別れ途 別れ途(みち)



何処かで何かが
キリキリとした嫌な響きを立てながら焼け落ちてゆく。
正面に迫ってくるのは幾つもの怒号。
おそらく、仕切りひとつ隔てた背中の向こうは火の海。
多くの仲間が散り散りになり、
その生命を落とし。
そして僅かな仲間が同じ部屋に残っている。
――――そこはいわば日常から切り離された空間で 焦燥と悔恨と妙な諦観が入り混じっていた。



「お逃げください!!」
声を掛けた本人には有無を云わせないつもりで 源五は振り向いた。
・・・そして言葉が出なくなったのは源五の方だった。
平六も続けざま“早く”と急かそうとして振り返り、 兄の源五と同じように口を噤む。



彼は―――北条二郎時行は微笑んでいた。



そう、見えた。
時行はふるふると首を振り、無表情なまま残った者達の 顔を見渡した。

「もういい。
 もうやめよう」

瞬間、時の流れが凍ったような感覚があった。
源五も平六も振り返ったままの姿勢で、動かない。
桔梗だけがずかずかと近寄り、時行の肩を掴んで叫んだ。
「・・・正気か!?次の機会があれば勝つかもしれな・・・」
言葉の途中で再び、時行は首を横に振った。
桔梗の手を徐に外して、また笑む。
「桔梗、おまえ一人ならここを抜け出せるよな?」
「・・・・・・だったら?」
口の中が粘ついてそういい返すのが精一杯だった。
「解ってる癖に。これ以上、言わすなよ」
「・・・・・・」
それはまだ時行が子供の頃、よく見せた笑顔だった。
“じじい”のくどくて長い昔語りを上の空で聞いていて それがばれた時に見せたような。

太刀をその場に残したまま、時行は歩き始めた。
源五達もそれに従う。
桔梗だけが彼らを見送る形になった。

「・・・二郎、さま」
無意識に呼び慣れた名が桔梗の口をついて出た。
それが、最後だった。










小さな小さな泣き声。
か細いのに、生命力が溢れた声。
それに混じって優しくあやす声も聞こえてくる。

躊躇うように木戸をくぐり、桔梗はゆっくりと その部屋へ向かった。
軽く軋む縁の音に彼女はとうに気付いていたようで 彼が几帳から姿を覗かせても別段驚いてはいないようだった。
ただ酷く蒼ざめた顔色で下唇を強く噛み締めている。
彼女の手の中にはまだ小さな赤子がぐずりながら あちこちに顔を動かしていた。

「・・・あなただけなのね、桔梗」
「ああ」

それだけで彼女は全てを了解したようだった。
この戦の前に時行と何らかの別れは済ませているのだろう、と 桔梗も理解した。
「子供のことは、内緒にしてたのか?」
「ええ―――でも多分、あの人は気付いてたんじゃないかしら」
ふっと笑う彼女の顔は桔梗や時行が初めて会った頃のものより 数段おとなびて、それが桔梗にはとてもやるせなくて、 いつの間にか床の木目を眺める形になった。

彼女はゆっくりと膝立ちで桔梗に近づくと胸に赤子を抱えたまま 深く一礼した。
「有り難う」
その言葉でやっと顔を上げて桔梗も跪く。
「・・・俺は二郎さまに頼まれただけだ」
「でも、来てくれたのは貴方の意志だわ。
 知ってるもの、あなたはわたしが二郎さまとこうなることを反対してた・・・・・だから」
「明日菜どの―――その子に、触れても良いか?」

数瞬の沈黙後、穏やかな表情で彼女は頷いた。
彼はおずおずとまだ目の殆ど開かない子供に手を伸ばした。
ふいに赤子が彼の指をきゅっと掴む。
それは赤子特有の反射に過ぎなかったけれど、 その小さな片手が桔梗の人差し指一本でいっぱいになるのを 彼は妙な感慨で見つめていた。

「赤橋家の元家人で今は馬鹿みたいに平和主義な人を知ってる。・・・そこならきっと安心してその子を育てられるだろう」
すいと立ち上がると桔梗は普段の、てきぱきとした物言いで彼女を見遣った。
「あなたは北条じゃない。
 己の手で土地を耕し、己の手で生活を支えてきた。
 きっとあなた自身の手で・・その子を育てて下さい」
「・・・桔梗どの、あなたは?」

言うべきがどうか、やや彼は迷った様子だったが やがてあっさりと言い放った。
「しばらくは・・・また隠れることになるでしょうけど諦めた訳じゃない。
 仲間もまだ残ってる。
 俺は結局、立ち止まれない様ですよ。
 ・・・目指す先を今更変えることも、出来ない」



―――仲間と共に北条家の再興を求めた、男が其処にいた。

時行と出逢った頃を思い出して彼女は軽い眩暈に襲われる。
鎌倉に戻りたくて戻れなかった多くの死者の声が、指が、想いが、 桔梗を取り囲んでいるのではないかと―――錯覚する。
そしておそらくその全てを承知して自分の眼前で笑んでいる男に、 彼女は我知らず涙を零していた。
これほどの希求を持ちながら、時行の血を受け継ぐ赤子を彼女に 託した、その選択に泣いた。

(二郎どの、二郎どの・・・・・・!!)



《あたしの名は縁起がいいよ。

なんたって『希望』だもの》




――――――明日菜の胸の赤子が、何か言いたげに口を大きく開き、 彼女の乳を求めてくしゅくしゅと顔を擦り付けた。