「あああ〜っっ」
大きな声をあげて操は慌てて右手を振り回した。



「蒼紫さま、蒼紫さま!!」

少し離れたところで汽船が海面を割って造ってゆく白い泡を見つめていた 男が眼にかかる前髪を邪魔そうに掻き上げながら振り向いた。
長い三つ編みのしっぽを揺らしながら操は急いで蒼紫の側に 駆け寄る。

「これ、これ、これっっ!!!
見るとその左手には古ぼけた紙の束がある。
蒼紫はやれやれといった顔をしてまず落ち着くように操に言う。

「・・・他人(ひと)のものを勝手に覗くのはよくないな」
責めるような口調ではなく、まるで独り言みたいな言い方だった。
「そんなぁ。
 鍵が付いてるわけじゃなし、薫さんだって読むなとは手紙に 書いてなかったもん」

ぷっと頬を膨らまして操は拗ねて見せた。
その表情の愛くるしさに心の中で苦笑して蒼紫の口元がややゆるむ。
そんな蒼紫の様子に安心したのか、操はまた勢い込んでしゃべり始めた。

「それよりも蒼紫さま。
 この日記帳!!
 これ、書いた人ね、 緋村の奥さんになるんですよ!

蒼紫が少し眼を大きくさせたことを確認するとますます得意げに 操は話を続ける。

「始めはね、なんだか婚約者を幕末の動乱で失った乙女の悲恋もののお話かと 思ったらその婚約者、なんと緋村に殺されたんですって!
 それでね、彼女、敵を取ろうと緋村に近づくんです。
 そしてなんと緋村と結婚 しちゃうんですよ!!」

まるで芝居のネタをバラしてでもいるような大げさな身振り手振りで 操はさも驚いたでしょうと確信した顔で蒼紫を見る。
期待に背いてはいけないような気がして蒼紫はぎこちなく 相づちを打った。

「そ、そうか。
 抜刀斎が結婚していたとはな・・・」
心なしか声が乾いていたようだが操は気付かない。
「ね、驚くでしょう?
 緋村ったらあ〜んなガキみたいな顔しちゃってさ、奥さんが いただなんて。
 ね〜蒼紫さま」

『奥さん』のところで彼女の瞳が煌めいたのは 自分の夢を思い描いたからか。
だが操は次の瞬間ふと真顔に戻って手に持っていた日記帳を見遣った。

「でも、コレが必要な緋村の窮地って・・・?
 それに薫さんがコレを持ってきて欲しいってことは  薫さん、緋村の奥さんのことを知っちゃってるんだよね・・・」
ちょっぴり悲しげに目を瞬かせ、操は東京の友のことに想いを馳せた。

「・・・まだ最後まで目を通してないのか」
「うん・・・、なんだかもうビックリすることばかりで 興奮しちゃって」

ぽりぽりと頭を掻きながら操は照れ笑いをする。
コロコロと変わる操の感情の起伏は蒼紫に滅多に 見せない極上の微笑みを浮かべさせた。

「・・・抜刀斎ならうまく切り抜けられるさ。
 心配することはない。
 俺達はほんの少し、彼らの助けになればいいんだ」

操は久方ぶりの蒼紫の笑顔に胸をときめかせた。
(ああ、やっぱり好きだなぁ・・・
 初めてのふたり旅でこんなお顔が見られるなんて し・あ・わ・せだ〜)

たちまち体温が急上昇し、心臓はどくどくと高鳴った。
操は慌てて火照った顔を手に持っていた日記帳で隠す。
そしてはっとした。

「・・・そーだ、続きを読もうっと」

にっこり笑って蒼紫を見ると操は
「蒼紫さま、またあとで教えてあげる」
とかいいながら向こうへ行こうとした。

「おい・・・、まだ見るのか?」
「とーぜんですよ。
 蒼紫さまも知りたいんでしょ?
 硬いこと言わないでくださいね」

慌てて蒼紫は操の手首を掴んだ。
「操」
「え」
切れ長の瞳が真剣に操を見つめる。
自分の右手首に蒼紫の温もりを直に感じて 操は再び顔を赤くした。

「これ以上読むと涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになるぞ。
 やめておけ」
「・・・・・」


みゃう   みゃう

みゃう   みゃう



鴎が猫の掠れたような声で騒がしく鳴いている。



「蒼紫さま、読んでたんですね!?」



みゃう   みゃう

みゃう   みゃう



みゃう   みゃう

みゃう   みゃう



鴎たちはますますがなり立て、陸(おか)がすぐ近くであることを 告げ続けている。

そして。

「・・・・・じゃ、一緒に読みましょうか?」
ぽつりと鴎の声の間を縫って操の声が響いた。
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