ばさっ

夢幻君の、細長い腕が躊躇うことなく。
彼女を覆っていたシーツを剥ぐ。
散々人に覚悟をさせて置いて、彼のその行動は容赦が、ない。

捲れたシーツは、一瞬僕の視界を全て遮り、そして。
僕の眼前に全身をさらけ出した彼女は。



躯の殆どを失くしていた。



『欠ける』。
確か夢幻君はそう言った。
現在(いま)、僕の瞳が映している彼女の状態は正(まさ)しくその表現が ぴたりとする。

まるで写真に何カ所も煙草の火を押し付けたように。
まるでカビがどんどんその菌糸を拡げてゆくように。
まるで蟻に囓られてゆく、昆虫の死骸のように。

『欠けて』いたのだ、彼女は。
その上『欠け』続けてもいる。

――――――幾ばくもしないうちに、彼女は完全に消滅してしまうだろう。

「あ・・・」
彼女に残されているのは、両の眼球と、唇と。
右側の鎖骨部分と、左腕上部の一部と。
胸部の心臓辺りと、腹部の盲腸あたりと、左大腿がほんの僅か。
足首は完全に消えていて、何故か右足親指と薬指が残っている。
「ああ・・・」
右側に残っているたったひとつだけの爪は、もう何の指の爪先なのか判別がつかなかった。
・・・おそらく包帯で巻かれている部分も、全てそこには何も無いのだろう。

僕は無我夢中で夢幻君からシーツを奪い取って、彼女に抱きつくようにして それを被せた。
不思議なことに、シーツの下の躯全体の膨みを感じることが出来る。
・・・見えないのに。
そう思っていると、透かさず夢幻君が口を開く。
「今はまだ『目に欠けて見えているだけ』の現象だ。
 だが、完全に欠ければ全て消える」
「何とか、何とかならないのか!?
 これを止める手立ては、ないのかっ!」
僕は包帯で巻かれた彼女の頭部を撫でた。
僕のすぐ下で、彼女の瞳が哀しげに揺らぐ。
ぽたぽたと零れた僕の涙が、僅かに残っている彼女の頬を濡らした。

「・・・これは彼女の一族に掛けられた呪いだ」
はっと、僕は顔を上げた。
彼女も一瞬瞠目して、そして観念したように目蓋を伏せる。
夢幻君は、ゆらゆらと紫煙を吐きながら、部屋の片隅の壁に寄り掛かって 僕たちを見つめていた。
冷たい、冷たい、それでいて何処か懐かしいような・・・ まるで光の差さない真っ暗な海の色のその瞳は、そのまま夢幻君のようだ、 と僕はぼんやり考える。
「決められた年齢になると、その呪いは発動する。
 君に家族のことも自分のことも話さなかったのは、彼女がその呪いに君を巻き込むことを恐れたからだ」
「呪いは、解けないのか?」
「呪いを掛けた本人はとっくの大昔に死んでいる。
 掛けた本人が居なければ、呪いを解くことは不可能だ」
「・・・・・・」
「それに、彼女は一族最後の人間だ。
 これで全てが終わる」
夢幻君の白い顔が、白い煙でぼやけて映る。

打つ手はなく。
呪いも終わる。
ぼろぼろと、ただ涙だけが。
止めどなく。



ぱたん、とドアが閉まる音がした。
部屋には僕と、彼女だけだ。
僕は、彼女を抱き締めた。
彼女は、吐息で僕の抱擁に応えた。

彼女の、唇が欠け。
彼女の、右目が欠け。
・・・やがて、最後に残った左目も欠けた。

ぽす、と間抜けな音がして。
くしゃくしゃになったシーツを抱き締める僕だけが
残った。



彼女が欠けて、僕だけが残った。











―――ニイサン

「済んだか?」

―――ああ、礼を言うよ

「とうとう彼を喰わなかったな」

―――やはりお見通しだったのかい。
いいさ、自分で選んだことだし。

「好いた男を喰わないと、
お前の躯は維持できないんだろう?」

―――そう。

「どうして彼は喰えなかったんだ?」

―――どうしてだろうねえ?
何度も何度も男を喰って、美しい自分を残しても
何か足りなかった。
何か、欠けてた。
アタシは常に、満たされなかった。

「今は、満ちてるのか」

―――そう、そうだよ。
アタシは満足してる。
ずうっとずうっと欠けてたモノを
やっと見つけた感じさ。

「そうか」

―――アンタの大嘘には感謝してる。
一族の呪い、か。
傑作だね、笑いそうだったよ。

「・・・くくく・・・」



―――じゃあ、ね、ニイサン。
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