「先生」

あどけなく、私を慕う声は。
最上に愛らしかった。

「先生」

何の懸念もなく、信頼を滲ませる声。
君に、声をかけられる度に。
私の心臓は喜びにうち震えた。



「この林の奥に、宝物があるの」
彼女はワンピースのリボンをひらひらさせて。
私の腕を引っ張った。
「先生だけに、教えてあげる」
丸みのある頬が、小さなえくぼを刻んだ。
柔らかで、温かくて、頼り無げな指が。
青い静脈の浮き骨張った私の指を。
一所懸命に掴む。

このひたむきさ。
この純朴さ。
この、汚れなさ。

あと二、三年も経たないうちに。
彼女の背は伸び。
胸が丸み。
腰がくびれ。
その辺の男達に、色目を使うようになる。

いま、この瞬間の。
最高の、玩具。



「ほら、あそこなの」
シダや苔や落ち葉が、びっしりと詰まったその狭い場所に。
頭上の陽光を鮮やかに照り返す『もの』が在った。
「ほう、これは・・・」
腰を屈めて、顔を近づけ。
紅い水晶のようなそれを観察する。
「この造形・・・珊瑚を連想させるが。
 いやしかし鉱石のような輝きだ・・・」
「綺麗でしょう?
 偶然見つけたの。
 最初は野ウサギの穴かと思ったんだけど、
 赤い光が零れてたから」

大切な大切な秘密を、信頼する私にだけに打ち明ける恍惚感に。
彼女の頬が、薔薇色に染まる。

この、純粋な感情を。
彼女はいつまでわたしに捧げてくれるのか。

来年は?
半年後は?
明日は?
――――――次の瞬間は?



気が付けば。
私の十本の指は。
彼女の細く柔らかな、白い首に。
ギリギリと食い込み。
細い気管を潰された彼女は、声どころか呼吸すらその愛らしい唇から 漏らすことが出来ず。
だらりと舌を覗かせ、唾液を顎に滴らせ。

あっけなく動かなくなった。



・・・はあ
・・・はあ
・・・はあ



幼い躯のまま。
愛しい娘は、愛しい姿のまま。

私の永遠になった。











「先生」

何の色も含まない、むしろ無視されているような。
そんな響きを含ませた声で、彼が私を呼んだ。

この冬、初めての積雪が。
小さな町を、真っ白に塗りたくってしまった、そんなある日。

「・・・行方不明の生徒さんについてですが」
彼は紙のように白い顔をして。
赤ワインのように紅い唇をしていた。
この、白い背景の中で。
浮き立つような真っ黒い、スーツ。

「随分と貴男に懐かれていたそうですが。
 お心当たりは、ないのですか?」
す、と弓の弦のように張った眦と、沈々と冴えた黒い瞳。
それが。
私を疑っていると、あからさまに物語る。
「さあ、私には皆目・・・」
視線を逸らし、かぶりを振り。
遺体が発見されない限りは。
私にはなんの害も及ばない。

「おや?」
彼はふと気付いたように、私の斜め後方へ視線を動かした。
「・・・今、紺色のワンピースが・・・」

それは、私の学校の制服だ。
慌てて私は振り返る。
「あの方向に駆けてゆきましたよ?」
長く細い指で、彼が指し示したのは。
まさしく、彼女と私の、思い出の林だった。
「生徒さん達は、この辺りでよく遊ばれるのですか?」
「え、ええまあ・・・活発ですからな」

にや、と口角をつり上げ。
彼は嗤う。

「・・・雪が溶けたら、
 あの林を捜索してみてもいいかもしれません」











ざ、ざ、ざ

膝下まで積もる雪を、踏み分けて。
真夜中に、私は林の中を進む。

あの子を、私はどうしたのだろう?
記憶があやふやで、よく思い出せない。

腐葉土の下へ、埋めたのか。
そのままうち捨てたのか。
思い出せない。



・・・はあ
・・・はあ
・・・はあ



「此処だ」
紅い光が。
雪面に映えていた。

あの子の、宝物だった『もの』は、私が見た時よりも一際大きく
なっていた。

深い、深い、紅。
雪明かりを圧倒するほどの、紅い輝き。

「先生」

びくりとして、振り返った。
忘れもしない、あの愛らしい声が。
私を呼んだ。

「先生」

今度は向いた方向と反対から声がする。
再び私はあの子の宝物の方へ顔を向けた。

「せん・・・せ・・・ぇ・・・ぇぇ」

眼前の、紅い『もの』が。
どくどくと脈打ち、ざわざわと表層を蠢かせている。

「せ・・・せ・・・えぇぇええぇえぇ」
ざわざわ
「ぇええええぇえええええ・・・」
ざわざわ

「羽音か・・・!!」
信じられないことに、彼女の声だと思ったそれは。
紅い小さな羽虫たちの。
羽音だった。
彼女の見つけた『もの』は。
小さな小さな。
数え切れない羽虫たちが。
集合し形成した『綺麗なもの』だったのだ。

ぶぶぶぶぶぶぶ・・・ぶぶぶぶぶぶ・・・・ぶぶ

耳障りな低音と共に。
ぐにゃりとその紅い『もの』は、ぼろりと崩れた。
真っ赤なインクを、吹き散らしたかの如く。
その虫たちは黒い空へ網のように、拡がり。
紅い霧が立ちこめるように、視界を覆う。

私は、不可解なその光景に口をだらしなく開いていた。
そこへ紅い羽虫たちは次々と飛び込んでくる。
慌てて口を塞ごうとした。
虫たちは今度は鼻腔へどんどん進入した。
払い落とそうとした、指と爪の間にも入り込んだ。
両の耳穴も、やつらでたちまち塞がれた。
苦しくて剥かれた眼球と目蓋の間にも、群がった。
毛根から、頭皮へと何匹も潜り込んでくる。

ぶぶぶぶ・・・じじっ・・・ぶぶぶぶぶ・・・・・・じっ



やがて私は、真っ赤な『もの』になった。































ぶぶ・・・ぶぶぶ


狡いよ・・・先に帰っちゃダメなんだよ?


ぶぶぶぶ・・・ぶん


みんなみんな、集まって


じ・・・じっ・・ぶぶ・・・




ひとつにならなくちゃ―――
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