真っ白な世界にぽつんとひとつ黒い影。

何もない雪原に彼はひとり足跡を付けていく。

(おーい)

(おーい・・・)

彼は遠くで声を聞いたような気がして立ち止まった。

(・・・いで・・・)

(帰って・・・で・・・)

(・・・帰っておいで・・・)

つん、と清雅な香りがした。

ざざざっと駆け下りてくる音。

彼の目の前に小さな少年が飛び出した。

陽の煌めきのような明るい花をつけた臘梅(ロウバイ)の枝を 肩に担いでいる。

少年も、そこにいた黒尽くめの青年に興味を持ったようだった。

白い歯をにっとみせて話しかける。

「あんちゃん、やけに目立つな」

青年は戸惑う様子もなく薄く紅い唇にふっと 笑みを浮かべた。

「お前は目立たなさすぎるな」

確かに少年はこの雪の中白い着物に白い帯を締め、 透き通るような膚をしていた。

短いおかっぱは薄茶でこの田舎には似合わない綺麗な子供だ。

「あれはお前を呼んでるんじゃないのか?」

今度は青年の方から話しかけた。

少年はとんとんと枝を揺らしながら頭をくるりと山の方へ向ける。

(・・・おーい・・・おーい・・・)

(帰っておいでよ―――・・・)

再び少年は白い歯を見せた。

「いいんだ」

そしてその小さな手のひらをひろげてを青年に向ける。

「こんな手でも必要としてくれてる人間がいる」

じゃな、と少年は振り返らずにぴょんぴょんとまるで兎のように 走り去った。

たちまちその白い姿はまわりの景色に溶け込んで わからなくなる。

「・・・春が来たら、どうするんだ・・・」

青年はそう呟くと、黒い帽子を深く被り直し再び歩を進めた。

山の頂には数匹の真っ白な兎が雪にけむる村をいつまでも見下ろしていた。
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