天然の岩石を利用して造られたそれは、この国でも一、二を争う堅牢だった。
厚い岩盤の向こうを流れる豊富な地下水が、牢の温度を下げ、ぬめる床を維持する。
ぼんやりとした蝋燭の灯りだけが、唯一の温かさだった。

「チクショ・・・」
かじかむ指先の爪を囓りながら。
クラウドは外へ出る術を懸命に考えていた。
せめて、この身の傍らにあの愛刀がありさえすれば。
その時さらりと衣擦れの音がして、クラウドは反射的に鉄格子の方を向いた。
「クラウド」
声音を抑え、近づくのは薄墨色のマントにくるまった―――幼馴染みの女性。
「ティ、ファ・・・?」
ティファと呼ばれた女性は目深に被っていたマントを肩に下ろす。
艶やかな黒髪が流れて、漆黒の瞳が微かに潤んだ。
「クラウド、時間がないの。
 手短に話すわね」
こくりと頷くクラウドの変わらぬ強い眼差しに、安心したかのように ティファは言葉を続けた。
「見張りにありったけの金子(きんす)を渡しておいたわ。
 深夜にバレットとナナキがこの牢の鍵とあなたの剣を持ってくるはずよ」
「ティファ、君は・・・・?」
「わたしはやらなければならないことがあるの。
 ―――これよ」
ティファは首に掛けられた『それ』をちらりとクラウドに見せ、 再び胸元に仕舞い込む。
一瞬姿を見せた『それ』は、殆ど光の差さない空間の中で場違いなほど煌めいた。
ティファの胸にすぐ収まったものの、光の軌跡が暫く網膜に焼き付いたほどだ。
「なんだ、それは?
 ・・・宝石なのか?」
「そう、偉大な宝玉・・・『月弓(げっきゅう)のしずく』よ」
「な!?」
クラウドは思わず張り上げた声を左の手のひらで押さえる。

「・・・そうよ。
 この都、いいえ、この国の偉大な守り神『リーリィーン』の、魂(たま)の核となる宝石(いし)よ」



はるか昔、女神『リーリィーン』は約束した。
清らかな水源を持つこの地の、繁栄を。
あらゆる厄災からのこの地を守る、庇護を。
この国がここまで豊かに、平和に育まれたのは心優しいその女神のおかげだ。
その女神が自らの約束を証明する為に、この地の人々に差し出したもの。
それが『月弓のしずく』だった。



ティファが小さく頷き、格子の隙間からぎゅっとクラウドの右手を握った。
「この宝玉と神子を手中にしておけば、『リーリィーン』はその者に逆らえない。
 女神の力添えがあれば戦争で負けるはずはない。
 だから、国王と神官長はエアリスを閉じこめたの」
「・・・っ」
クラウドの肩が、怒りで小刻みに震える。
哀しそうな瞳でティファがそれを見遣る。
「わたしは、エアリスに頼まれてこの『月弓のしずく』を神殿から持ち出すのが精一杯だった。
 エアリスと同じ神殿に仕える身でありながら・・・気付くのが遅かったのよ・・・」
たおやかな指先が白くなるほどティファがクラウドの手を握り締めた。
「宝玉をヤツらの手には渡せないわ。
 機を見てエアリスを救えれば良いんだけど。
 今は逃げることしか出来ないの・・・!!」
「ティファ・・・あてはあるのか?」
「隣国の親戚を訪ねようかとも思うのだけれど。
 追っ手が先回りしている可能性もあるわ」
眉を顰め、紅い唇を噛み締めながらも。
それでもティファは、強い意志を言葉の端々にみなぎらせる。

「クラウド・・・、悔しいわ。
 わたし達、ぬるま湯に浸かりすぎて気づけなかった。
 領土拡大の為に一方的に戦を仕掛けるバカな国王を、止める手立てを奪われていたことにわたし達は気づけなかった。
 だから、だからせめてこれだけは・・・渡せないのよ」




