自分が何処にいるのかということさえ、解らなかった。

気が付けば硝煙の立ちこめる中、右往左往していた。

辺りには汗や、血や、脂肪の燃える臭いが充満していて
気を抜けば嘔吐してしまいそうで
少年はぬるぬるした刀の柄を必死で握り締める。
頭に浮かぶのはどうすれば此処から生き延びて家族の元へ帰られるかということばかりだ。
下手に周りを確認すれば身体の部品がもげた死体を幾つも視界に入れてしまう。

「・・・っく」

どうしてこんな処にいるのだろう。
初めはもっと違っていたのに。
自分は沸き上がる高揚感に包まれて、この小さな手の平でも栄光や手柄を掴めそうな気がしていたのに。

大声で叫んでしまいたかった。
闇雲に走り出してしまいたかった。
しかしそんなことをすれば敵に呆気なく見つかり、殺されてしまうだろう。
生きたい。
生きたい。
滑稽なほどの、生への執着。


ひゅっ


何かが頬を掠った。
ちりちりとした痛みが次第に恐怖感に結びつく。
限界だった。
ずるりと滑った地面に何の抵抗もなく崩れ落ちてゆく、その時。

凄い力で腕を掴まれた。
そのままぐいっと少年は引き起こされる。
鈍くなってしまった頭で少年は懸命に現状を把握しようとした。
だが彼のそんな混乱した状態に構わず、“誰か”は少年の腕を掴んだまま ぐんぐんと歩き進んで行く。

「だ、だれ・・・?」

掠れた声でそう言うのが精一杯だった。
味方なのか、敵なのか、それすらも訊けなかった。
縺れる足を必死で動かして少年は付いて行く。
相変わらず腕はしっかり掴まれたままだ。
ふと少年は己の左腕を掴んでいるその手がやけに華奢なことに気付いた。
初めて視線を上げてその背中を見る。
殆ど自分と変わらない、大きさ。
昨日までがっしりした体躯の男達に囲まれていた少年にはその背中が とても細くて小さく思えた。
・・・なのにこの、掴まれた二の腕に伝わる力強さは何だろう・・・・・・


いつの間にか岩陰に連れてこられていた。
「陽が沈むまでここでおとなしくしてろ」
それが、“彼”が発した最初の言葉。

ようやく振り向いたその人の顔を見て、少年は後ずさった。

何故、気付かなかったのか。
赤くて長い髪。
小柄な体躯。
左の頬の、大きな十字傷。
――――――人斬り抜刀斎。あまりに知れ渡っているその名を。

(敵、だ)
忘れていた恐怖が再び甦った。
がたがたと震える右手で必死に刀を握る。
どうしよう、どうしよう、と混乱する中で身体だけは繰り返した訓練を 反芻するように動き、刀を抜こうとした。
が。

ずん

胸に重力が落ちてくるような感覚がした。

刺さるような視線を感じてゆるゆると顔を上げる。
「ひっ」
その眼光だけで、刀を落とした。

「抜けば、斬る」

抜刀斎はそれだけ言うとその底冷えのするような眼光を解いた。
瞬時に強ばっていた身体に柔軟さが戻ってくる。
格の違いを認識して、少年はどうしようもない敗北感に打ちのめされる。

「そうだ。
 しばらくそうしていれば、今日は生き残ることが出来るだろう」

「え・・・」

もしかすると自分は抜刀斎に助けられたのか?
ようやくその事に気付いて、少年はやや腰を浮かせた。
「どうして・・・、僕は貴方にとって敵方なのに」
抜刀斎は無関心な表情のまま、口を動かした。
「・・・震えてたから」

そしてゆっくり少年の方を見る。

「震えながら、生きたいって思ってただろう?」

そんな恥ずかしいところを見られていたのか。
少年の顔がたちどころに赤く染まった。
それが却って少年の口を滑らかにした。
「で、でもあなたは・・・そんな同情で持ち場を離れるべきじゃあ、ないでしょう?
 人斬り抜刀斎がそんな、優しいわけはない・・・」
良くそれだけの勇気があったと、自分に感心しながら一気に喋った。
相手の怒りに触れるかも知れないとは思いつつ、訊かずにはいられなかった。
目の前にいるのは畏れと憎悪と蔑みでもって語られる、『人斬り』なのだ。

―――抜刀斎はやはり表情を変えなかった。
ただ、遠くを見るような瞳をして独り言のように。
語った。

「・・・彼女が遺した言葉の意味が、わからないから」
「なに・・・?」
「ずっと考え続けて・・・身体が動くに任せてる・・・・・・」

目蓋を閉じて開いたときにはもう、先程の遠い瞳は消えていた。

ざっと背中を向けると束ねた長い髪が砂埃とともに舞う。
少年は最後に声を掛けようとした。
が、その言葉が見つからない。
たちまち抜刀斎の背中は掻き消え、少年は落とした刀を拾うぐらいしか 出来なかった。



隊に無事戻ってきた少年を仲間は歓迎した。
ひ弱げな彼があの戦いの中をくぐって無事であったことに対して、 一部の者の妬みもあった。
だが、それは少年にとって今はどうでもいいことだった。


少年の隊が撤退のため、峠を越えているときだった。
誰かが爆煙を指差して叫んだ。
その、彼方に少年は抜刀斎を感じた。
あの小さな、それでいて背負う物の大きな、背中を。
また戦場に戻っても少年は生き延びたいと願った。
生きていれば、いつかは解るかもしれない―――

『彼』に遺された言葉が、何であったかを。
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