その夜の、それ以降のことは目まぐるしく過ぎ去った。
娘を見つけてもらった父親と、その幼馴染みの 宿屋の主人は、剣心達にあれこれと礼を述べ、出来うる感謝を 探しては提案するという賑やかさだった。
元々恐縮してぎこちなかった剣心は、急用が在るとか時間がないとか、 とにかくいろいろいい訳を並べ立てて。
翌朝早く、出立することに辛うじて成功した。



まだ朝靄の濃い中を、剣心と巴は黙々と連れだって歩く。
もう少しで町を出るかという段階で、ようやく剣心が口を開いた。
「・・・疲れた」
掠れて張りのない声が、本当に疲労していることを滲ませる。
「結局一睡もなさってないでしょう?」
心なしか巴も声が一段と小さかった。
「ある程度睡眠を取らないのは、平気なんだけど。
 親切で優しくて面倒見が良くて。
 そんな人達に囲まれることが、こんなに気を遣うだなんて 思わなかったよ」
「・・・そう、ですね」
人慣れしない少年の背を、巴はまんじりと見つめた。
村の子ども達と遊んでいる時はとても自然だったのに。
彼は自分への好意を意識すると途端に不器用になってしまう。
(でも)
「それだけじゃ、ないのでしょう?」
不意に足を止めて、巴が訊く。
剣心がそれに釣られるようにして、振り返った。
靄がべたりと肌について気持ち悪い。
「・・・うん」
「彼女が、気になりますか?」
「・・・そう、だよ。
 父親があんなに心配して。
 彼女をとても愛しているのに・・・彼女は喪った者ばかり視てた。
 無くす、ということがこんなに本人も周りも苦しいのかと思うと・・・」
巴は湿った髪を撫でつけると僅かに目を伏せる。
「ええ、そう、ですね。
 悼(いた)みが深ければ深い程・・・狂う」
巴の肩が微かに震えた。
じっとそれを見て、何故だか剣心は初めて出逢った頃の、彼女の瞳を思い出す。
「俺が      
剣心がつ、と彼女から視線を反らして呟いた。
「もしかしたら・・・俺が、斬ったのかもしれない・・・って」
巴がはっとして顔を上げる。
   可能性がないわけじゃ、ない。
 俺が、この手で、あの女性(ひと)の・・・」

(あげる)
(わたしをあげる)
(ぜんぶ)
(ぜんぶ)
お ま え が せ お う ん だ

吐き気がした。
目眩がした。
もしも。
そうだとしたら。
俺は。
背負いきれな・・・

じゃり。

小石を踏んで巴が剣心に近づくと、その肩に右手で触れた。
はっと我に返れば、巴の黒檀の瞳が静かに剣心の それを射抜いてくる。
「・・・可能性は、あります。
 けれど今の時世では、残念ですけれどよくある、ことです。
 “あなたでない”可能性も、充分あること」
「と、もえ・・・」
「あなたひとりが加害者ぶるのはどうでしょうか?
 ご自分を責めて、独りで何もかも背負い込むおつもりなら。
 それは、とんでもない思い上がりですよ」
剣心の、薄い色の瞳が大きく開く。
彼は、必死で虚勢を張った幼子がそれを曝かれたように、戸惑っていた。
その瞳に映り込んだ己の必死な顔を、巴はどこか 空々しく思いながら。
剣心の肩に置いた指先に更にぎゅっと力を込める。
「確かに、あなたの行ってきた全てが、正しいとは限りません。
 けれどあなたはそれを承知でなお、ご自分の信じるこの道を ・・・進んでゆく覚悟なのでしょう?
 此処で止まれば、あなたはあなたで無くなります。
 ・・・お願いです。
       信じさせて、ください。
 そうして、わたしの手を取って、離さないで。
 あなたの」
巴は湧き上がる激しい感情のままに剣心首に両腕を回した。
「あなたの傍に居たいから・・・!」

ぴくり、と剣心の身体を震えた。
そう見えた途端、剣心は逆に巴を抱き締める。
巴の肩に顔を埋め、精一杯腕を伸ばして密着して。
彼の、自分に縋り付くその強さに、巴は歓喜した。

(あなたは、わたしに捉えられる)
(あなたは、わたししか見ない)
(ああ)
(全身が震える)
(あなたは、わたしの・・・)

剣心は巴の髪の香りを嗅ぎ。
その柔らかな頬を耳朶に擦りながら。
必死で己の信じる道に、踏み留まろうとした。
   彼女が、与えてくれる。
揺るぎない、俺の、信念を。

幼い自分を守って死んだ女たち。
最強と云われる剣を自分に教えた男。
自分というちっぽけな人間が。
彼らに邂逅した、その意味を。

巴が。
導くのだ。

手を携えて、生きることで。



ふたりの足元で。
踏みつぶされ、それでも背を伸ばして咲こうとする、
杜鵑草が揺れていた         .











(あー、煙草呑みてえ)

飯塚は道端の樹に凭れ座りながら、心の中で愚痴た。
彼の敏い耳は、やや離れた男女の会話を捉えている。

(ほんと、厭きねーなあ、あいつら)
(若いってこたぁ、素晴らしいこった)

くつくつと込み上げる笑いを彼は必死で抑えた。
僅かな物音に、あの抜刀斎が気づかないとは限らない。
(ますます、おもしろくなってきたよな、おい)
へら、と嗤うその口元。
靄の先で。
ふたりは鄙びた我が家へと足を進ませ始めた。
・・・しっかりと手を繋いで。
もう頃合いだと判断して、飯塚は懐から煙管を取り出し、 美味そうに一服する。

「・・・・・・」
あのふたりのような捨て身の純粋さも。
自分のような裏切りに一片の呵責も感じない非情さも。
この世は凡てが同一線上にある。
相反するもの、判別できないもの、形容し難いもの。
それら数多(あまた)が、混沌としている。
いずれ緋村はその混沌の沼に足を取られて動けなくなる。
いや、動けなくなる寸前だったところへ『巴』は彼の前に 現れた。

「しかしよ、これはおまえにとっちゃあ試練の上塗りってとこだ」

おまえは。
彼女の“仇”なんだからさ。

おまえはどんどん、どんどん、追い詰められてゆくだろう。
おまえが信じている、おまえが望むその世界は。
それは俺にとっては鼻先で嗤う、忌むべきものなんだよ。

「苦しめ」

これからだ。
遠くない未来(さき)で、絶望するおまえを。
俺は、見たい。
「そん時ゃ、俺はトンズラしてるかなぁ。
 ああ、残念」

苦しめ。
嘆け。
絶望しろ。

そうして。
万が一、おまえが其処から這い上がれたとしたら。
俺はな、緋村      ・・・・・・



「なあ、俺に見せてみろよ。
 緋村。
 なあ?」



飯塚の吐き出す紫煙と、薄くなり始めた靄が。
混じり合った。
そしていつの間にか、天空に。

陽が昇る。
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