「じゃあ、さ。
 そのお宝な『しずく』ってのはどうなったの?」

ユフィがクラウドの話をどうにかこうにか整理して、真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「・・・見つからなかった。
 ティファも、宝玉の行方もそれきりになった。
 それでも戦争は続けられた」
クラウドが苦みを含んだ笑いを浮かべる。
「で、でもさっ!
 宝石がないと不利だったんでしょ?それでも戦を続けたの?」
「それまでの財源の蓄積もかなりあったしな。
 しかも宝玉が不明になってから、打てるだけの手は打っておいたらしい」
きゅっと煙草を噛みながら、シドがぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。
「おやおや、用意の良いことで。
 そりゃお前さんの恋人が関係してるのか?」
「――――ああ」

口元には相変わらず笑いが貼り付いているが。
クラウドの双眸は暗く淀む。
「ティファが去って間もなく、仲間が牢から救い出してくれた。
 戦争前で警備もざわついてたな。
 俺は、真っ先にエアリスを探した。
 それだけしか、あの時は頭になかったな・・・・・・」




ぶあっと熱風が頬を撫でた。
誰かが誤って神殿に火を放ったらしい。
幾人かの兵士がクラウドを取り囲むように迫ってくる。
ぐん、と巨大な剣を振り上げて、クラウドはその峰で背後の彼らを薙ぎ、 休まず駆ける勢いで、正面を突破した。

どこだ?
どこだ?

火の手は早く、白煙が視界を塞ぐ。
見慣れた廊下を突き進み、愛しい姿を求めた。
やがて神殿の奥の、神官以外には禁忌とされる扉の前にたどり着く。
「クラウド!!」
バレットが巨体を揺らしながら追いついてきた。

ダン!!

強固な扉を前に、クラウドは苛立ちながら拳を叩き付ける。
「ここ、しかない・・・!!
 バレット、どうやれば中へ入れる?」
バレットは浅黒い顔を歪めて、言い辛そうに答えた。
「ムリだよ・・・。
 神官の呪文でしか開かない、と言われてる」
「他にっ・・・!
 他にないのかよ・・・っ!!」
「クラウド、限界だ、引き返そう。
 一個小隊がこっちへ差し向けられた。
 今逃げないとやられるぞ」
「勝手に行けよ・・・!」

が、とバレットが腕を振り上げ、クラウドの頬を殴る。
バレットの腕力は相当なものなので、鉄拳が飛んでくるとは予期してなかった クラウドは、軽く吹っ飛んで壁に強かに打ち付けられた。
「・・・冷静になれっ!
 いくらお前でもひとりで多人数は不利だ。
 お前が必死になって生き延びなきゃ、彼女はどうなる?」
ゆっくりとクラウドの背が壁からずり落ちる。
顎に滴る血を、ぐいっと乱暴に拭い去った。
「・・・この国は腐った。
 俺たちゃ反乱軍とも呼べねぇ少数だ。
 醜く足掻いても、あざとく逃げ延びても、やることをやってくしかねえだろが」
クラウドは、冷めた双眸でバレットを見上げた。
そうしてのろのろと立ち上がり。
バレットに殴られても手放さなかった剣を、ぐっと握り直す。
「・・・あんたに説教喰らうなんて、俺も地に落ちた」
ぼそりと呟き、目を剥いたバレットを笑い。
再び開かずの扉を振り返る。
「――――必ず」
必ず、もう一度この手に。
祈るような思いで手のひらを扉に押し当て。
その刹那。

まるで時間(とき)が止まったかのように。
辺りの喧騒が、しんと静まりかえった。
喉や目を襲っていた煙も途絶え、炎で煽られていた風が止む。
ただならぬ状況に、クラウドが数歩動いたその直後。
はっとして扉の方を振り向いた。
・・・信じがたいことに大きくそびえ立つ大理石の扉の中央がぼんやりと光り輝き。
おぼろげな人の姿がそこに認められた。

「なんでえ、こいつは・・・?」
「エア・・・」
「ああ?」
「エアリス―――」
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