- 肆 -


元治元年六月五日、「池田屋事件」。

同じく七月十八日、「禁門の変」。

「小萩屋」は焼かれ、みんなは散り散りになった。
同様に街は火に包まれ、多くの人が家を失った・・・。


焼けた家の残骸を避けながら私は彼の後について歩いていた。
何も言わずにいるけれど彼が私に合わせて 歩みをやや遅くしてくれているのがわかる。
・・・そういえば火の粉が舞い散る中を避難していたときも その小さな身体で私をかばっていてくれた。

たった一つの持ち物である胸の日記帳を抱きしめる。
この頃彼のことばかり書いている。
時々亡き人の笑顔を思い出そうとして ふいに彼の顔が浮かぶこともあった。
そうして何度も繰り返すのだ。

この人が、もっと冷酷な人であったなら。
私が憎むにふさわしい人であったなら、と。


やがて待ち合わせた橋の下に桂が焼け出された人たちと同じような姿で現れた。
京の外れの農村に家を用意したくれたらしい。
手短に用件を語り立ち去ろうとしてふと
「巴君」
と声をかけてきた。

「もし行くあてがないのならば君もそこで緋村と暮らしてくれないか」

思ってもみない言葉にあ然とする。

「『若い男一人』より『若夫婦』の方が周りの目をごまかせる。
 もちろん形だけで構わない」
桂はそこで一呼吸おいた。
「・・・緋村を頼む・・・」


その時わかった。
桂は誰よりも彼を理解していたのだ。
彼の脆さ、危うさに気づいていて・・・そして私に託したのだ。

隣に立つ彼の顔を見る。
桂の言葉をどう思ったのか、少しも表情を変えずに桂の後ろ姿を見送っている。
それは返って不自然な程だった。
彼の本当の反応が知りたくて私から問いかけてみる。

「・・・どうします?
 私は別に行くあてはありませんけど・・・」

「全く無いという訳でもないだろう。路銀が入り用なら用意はする」

まるで台詞の棒読みのよう。
無理にこちらを見ないようにしている横顔をじっと見つめる。

すると根負けしたように大きなため息をつき、彼は口を開いた。
「・・・やっぱり相手に答えを任せようとするのはずるいな・・・」
そして今までで一番の笑顔を私に向ける。

「・・・一緒に暮らそう。
 俺はこんなだからいつまで続くかわからないけど・・・
 できれば形だけでなく・・・
 一緒に・・・」


ああ、
今度は私の顔が赤くなったのが彼にもわかったかもしれない。
身体が熱いのは照りつける夕陽のせいだけじゃない。
私はとうに彼に惹かれていた。
そのことに気づいて私は金縛りに遭ったように動けなくなる。
なんて理不尽なのだろう。
憎悪も悲しみも殺意も蔑みも全てお構いなしに 人は恋をしてしまうなんて。

ごめんなさい。
うれしいの。
ごめんなさい。

誰に謝っているのか、私にもわからない。

でもわかっていることもある。
この恋はきっと狂っている。

彼は自分の命がいつ消えてもおかしくないと思ってる。
だから「一緒に」暮らせる日々は短いと思ってる。

私はこの出逢いが間違いだったことを知っている。
殺意と憎しみの代償をやがて支払わねばならないことを知っている。

私たちはこの恋の未来(さき)を信じていない。



でも。
だからこそ。
ともに居たいと欲した。


彼が右手を差し出した。
男性にしては白いその手のひらをしばらく見つめる。
固くなった身体がゆっくりと深呼吸するようにほぐれていった。
私はこくりと頷いて彼の手を取る。


・・・お願いです。



こんな時、人は泣くのか、笑うのか。
私はきっとどっちつかずの変な顔をしているに違いない。


少しでも長く「一緒に」。



ぎこちなく彼は私の肩を抱いてくれた。
彼の吐息が頬にかかる。


一日でも。



瞼を閉じると
彼の心臓の音が聞こえる。


一刻でも。



彼の鼓動が私の鼓動と重なるのを聴きながら
私は無意識に繰り返していた。



・・・お願いです。

少しでも長く「一緒に」。




・・・またたきひとつでも長く・・・
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