彼女が屈み込んだ時に、その淡い色のリボンがふわふわ揺れて。
何を意識するでもなくそれに指を伸ばそうとした。
すい、といきなりリボンは空を切って。
クラウドの指の先には、碧の光がリボンの代わりに揺れていた。

おそらく彼が何をしようとしたのかは彼女には解らないまま。
彼女はじっと固まったように動かない。
優しい稜線を描く頬が、夕焼け色に反射している。



クラウドは そのまま彼女の頬に、そっと触れてみた。
やや荒れた指先に彼女の乱れた幾本かの髪を軽く絡ませ、 ゆっくりと耳の後ろに流した。
そのまま、視線を逸らして数歩先へ進む。
彼女は黙って立ち上がって、何も言わずに彼の後を歩んだ。



――――リボンでも褐色の絹糸でも、雪のような膚(はだ)でも。
どれでも良かった。
彼女に、
触れたかった。
振り返らずに足を進めながら、クラウドはやっと気付いた。



もっと早く。





どうして。








気付かなかったのだろう。






老人は太い指先で、繊細にその品を磨いていた。

からん

扉に申し訳程度に取り付けたベルが鳴る。
左眉だけが器用に吊り上がり、額に皺を刻んだ。
「いらっしゃい」
ベルと同じく、申し訳程度の挨拶をしてから「おや」と首を傾げる。

店に入ってきた若者は左頬を僅かに腫らして、 憔悴したように目元に薄い隈を作っていた。
だがその薄青の瞳は力を失わず、人生を達観した老人の彼が思わず注視してしまうほどの 輝きを持っている。

「あの・・・」
一通り店を眺めて、若者は老人に声を掛けた。
「はい?」
老人は品を磨く手を休めることなく応(いら)えを返す。
「遺跡に関する書物とか・・・ありませんか」
「あの、遺跡かね?」
こくんと頷く若者を、老人は物珍しげに頭から爪先までじろりと眺める。

引き締まった筋肉や、陽に焼けた肌や、何より背中の大刀は 彼が学術的に遺跡に惹かれたのではないことを推測させた。
単なる観光か?・・・それもしっくり来ない。

「書物はお偉い学者さんがたくさん出しとるが」
ぎしっとカウンターの椅子から立ち上がり、若者の前に出る。
「・・・誰も正確な答はわからん。
 あれについて解っとるのは古い、古い物だということだけだ」
若者は・・・クラウドは困ったように唇を引き結んだ。
首筋を右手で撫でて、暫し考え込んでいたが その視線が店の片隅にさまよった時、いきなり顔を上げる。
「クリスタル・・・・?」
ああ、老人は頷いてクラウドが見ているその品物を手に取った。
「良い品だろう。
 昨日入荷したばかりでな。
 ゴンガガで取れる最高級品だ」

掌にすっぽり収まるほどの透明なクリスタルが数個、そこに 飾られている。
光を反射するそれは、エアリスの持っていた魔法マテリアによく似ていた。

乱反射する光の帯の中で、放たれる癒しの風・・・・・・

無意識に老人からそのクリスタルを受け取り、握り締める。
「高いぞ」
「え?」
随分間の抜けた顔をしていたのだろう、老人は「がはは」と笑って ぽんぽんとクラウドの肩を叩いた。
「ここは民芸店だ。
 なのに何故わざわざ高品質なクリスタルを入荷すると思う?」
「さ、あ?」
こほん、と咳払いをして老人は幾度も旅人達に繰り返したセリフを諳んじた。

「この町の小さな遺跡の中で、最も謎とされる石盤があってな。
 黒岩で出来た不思議なそれは、祭壇ではないかと言われておる。
 ・・・その祭壇には幾つかの小さな窪みがあって」
老人はクラウドの手首を掴み、彼の持つクリスタルが 電球の灯りに照らされるように掲げ挙げる。
「もう誰が言い始めたのか解らんのだがクリスタルをその窪みに填めると “階段”が顕れるといつからか、信じられていてな」
「かい・・・だん・・・」
「ただ、いろいろ条件があるらしい。
 季節、時間、日の高さ、星の位置、そして填める窪みの位置。
 全てが歯車のように噛み合って初めて」
にやり、と老人は笑い、クラウドから手を離した。
「・・・“階段”は出現する」



