何を握り締めているのか。
固く、ささくれだった、それ。

幾度も握り直して、その感触を確かめる。
重い。
何という心地よい重さだろう。

ふ、ふふふ・・・・・・

楽しくなってくる。
見ろよ、この鋭い刃を。
指を試しに当てただけですっぱりと切れそうじゃあないか?

ふふ、ふふふ・・・・・・・

こみ上げてくる笑いを極力抑えながら、歩く。
ぎしぎしと床が鳴る。
ほうら、あそこだ。灯りが微かに漏れている。
幾つかの、寝息。
ああ、安らかに、眠っている。
安らかに、安らかに。

―――――――――それを永遠にしてあげよう。





下弦の月の明かりにきらりとそれは反射して。
ぐぐっと内に向かう刃はやはり三日月の形をしている。
きん、と空気を切り裂いてずぶっと鈍い音がした。

ぶしゃあああ

勢いよく吹き出す血潮。
真っ赤な飛沫が、顔に、腕に、布団に、隣で寝ている幼子に、
降りかかかる。

なんて綺麗なんだろう。芸術だ。

何事かと目覚めた子供は、隣の母親の首が無いことに気付く。
ああ、それはね。
ほうら、其処に。君の、足元にあるよ。

おや、声も出ないのかい?
じゃあもうひとつ良い物を見せてあげようね。

ぶん、と鎌の血を振り払って今度は赤ん坊の方へ向く。

柔らかな息づかい、柔らかな頬、可愛いねえ。
きっと柔らかく切れてくれるに違いない。
ゾクゾクするよ。

ぽたぽたと天井から母親の血が滴り落ちてくる。
ぽたぽた、ぽたぽた、まだ降ってくる。

空白が、あった。
そして子供が叫ぶ―――――――――――――・・・・・・


















「夢じゃあ、ないんです」
後頭部がやや薄くなっている小男はだらだらと脂汗を流しながら 頭を抱えた。

「あれ、は必ずやってきます。私には解る。
 大きな草刈り鎌を振り上げて、私の家族を殺しに来るん
 だ・・・」
小刻みに震える手が彼の顔と、膝の上を幾度も往復する。
「捕まえないと。
 殺される前に、あれを捕まえないと!」

男の鼻先を紫煙がゆらゆらくねった。
魔実也は気怠そうに脚を組み替えるとやがて煙草を揉み消した。
「・・・いいですよ。引き受けましょう」
男の話を聞いて、これほど抑揚のない声で応えた者はいなかった。
感情のない、それでいて淀みのない声。

間に合った、そう男は安堵した。
何はともあれ、私は間に合ったのだ・・・


















月は下弦だった。
その影はゆらゆらと頼りなげに闇を歩く。
右手には大きな鎌が握られていた。
ぎしぎしと抜けそうな床を踏み締める。

これだ、この感覚。
右手の鎌の重さ。
これだ!これ、これ、これだ!これだ!!これだ!!

やっと現実になった。
高揚感が沸き上がり、思わず鼻歌が出そうになる。
うっとりと磨かれた刃に己のにやつく顔を映し出してみた。
ふふ、ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ・・・

プレゼントの箱をわくわくしながら開ける如く。
寝室の襖に手をかける。


―――開かない。


腕を動かそうとしても何かがそれを阻むのだ。
畜生。苛々しながら視線を動かした。
闇から浮かび出たように白く、長い指が自分の左手首を掴んでいる。
のろのろと顔を上げて、その青年を見た。

「・・・捕まえましたよ」

男を包み込んでいた高揚感は呆気なく崩れ去った。
闇の中で溶け込むように佇んでいる青年は、ただ其処に居るだけの筈なのに 凄まじい程の抑圧をのし掛かけてくる。

「ああ・・・あああああああっ」
絞り出すように小男は泣いた。



男は彼の家族を殺さずに済んだ。

捕まったのだ。
やっと。
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