それ、なあに?
・・・わたしを殺すの・・・・・・?




大きく目を開いて。
ぐらりと傾く彼女の躯。
美しく纏めた髪がふわりと舞って、見とれる。






「一体何があったんだ?」





駄目なのよ。
あなたとは行けない。
主人が絶対許さないわ。



俺は真剣だった。
どんな障害も障害として感じなかった。
それでも。
君が無理だというなら。
残された方法はひとつ。
俺は懐から包丁を取り出した。





「そして、殺した、か。
・・・まだあるだろう?」





お金が要るの。
でないとわたしは自由になれない。
あなたとは縁がなかったのよ。



人気(ひとけ)のない港。
カモメも鳴きゃあしない。
彼女は別れを持ち出し、俺は逆上した。
彼女の細い首に両手をかけて。
一気に力を込めた。





「・・・それから?」





・・・酒場だったかな。
孤児院育ちの彼女は下働きばかり やらされてた。
小さくて細い躯が可哀想で声を掛けた。
客の一人に買われてしまうとか言って俺に泣きついてきた。
それで彼女を連れて逃避行さ。

だが結局逃げ切れなくて。



一緒に死にましょう。
ほら、ここに縄がある。
これでふたりの手首を結んで、この川に飛び込むの。
ね、一緒に・・・・・・





「君は死ねなかったのか?」





互いの手首を固く結んで
一緒に冷たい水へ身を躍らせた。
だが、俺は死にきれなかった。





「毒を盛ったのも愛していたからか?」





――――――ああ、そう。そうだとも。
不治の病で苦しむ彼女を楽にしてやりたかった。
それだけだ。



あなたにしか頼めないの。
あなたの手でお終いにして欲しいの。
お願い。愛してるなら。





「全て、殺して、そして
自分は生き残って―――終わりか」



















「・・・探し出してくれたのですね、その人を」

高くもなく、低くもない、耳障りの良い声がした。
パイプ椅子にぞんざいに腰掛けていた黒スーツの青年は
ゆっくり立ち上がると
同じく黒い帽子を取って慇懃に その女性に挨拶をした。
彼女も深く頭を下げてそして
青年の背後の男を見遣り、軽く溜息をつく。
その男はやつれ果てて、骨張った背を丸くして
ベッドの上に座っていた。

「この人はずっと“わたし”を殺し続けているんですね」
「そうです。いろいろな場所で、いろいろな時間で。
いつも死にきれずひとり生き残って、
後悔する夢を―――いや幻を視ています」

女はゆっくりと男のベッドに近づいた。
薄い青地の着物からは柔らかな白檀の香りがした。
彼女は白い両掌で男の痩けた頬を包み、ふわりと微笑む。
「わたしが、終わらせてあげる」



男はどんよりした眼で女の顔を見上げた。
次の瞬間『とす』と小さな音がした。



彼女はくるりと男に背を向けてドアの前まで歩き去る。
ゆらん、と男の躯が傾(かし)いだ。
・・・・・・彼の眉間に細いナイフが突き刺さっている。
目を開いたまま ゆっくりとベッドに倒れ込んだ男の姿を
確認して
彼女はノブを回した。

「ご迷惑をお掛けしました」

ドアの蝶番(ちょうつがい)が奇妙な音を立てて閉じた。
青年は肩を竦めながら再び帽子を被り直す。
煙草を取り出し、ゆっくりとそれを呑みだした。

「始まりは一体どれだったのかな?」
ゆらゆらと煙が狭い病室に拡がってゆく。

「相手を一方的に殺しておいて、
その罪の意識から
心中し損なった幻を紡ぐ。
・・・そしていつしかそれは堂々巡りになった。
感謝するんだな。
彼女はそれにケリをつけてくれたんだ。
―――君は本当はずっと“彼女”に
殺されたかったのだろう?」



倒れている男の眉間には女の刺したナイフはない。
微かな傷すらも。



「君たちはこれで互いに相手の命を奪い合った。
もう、二度と再会する必要はないな」
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