クラウドは幾度か瞬きを繰り返し。
こくりと唾(つばき)を呑み込んだ。

『階段』。

古い遺跡に出現するという、『階段』。



「どうだ、ロマンチックだろう。
 大方昔に、この町の誰かが客寄せで創り出した“伝説”だろうがな」
わはは、と明るく笑い飛ばして老人は 再びカウンターの中へ入ろうとした。
そこへ
「これ、貰うよ」
クラウドは手の中のそれを見つめたまま、口を開いた。
「――――安くしとくさ」
厚い唇の端を吊り上げて老人はすっと右手を差し向け、五本の指を広げる。
「5000ギル」



値切ることもせず、若者は金を払って店を出ていった。
老人は椅子に深く腰掛けて、汚れたジーンズの脚を組む。
大昔、自分もあの若造と同じ人間だった。
常に『戦う』側にいる、人種だ。

その『側』にいる奴は、自分では意識しなくても 絶えず何らかの戦いに身を置いている。
また、そうでないと不思議なことにだんだん息が詰まってくるのだ。

そういった人間に昨日も老人は会っていた。
黒髪の、物静かな男。
奇妙だ。
こんな辺境で、その手の人間に立て続けに出会うとは。

老人は肩を揺すって笑った。
それでも。そんな人間でも、いつかは。
現在(いま)の己のように『戦い』に枯れる時も、来るのだが。

「さて、さっきの子は一体何を相手に戦っているのかのう」
己自身か、正体の解らない敵か。
それとも決められてしまった結末なのか・・・・・・






きつく縺(もつ)れた糸が、するすると自分の指で解れてゆく。
・・・そんな一種の興奮をクラウドは覚えていた。

この小さな町に来るように仕向けられた。
だから、ヒントがあるとすればこの町の外れにある遺跡であるとしか 思いつかなかった。
図書館なんていう高尚な建物もなく、かといって役所らしき物もない。
それらしい店を当たり始めて、そして掴んだ手がかり。
遺跡に顕れる『階段』はアイツの言った『星の階段』に違いない。

「うまく、運びすぎだな」
きゅっと手の中のクリスタルを握り締めて、山の端(は)に浮かび始めた 月を見る。
所詮、自分は動かされているだけだ。
だがクラウド自身が動かなければ、あの青年はクラウドを導かないと、言い放った。
まるで独り立ちし始めた子供が道を誤った時、気付かない内に修正してくれる 親のようだ。

(・・・子供かよ。俺は)
フン、と鼻で笑って小さなクリスタルを懐に仕舞った。
今度は空になった掌を何度も握ったり、開いたりしてみる。

逢える、かもしれない。
彼女に。

過大な期待はしまいと言い聞かせながら、湧き出る感情の制御が出来ない。
彼女に、もう一度逢えるなら自分は死体になっても良い。
一言、伝えることが許されるなら。



「―――好きだよ」


俺は俺が信じられなくて、君を見ている自分の感情の色が解らなかった。
俺を捜してると言ってくれた君の言葉に、きちんと向き合うことを畏れた。

君を繋ぎ止めて。
どうして笑いたくて、泣きたいような気持ちになるのか知っておかないといけなかったんだ。

君にちゃんと伝えておかないと。
・・・俺はぐるぐると同じ場所に居るだけで。



銅(あかがね)の髪の青年が示したチャンスを逃したくはなかった。
「そうさ」
クラウドは幾度かさまよわせていた指に力を込め、固く拳を握った。
「・・・俺が、選び取るんだ」
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