ゆるり、ゆるり、と茶色の長い髪が。
その肢体に被るように拡がりながら、揺れている。
身に纏っている真っ白なローブも、やはりゆるゆると宙に浮かんでいた。
確かにそこに浮かび現れた人影は、『エアリス』だと認めたものの、 クラウドはそのはっきりとしない彼女の全体の輪郭に首を傾げた。

「エ、ア・・・」
半ば確認を取る為に、クラウドは彼女へ近づいた。
バレットは、自分たちが見上げるほどの高さに浮かんでいる人間の姿に 大きく口を開けている。
まるで霞がかかったような己の視界に、幾度がごしごしと目を擦った。
「ク、クラウド!
 不用意に近づくなよ・・・っ!」
だが、バレットの忠告はクラウドの鼓膜を震わせはしたが、 意識には届かなかった。
クラウドはゆっくりと右手を伸ばし、彼女のローブの裾に触れようとした。
「!?」
しかし彼の指はするりと炎の為に熱を帯びた空気を掴んだだけで。
俯き浮かぶ彼女は、ただ静かな視線をクラウドへ向け。
「違う―――」
その時点で、ようやくクラウドは彼女が『エアリス』ではないと確信した。

「違う!?
 じゃ誰だよ、え?」
「エアリス・・・だよ、外見は。
 だけど全然、別人だ」
「う・・・??」
訳の解らない返答に、バレットは目を白黒させる。
クラウドはただ、視線を逸らさずに彼女を見つめていた。

『エアリス』であって、『エアリス』でないその影は。
クラウドのその視線を無表情に受け止めていたが、やがてじわりと水が染み出すように 少しずつ口元を綻ばせ・・・微笑む。
その笑みは、威圧的でありながらそれでいて深い包容を示していた。
クラウドは本能的に彼女が悪しきものではないことを確信した。

―――そうか、お前はこの娘の・・・

脳に直接響くその言葉に、バレットは「うわ!」と声を出し、 クラウドは弾かれたように身体を痙攣させた。
「貴方は誰・・・です?
 その身体は、エアリスの・・・?」
『彼女』は、その笑みこそ崩しはしなかったが、僅かに哀しげに目を細める。

―――そう。
   これはエアリスという名の、神子の身体だ。
   わたしを“此処”に縛り付けておく為に神官長が呪
   (まじな)った。

「・・・・・・」
クラウドの、剣を持つ指先が白くなった。
己の不甲斐なさと、エアリスを捕らえた国王達への怒りが渦巻く。

―――『月弓のしずく』がなければ、
   わたしにはこの呪(じゅ)を解くことはできぬ。
   ・・・わたしがこの身体から出ることは、
   叶わないのだ。

「おいおい、それじゃその娘(こ)が可哀想だ!」
バレットが我を忘れて叫ぶ。
「止めろ、バレット。
 女神が望んだ事じゃ、ない」
激情を抑えて出した声は奇妙に掠れていた。
それでもクラウドの頭の何処かは、何故か冷静だった。
「め、女神!?
 じゃ、この目の前の方はリーリィーンさまか!!」
「ああ、おそらく」
バレットは信じがたい現象に幾度も幾度も口をぱくぱくと開閉させる。
そしてクラウドは。
エアリスの姿で話し掛ける女神の、その事実に 暗澹とした思いに苛まれつつあった。

間に合わなかった・・・手遅れだった・・・俺は、俺は。
エアリス、君に何もしてあげられないかもしれない。
女神の器になって、戦争に協力させられて。
何処かで、もっと早く気付いていれば。
俺が。
俺は。

『女神』は輝きを失ったクラウドの双眸に、その絶望を見て取った。
小さく眉を顰め、それでもなお美しい貌を真っ直ぐに彼へ向ける。

―――『月弓のしずく』をわれの手に

『月弓のしずく』。
幼馴染みのティファが、命を賭して国外へ持ち去ったもの。
エアリスが最悪の事態を避ける為に、ティファに託した宝玉。
爛々と、碧の瞳を煌めかせ。
エアリスの身体を持つ女神はクラウドに『命令』した。

―――最早時がない。
   わたしの意識はこの娘と共に、封じられる。
   行くのだ、疾く。
   『月弓のしずく』を、われの手に・・・!

