真夏が近かった。
長い間陽射しを浴びていると、肌が痛くなる。

「ケット・シー、あなたも毛が痛んでるみたい。
 今度ちゃんとお手入れしないと・・・」

すでに齢七歳の猫は、相変わらず大きな身体でフニフニとエアリスに すり寄るばかりだ。
エアリスと云えば最近は家庭教師の人数も増え、その上社交マナーの 勉強も増えた。
なかなか忙しくなり、昔のようにしょっちゅう中庭で戯れる事が出来ない。
ツォンはこういった躾には実に厳しく、さぼったことがばれると最低一時間の 説教を延々と喰らわせてくるのだ。
楽天家のエアリスもこれには辟易していた。

「いいか、エアリス」
まだ幼さの残る顎をくいっとあげて、エアリスはツォンの口調を真似る。
「わたしは亡きお前の母親から、お前を立派に育てると約束した。
 お前はわたしの実の娘同然だ。
 だから、やがてお前はこの領土を継ぐことになる。
 今やっている勉強は全て役に立つだろう。
 だからスカートのまま木登りしたり、落とし穴を掘ったりして、家庭教師の先生方に 悪戯するのはやめなさい」
我ながらなかなかの声音だとエアリスは満足した。
ケット・シーが目を眇(すがめ)ながら彼女を見上げている。
「ね、似てた?似てるよね?」
ひとりと一匹は顔を見合わし、彼女はぷ、と吹き出すと笑い始めた。

さわさわ

風の流れが微かに変わる。
はっとしてエアリスは振り向いた。
濃い緑の葉が重なり合う木陰に。
『彼』は居た。

エアリスが初めて見たときから、変わらないその姿。
まだ子どものエアリスもその不思議に気付いていた。
やはり『彼』は尋常ならざる存在なのだろうか?
幻なのだろうか?
悪しきものなのだろうか?

エアリスは何も言葉を発さずに、ただその大きな翠の瞳で『彼』を 見つめる。
『彼』もゆらゆら木陰にその姿を半分とろけさせて。
エアリスを見る。



・・・三年間、繰り返された逢瀬。









ツォンは足早に書斎へ入った。
彼の側近中の側近であるレノが、とある『来客』を彼に告げたからだ。
その『来客』がツォンにとってどういった存在であるかは、レノすら詳しくは 知らない。
ただ、周りに知られることなく 極秘に取り次ぐことを心得ているだけだった。

ツォン愛用の書斎は、そこそこ広く、調度も整った部屋だ。
古ぼけたものから最新の書物まで、棚にぎっしりと並べられ、 きちんと分類されていた。
直射日光が書物を傷めぬようにと、特殊な織りのカーテンで大きな窓を飾り。
柔らかな自然光がその部屋を満たしている。

そして。
その『来客』は扉に背を向けて、じっと窓の外を見つめていた。
ツォンは数歩近づいたが、足音は毛足の長い絨毯に全て吸い込まれる。
ほんの数瞬の静寂(しじま)が、書斎を満たした。
ツォンはやがて口を開いたが、 その静寂を破ることに奇妙な遠慮を覚えた。

「・・・レノからお前の来訪を告げられた時は、さすがのわたしも 驚いたよ―――ヴィンセント」

ヴィンセント、と呼ばれた『来客』は、ゆっくりと振り返った。
この時季に厚い生地の紅マントを羽織り、長い黒髪を纏めることもしないで 無造作に放ってある。
表情のない顔は、能面のようで。
初対面ならばあまりいい印象を持てないかもしれない。
ヴィンセントは一度ゆっくりと瞬きをし、 その暗紅色の瞳をツォンに向けた。
ツォンはそれを受け止め、不愉快とでもいうように眉を顰める。

「・・・会うのは十年ぶりだな。
 一体何があった?
 まさかあの娘(こ)に会いに来たわけではあるまい?」
ヴィンセントはゆっくりと首を横に振った。
「―――すまない、そのまさかだ」

ツォンの双眸が細められた。
その真っ黒な瞳の奥で。
青白い怒りの炎が揺らめくのをヴィンセントは見て取った。

「ヴィンセント、お前はわたしの友人(とも)だった。
 そのお前が望んだから、わたしはあの娘(こ)の後見人として これまで彼女を育ててきた。
 だがそれはお前のことを思いやってではない。
 お前に対して失望し、そしてあの娘(こ)が哀れだったからだ!」
ツォンの静かで低い声が、部屋に響く。
ヴィンセントはただ無表情にそれを聞いていた。
「お前は愛せない、と云った。
 きっと憎むだろう、とも。
 その感情はわたしも理解できるが、あの娘(こ)には何の責任もない。
 わたしは幾度もお前を説得したつもりだ。
 あの娘(こ)は・・・お前が育てるべきだと。
 ルクレツィアの遺した者なのだから、な」

ヴィンセントは乾いた唇を一度舐めた。
逡巡するように視線を足下に落としたが、やがて顔を上げると。
再び、のろのろと首を左右に振った。

「わたしには、無理だ」
「ヴィン・・・ッ」
「だが、わたしは・・・お前があの娘(こ)を 大事にしてくれたことに、安堵している」

ツォンは一瞬呼吸を止めたかのようだった。
やがて頬にかかる長い黒髪を掻き上げ、上昇した 体温を逃すかのようにふう、と小さく息を吐いた。
「・・・すまないな、久方ぶりの再会だというのに。
 つい感情的になりすぎてしまったようだ」
ヴィンセントは右手を軽くあげて、気にするな、というような 仕草をする。
極めて表情の少ない男の上、殆ど顔半分マントに埋もれていて 真意を読み取りにくい。
だがツォンにはヴィンセントの葛藤を少なからず理解していた。
ツォンは机の脇の椅子に座るようにヴィンセントを促し、自分は慣れた椅子に 腰を下ろす。
そして、軽く指を組むといよいよ本題に触れた。

「先走って済まなかった。
 ―――聞こう、お前が『エアリス』に会いに来たわけを」
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