斎藤篇(前)/10

ぼと。
剣心が握っていた刀を、うっかり落とした。
(ちょっと待て)
(それって時尾さんの口から、志々雄の話を聞かせることになるのか?)
まずい。
剣心は蒼白になりながらも、しっかりと落とした刀を拾い上げる。
(こんな重要なことは、ちゃんと俺から話そうと決めたのに)
「どうした、何かまずいか」
「・・・いや、別に。
 わざわざ時尾さんが訪ねてくれるんだ、巴も喜ぶ」
「年齢(とし)がほぼ同じだからな」
剣心は努めて冷静に振る舞いながら、その場を立ち去ろうとした。
から、と襖を開けて小さく息を吐く。
その呼吸を斎藤は見逃さなかった。
「なんだ、喧嘩でもしてるのかおまえ等」
「・・・・・・」
最初から見透かされていたようだ。
振り返らずともにやにや笑い続ける斎藤の顔が目に浮かぶ。
(この糸目め・・・!)
だがそのまま認めてしまうのは口惜しいので、剣心は斎藤の先ほどの台詞が 聞こえなかったかのように「大久保卿にはいつ会えばいい?」と 訊き返してみたりしたのであった。
斎藤は短くなった煙草を未練たらしく呑み続けながら、「明日の午後だ」と 告げる。
あまりからかいすぎると、返って剣心は開き直ってしまうので それではつまらん、とかなんとか思考しているのは 剣心には内緒だ。
「わかった・・・川路さんは?」
「用があるとか云っていたから、その日は卿の所で合流だな」
剣心は久しく顔を見ていない、大久保と川路の顔を思い浮かべ。
僅かに眉根を寄せた。
あの“志々雄”絡みで自分と斎藤が招集されるとは。
(ややこしく、なりそうだ)
剣心は斎藤の力量を知っているだけに尚更だった。

「斎藤、それで全部か?」
「ああ」
「じゃ、帰るのか」
用が済んだらお払い箱といったような態度の剣心を、 斎藤はあくまで心の内で薄ら笑う。
「まあ、急くな。
 時尾にゆっくり巴さんとの会話を、させてやれ」
「・・・」
あっさりと斎藤の言葉を聞いてる振りをしつつ、剣心は こっそり小さく舌打ちをした。
(俺がすぐに家へ帰りたがっていることを見抜いてるな)
―――ああ、忌々しい。
苦り切った表情(かお)で、剣心は身体を反転させると どかりと畳の上に腰を下ろした。
「時尾さんにはお世話になってるし、彼女が 巴と暫し語らいたいというのなら・・・」
「はっはっは。
 時尾は人気者だな」

ああ、ほんとに。
あの気だてが良くて賢くて、しかも優しい女性が おまえの伴侶だなんて世の中どうかしてる。

そう考えながら、剣心ははた、と思い至った。

・・・いや、待て。
そんな女性だから斎藤を受け入れられたのだ。

すると斎藤がどうしようもない人間に思えて。
剣心は少し愉快な気持ちになったりした。
斎藤篇(前)・完
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