夕べの雨が庭先の紫陽花の色を変えている。
草のむせ返る匂いに夏の訪れが確かに感じられた。

ふぅ、と高荷恵はため息をひとつつくと頭の手拭いを取った。
そうして側で昏々と眠る赤毛の男性を見る。

「剣さん・・・?」

反応が無いと知りつつ声を掛けてみる。
剣心は身じろぎひとつせずに横たわっていた。

「・・・・・・」
もう一度恵はため息をつくと剣心の額の汗に張り付いている 数本の前髪を除けた。
しばらくその蒼白い寝顔を見つめる。

彼が志々雄との戦いでボロボロになったとき 誰のために生き延びたいと願っただろうか。

「・・・神谷・・・薫・・・」

自分で問うて自分で答える。
そのくだらなさに思わず自嘲する。


突然カラリと襖が動いて、ひょっこりと当の本人である 薫が顔を出した。

「・・・恵さん、どう?」

おずおずと、それでもしっかり視線を剣心に合わせて 声を掛ける。
さっきまで考えていたことが彼女に解るわけは無いと知りながら 恵は少々慌てて居ずまいを正した。

「大丈夫。後は時間が傷を癒してくれるわ」

その言葉に安心して薫は夕飯の支度を手伝うからと すぐまた階下へ降りていった。
ちらりと見せた笑顔は女の恵ですらはっとするような 愛らしさだ。

「・・・・・」

何度目かのため息をまたつく。

「適わないわねぇ」

あの娘(こ)にはおそらく人の心の中の 闇を一生理解出来ないだろう。
ふとそう思った。
それはあの娘の中の光が強すぎるからだ。

・・・あの娘は『人斬り抜刀斎』の本当の残酷さを、 その闇黒の深さを実感として理解していない。

だが、それゆえに剣心が選ぶのは薫だ。
薫は彼が『緋村剣心』として生きるための 道標のような役割を果たすことが出来る。
それが感覚的に解っていたから恵には最初から自分の負けが視えていた。
もし薫が少しでも負の部分に共鳴する人間であれば 恵は剣心をめぐって薫と女の戦いを繰り広げたにちがいないだろう。

「ケドねぇ・・・」

これほど不利な勝負を本気で仕掛けるほどもう 自分は子供ではないし、なによりも恵は剣心の気持ちを 優先してやりたかったのだ。


・・・湿った風が雨の残り香を運んだ。


諦めようとしている恋だけれど埋み火のように 愛しい想いは残る。

恵はそっと眠り続ける剣心の顔に自分の顔を寄せた。
普段ならその気配だけで剣心に気づかれてしまうだろうが 薬の効いている今ならその心配もない。

恵の唇がかすめるように剣心のそれに触れた。

剣心は眠り続けている。
年甲斐もなく頬を染めながら恵は立ち上がる。

むせ返る草の匂いがちょっとした自分のいたずらを 隠してくれるような気がしてつい行動を起こしてしまったことに 照れているのだ。


「いいわよね、・・・これくらい」


そうしてふいに大切なことに思い当たった。
「あのこ、夕飯を手伝うって言ってたわね?
 ・・・じゃ気を付けないと」
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