば 取り返しの付かない事になっていただろう。
(いや、例え悪意はなくとも、災いを運んできたのかも知れない)
ツォンは先程の得体の知れない怪物達を思い返した。
側近達に死骸の後始末を頼んだが、これで終わりではないことはクラウド自身が 告げていた。
『むしろこれからだ』と。

ツォンは肩に座らせていたエアリスを、 自分の机の隣の小さな椅子に座らせる。
エアリスに丁度良い大きさの、その木彫りの椅子は。
彼女の大変なお気に入りで。
ツォンが書斎で仕事をしている時に、エアリスはよくその椅子に座って 絵本を読んだり、外の景色を眺めたり。
ツォンが書類に滑らすペン先を見つめたりしていた。
それはエアリスにとって、とても心地よい時間の過ごし方のひとつであり。
ツォンにとってもそうであった。

ぽんぽん、とエアリスの頭をはたくと、ツォンは軽く右手を挙げる。
「・・・もういい、クラウド」
その呼びかけと同時に。
再びクラウドの姿が現れた。
まるでお伽噺に出てくる透明マントを使っているようだ、 とツォンは柄にもない感想を覚えた。
クラウドの様子は消える前となんら変わるところはなく。
ツォンはじろりとクラウドの頭から足の爪先まで視線を流すと、ちらと 斜め前に居るヴィンセントへ顎をしゃくった。
「どう思う?」
ヴィンセントはただ静かに佇むばかりで別段驚いた様子もなかったが、 小さく首を横に振る。
「正直どんな仕組みかわからないな。
 ・・・人間(ひと)の視覚など実はあやふやなものだ。
 目に見える色や光はかなり限られている。
 その辺りを利用したのでは、と思うのだが」
ツォンはその言に頷いた。
「エアリスの証言からも、今目前で見た現象からも、 わたしもヴィンセントの意見に近い考えだ。
 ・・・どうだ、クラウド?」
クラウドはやや考えるかのように視線を落とした。
実際、彼も説明できる程解っているわけではなかったのだ。
一度軽く唇を舐め。
クラウドは顔を上げる。
「この“術”は・・・『エアリス』に教えてもらった。
 彼女が俺には必要だから、と。
 簡単な結界のようなもので、よほど修練した者でなければ気付かない」

エアリスは「え?」と目を丸くして首を傾げる。
そんな話には何一つ覚えがなかった。
クラウドの話す『エアリス』は、果たして本当に自分のことなのだろうか?
ツォンも同じなのだろう。
右手の人差し指と親指で軽く目頭を押さえている。
これから知る内容は、もしかしたら自分よりヴィンセント向きの話に なるかもしれない。
彼にとってはそんな恐ろしい予感が。
―――ひしひしと迫ってくる。

「その『エアリス』とは、この娘(こ)のことなのか?」
訊きたくはなかったが、ツォンとしては先へ進まねばならない。
ツォンの問いに、クラウドは躊躇うようにして首を縦にした。
「単刀直入に云えばそうだが・・・もうずうっと遠い過去になる」
ツォンは再度目頭を押さえる。

これはまさか。
―――輪廻とかいうやつか?
わたしのエアリスが。
そんな訳の解らない因縁に絡まれるとは。

ツォンの額の中心のホクロに。
幾本かの皺が寄っている。
エアリスはそっとそれを見上げた。
(困ってる、ツォンさま)
殆どの決断を素早く明確に下してきたツォンが、滅多に見せないその 表情に。
エアリスだけは誰よりも気付く。
完璧なようで完璧ではないツォンのその一面が。
エアリスは実はとても好きだ。
そして。
迷いながらも、やはり決断するところは。
もっと好きだった。

ツォンは黒髪を掻き上げ、短い溜息を吐いた。
どかりと腰を椅子に下ろし、腕組みをしてクラウドを見遣る。
「・・・話せ。
 時系列の古い順から訊くのが筋だろう」
僅かにクラウドが身動ぎして、その淡く青い瞳を小さなエアリスへ 向けた。
ツォンはそれに気づいたがそのまま言葉を続ける。
「簡単でいい。
 おまえと過去の『エアリス』との関わりを。
 あの醜い化け物どもが何故この子を狙うかを。
 ・・・おまえが気配を断つ術(すべ)を 身に付けねばならなかった理由を、説明してくれ」

クラウドはゆっくりと纏っていたマントを剥ぎ取った。
擦り切れて古くなってはいるが、不思議な地紋の青い服。
均整のとれた身体。
普通の、二十歳前後の青年だ。
しかしその瞳の色は。
まるで青い光が揺らめいているようで。
それが彼をどこか現実離れした人間に思わせる。

「俺はどこで、誰から生まれたのかわからない。
 ただずっと周りからは“人間(ひと)”じゃないと云われてきた」
クラウドの声が、室内に抑揚なく響く。
「何処にも行き場がなかった俺に、手を差し伸べてくれたのが 『エアリス』だった。
 もう二百年以上前になる――――――」



クラウドを除く、三人はそれぞれが硬直したかのように息を詰めた。
しかしクラウドの意識は。
彼らに構うことなく。

遠い過去へと馳せてゆく・・・
[Next] [FF7 Index]