クラウド、と名乗った青年は微かに目を細め、シドを凝視した。
やがてその視線は拳銃の手入れをしているヴィンを掠め、 へたり込んで動かないユフィを過ぎ。
そして枯れ果てた河の上流付近で停止する。

「美しい、国だった。
 その国の中でもこの街は、水と緑がとても豊かで。
 人々も豊かだった」

霧で湿った前髪を鬱陶しげに掻き上げ。
口元だけ笑った顔を、クラウドは皆に向けた。

「不思議だな。
 この霧は一種の結界で、大概の人間は霧の存在に気付くこともないし、ましてや『此処』に入り込むことも出来ないはずなのに」
くしゃりと顔を歪めてシドが片手を挙げる。
「オイオイ待てよ、俺たちゃ怪物でも賢者さまでもねえ。
 多少腕は立つが普通の人間だ。
 摩訶不思議なことは起こせねえぞ?」
「わかってる」
今度は本当に可笑しそうにクラウドは喉をくくっと鳴らした。
「きっと偶然だ。
 何らかの偶然が重なって、あんた達は『此処』に迷い込んだ。
 しかし俺にとってはその偶然も使えるかもしれない―――」
「ねえ、ちょっと!
 解るように言ってよ!
 一体何がどうなってるんだかぜんっぜんっなんだからぁ!!」
ユフィが痺れを切らしたように声高に言い募った。
ったく頭がわりいからな、とシドがくしゃくしゃと彼女の頭を撫で回す。
自分だって実はよく解ってない癖に、とユフィはシドの手を乱暴に 払い除けて下唇を突き出した。

「―――俺はこの霧を、『結界』を壊す為にここに来た」

へ?と虚を突かれたユフィが、クラウドへと振り向く。
「結界が消えれば、あんた達ももと居た場所へ帰ることが出来るはずだ」
クラウドはにやりと口角をつり上げ、要点はこのふたつだけだが、と付け加えた。
「俺は急いでいる。
 この先にある『水奏宮(すいそうきゅう)』と呼ばれている神殿が俺の目的地だ。
 詳しい話は道すがら話そう」




「クラウド!!」
ピンクのリボンをひらひらさせながら、駆けてくる。
クラウドは丁度宿舎の前に帰り着いたところで。
あまりのタイミングの良さにびっくりしながら、それでも暫くぶりに見る 彼女の姿に顔を綻ばせた。
「・・・エアリス」

長いローブに足を縺れさせることなく、軽やかに彼女はクラウドの広げた腕の中へ 飛び込む。
とん、と柔らかくてしなやかなその肢体を。
クラウドは少し力を込めて抱き締めた。
甘い、花の香り。
さらさら指をすり抜ける長い髪。
綺麗な綺麗な翡翠の双眸。
黙っていればおしとやかに見えるのに、彼の腕の中で顔を上げた彼女は、 大きな瞳をくるくるさせて喋りだした。
まるで子供が急いで親に今日の出来事を報告するように。

「あのね、あのね!
 わたし神子(みこ)に選ばれちゃいそうなの。
 ね、どうしよう!?」




「・・・俺はこの国の剣士で、彼女は神殿に勤めてる侍女だった。
 水奏宮はこの国の守り神を祀る最も権威ある神殿で、その権力は国王と同等とも言われている。
 だから俺たち兵士が水奏宮を護衛する仕事も多くて。
 ・・・エアリスと俺は幾度か顔を会わす内に親しくなった」

瓦礫に埋まったような道を、足早に歩きつつ、クラウドはぼそり、ぼそり、と言葉を紡ぐ。
疲労の濃い顔に、懐古と諦めを含んだ瞳の色をして。
―――まるで取り戻せない大切な想い出を語るように。

「神子は神託の力を持つと神殿に認められた者だ。
 確かにエアリスはちょっと不思議な娘だったが、まさかそんな力があるなんて俺は思いもしなかったから・・・驚いたな」
「へええ、ミコ、ねえ。
 それっていわゆる処女で、穢れたら力を失うってヤツ?
 じゃあんたは恋人として手が出せないから、たまんないわよ
 ねえー」
ユフィが乏しい知識総動員させて、わざとらしく明るい口調でふざけた。
クラウドは横目でじろりと睨んで、小さく溜め息を吐く。
「どこの世界も同じだと思うなよ。
 『此処』では力さえあれば、『神子』は男でも年寄りでも、子供を産んでいてもかまわないんだ」
「・・・・・・え?そ、なの・・・?」
面食らって口を半開きにしたユフィを、シドがニヤニヤしながら肘で小突いた。
「ああ。
 しかし、神子に選ばれれば“公”に縛られた状態になる。
 私生活というものが殆ど無くなるんだ。
 神子が中心の祭りも多いし、王との謁見も比較的自由で、それなりの地位を望む者には打ってつけだがな。
 ・・・彼女は、敬愛する神に選ばれる事は嬉しいけれど、
 『神子』として生きることは嫌だと言った」

ねっとりと霧がその濃度を増したように思った。
ヴィンは背に貼り付くようなマントを気にすることもなく、赤みがかった瞳を あちこちへ奔らせている。
クラウドも事の次第を語りながら、常に周りの気配を窺っていた。

「断る、つもりだった・・・彼女は。
 神子の候補はまだ幾人か居たから、そう出来ると思ってた」

淡々とした声音に、僅かに怒気が含まれた。




幾人かの腕が、クラウドを雁字搦めに抑え込む。
ぎり、と噛んだ唇がぷつりと音を立てて切れた。
「どうしてですかっ!!」
眼前に立つ、彼の直属の上官であるザックスにクラウドは叫んだ。
「どうして、エアリスに会えないんですかっ!?」
ザックスは眉間の皺を深くしながら、低い声で答える。
「彼女は正式に神子に選ばれた。
 お前のような一介の兵士が、簡単に口を利ける存在ではなくなったのだ」
「彼女は断ったはずだ!!
 他にいくらでも神子になりたいヤツは居た。
 ・・・誰だって知ってる、 神子は殆ど形骸化していて神殿側にそんな強制力はないはずでしょう!?」
「・・・ああ、そうだ。
 国が大事(だいじ)を抱えていなければ、な」
「な―――!?」
「彼女の力は、本物だったんだ、クラウド。
 気の毒とは思うが諦めろ」

わなわなと身体が震えた。
クラウドは信じられないといった風に首を振る。

「何、を言ってるんですか。
 大きな天災も起こってないし、魔獣が増えたわけでもない。
 平和、そのものでしょう・・・この国は」
押さえ付けられ、中腰のまま呟くクラウドを、ザックスは憐れむように見下ろし続ける。
「何が、大事なんです?
 最大限の神子の力を欲するほどの大事なんですか―――?」
「クラウド、もう止めろ」

「・・・戦争、なんですか?」

ザックスを射抜くような視線のまま、クラウドは両の拳を固く握り締めた。
絶望感が胃を迫り上がり、喉元を塞ぎ。
酸欠で脳がぼんやりとする。



(この頃、変なの)
(肌が泡立つくらいの欲望を感じるの)
(変なの、・・・不安なの)



あれは、いつだったのか。
自分が、国境へ向かう前の晩だったか。
いつも笑って送り出してくれる彼女が、ほんの少し。
本当に少しだけ怖がっていた。
自分は一笑に付したけれど。
彼女は、とても怖がっていたのかも知れない。

ザックスは是とも否とも言わず、ただ黙り込んだまま、目蓋だけを閉じる。



絶望は、現実の形になった。
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