バレットは煙と熱で息苦しかった身体が、急にひんやりとして呼吸が楽になったことを知った。
どうやら女神が今現在出来うる恩恵を自分達に施してくれたらしい、と気付き。
ぐいっとクラウドの腕を掴んで引き寄せた。
「焼け死ぬ前に行くぜ・・・っ!!」
女神の、いやエアリスの姿はまた徐々に薄れてゆく。
クラウドはぼんやりと突っ立って、ただそれを見つめているだけだ。
「クラウドッ!」
バレットは痺れを切らして、今度は反対側の腕を掴んだ。
そうしてバレットは、今にも泣き出しそうな彼の表情に息を呑み。
二、三度首を振るとそのまま強引に脱出を図る。

「心配ねえ!心配ねえっ!!
 首尾よく宝玉を取り戻して、彼女を元に戻して。
 お前達はまた仲良く笑い合えるさっ!!
 うまく、いく・・・きっとうまくいく!!」
じゃなきゃあんまりだ、あんまりだ。
泣けないクラウドの代わりに、バレットはぼろぼろと泣いていた。







―――・・・時とは残酷なものだ。
   この国を築いた者達はとても好ましかった。
   わたしの魂(たま)を預けるほどに、好ましかった。
   しかしそのわたしの好意がこの事態を招いたとは・・・
   笑えぬな

去ってゆくふたりの姿が。
炎の向こうで揺らぎ、消えてゆく。
入れ替わるように騒々しい足音と怒鳴り声が近づいてきた。

―――それでも、愛しい。
   この国が、この民達が、愛しい。
   未だに・・・・・・



女神の、いやエアリスの姿は完全にその場から消滅した。
大勢の武装した兵士が、大慌てで消火作業を始めている。

・・・ただひっそりと。
巨大な扉だけがひっそりと。




風は吹かない。
小高い丘らしきものから見下ろしても、辺りは濃い霧が蟠るばかりだった。
からん、と足元の小岩を蹴って。
ん?とシドは腰を屈めた。
「ほう・・・随分凝ったレリーフだ。
 見ろよ、ヴィン、ユフィ。
 この支柱の巨大さ、造りの精巧さ・・・さぞや文明水準は高かっただろうぜ」
シドはゆっくりとてのひらサイズのレリーフを持ち上げた。
女性の横顔を象ったらしいそれを、ぐっと握り締めると 呆気なくぱらぱらと崩れる。
「・・・何があったってぇんだよ」

クラウドは厳しい顔つきで、眼下に広がる霧を睨んでいた。
ユフィがおずおずと、しかし持ち前の明るさで質問する。
「ねえ?
 『しずく』は?エアリスは?・・・この国はどうなったの?」
ヴィンは銃を握ったまま背後を警戒していた。
新しい煙草に火を点け。
シドがゆっくりとクラウドとユフィに近づく。
「おまえさんの、そのピリピリした感じ。
 この霧の向こうに在るのが・・・『水奏宮』か?」
振り返らずに、ただきつくなるクラウドの視線が。
それを肯定していた。
「・・・辛うじて神殿から逃げ延び、おまえさんは仲間の助けで宝玉を探す為に国外へ出た。
 それで?
 なんでこの不可解な霧はこの国を覆い続ける?
 戦争はどうなっちまったんだ?」

「・・・だ」
湿った空気に阻まれるように、クラウドの返答は聞き取りにくかった。
ただ彼の隣にいたユフィが、大きな瞳を更に見開き。
救いを求めるようにシドを振り返る。



「この国は、滅んだんだ」
繰り返されたその言葉は。
今度はやけに鮮明に響いた。
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