老人は店の中で相変わらず商売物を磨いていた。
客は滅多にいない。
暇つぶしでもあるし、趣味でもあった。

がたん

乱暴にドアを開いて、少年が走り込んできた。
「じーちゃん!
 腹減った、なんか小遣いくれよ!!」
赤い鼻をすすり上げて、少年はとん、とカウンターに両手をつき、 磨き粉を持ったまま椅子に座って自分を見遣る老人に強請る。
「・・・やれやれ。
 いつからわしはお前のじーちゃんなんだ?」
鬱陶しげに呟いて、老人は歪んだ箱から何枚かギルを掴んで 少年に手渡す。
にこりと年相応の笑顔を見せて、少年は礼を言った。
直ぐさま少年は店を出ていこうとしたが思い出したように振り返り、 こう告げる。
「じーちゃん、知ってか?
 今朝方まだ暗い時間に、光の柱が町のはずれに見えたんだ」
ほう、と老人は興味深げに眼鏡を吊り上げた。
「ちょうどあの遺跡のトコみたいだったんで仲間が偵察に行ったんだけど・・・何も変わりはなかったって。
 これって、商売のネタになるかな?」
老人は苦笑して、頭を軽く振った。
「どうだかな。
 遺跡の規模でも変わればいいんだがのう」
「やっぱムリか」
きしし、と歯を剥き出して笑うと少年は軽やかに駆けていった。
拍子にころりと売り物の小さな人形が棚から転がる。
それを拾おうとカウンターからのそりと出た時、老人はふと昨夜クリスタルを買っていった 若者を思いだした。

まさか・・・

「いや、まさか、な」
ぺしぺしと皺の深い額を叩いて、老人は笑った。





黄色い砂塵が、うねり、歪み、マントを玩びながら消えてゆく。



乾いた大地と、曇った空と。



ぽつりと彼の背中だけが浮き上がって見えた。



「この星の傷みが消え去るには、まだ時間が要るな・・・」
青年は柔らかく微笑みながら、歩き始める。





(―――奇跡を、貴方は起こしてしまわれた)

冷たい吐息が、熱砂に混じった。

「・・・偶然、だよ」
頬を掠める心地よい冷気に目を細めながら、青年は素っ気なく返す。

(あなたが、彼らに手を差し伸べたことが、ですか?)

「・・・奇跡と偶然なんて、第三者が決めることだ」
中天の太陽が容赦なく熱を放出する。
青年の銅(あかがね)の髪が、その強い光を反射して黄金に燃えた。
「アーサーはともかく、バハムートはまだ怒ってるのかい?
 シヴァ?」

(いいえ。拗ねてるだけですよ。
 ・・・我が、創造主よ)






それは、初めての青さだった。
いくら思い返してみても、これほどの青い空を見上げたことはなかった。
座り込んだ状態で下を見れば、噎せ返る程の草の匂い。
慣れないそれに、やや気分を悪くしながら、再度視線を上げる。

・・・暗闇の中を、限りなく細い光だけを頼りにして、歩いていた。
そしていきなり、真っ白な世界に放り出された。
光に慣れない瞳は、その光量を受け止めきれなくて。
意識が、その光に掻き回されている様だと感じた瞬間に、目眩を起こして気を失った。



―――そして、気付けばこの青い空。



こん、とクラウドは自分の頭を叩いてみた。
何か、抜け落ちていないか必死に探った。

(・・・忘れてない・・・・・・)

記憶は、そのまま『持って』これたらしい。
あの青年は何も答えないまま、笑っていたので半信半疑だった。
せめて、彼女のことだけ覚えていればいいと・・・それだけを望んでいた。

例え己が彼女の記憶を無くしていても、最終的に彼女に辿り着く自信はある。
この『世界』に来たことは、それだけの覚悟と決意をクラウドの中に 確立させていた。

けれど彼女の元に辿り着くまでの時間は、記憶のあるなしでは随分と違うはずだから。

「―――ありがとう」
遂に言えずじまいだった感謝の言葉をクラウドはぽつりと漏らした。
あの、マントの青年の意図は解らなかったけれど、おそらく彼は エアリスの為に動いてくれたのだ・・・・・・

愛用の剣もいつの間にか消えていて、文字通り彼は身ひとつだったけれど、 生命力に満ち溢れたこの『世界』の瑞々しさに、不安を抱くことはなかった。
むしろ彼女を見つけることのみに、クラウドの意識の殆どが向けられていたからだろう。

がしがしと頭を掻いてクラウドは立ち上がる。
その時、濃厚な土と草の匂いの中にほんのりと甘い香を感じた。
(・・・花が、咲いてるのか?)

何故だか胸騒ぎと懐かしさに囚われて、
首(こうべ)を廻らし。

そして、クラウドは声を失った――――――











「お花、いらない?」



ああ、どうして聞こえるんだろう。
忘れたくても、ずっと耳にこびり付いていた―――声。



「・・・どうしたの?」



ああ、どうして見えるんだろう。
夢と現と、解らなくなるくらいに思い繰り返した―――姿。







胸に抱く小さな花たちと同じ、薄紅色のリボンが揺れていた。
変わらない笑顔で、少し照れくさそうに頬を紅くして。
簡素だけれど、眩しいくらいに映える真っ白なワンピース。
最期の瞬間に焼き付いた瞳と同じ・・・碧の輝き。



「エア・・・リス」

掠れて、老人のような声だと頭の片隅で思いながら、 縫い止められたように視線が外せない。
やや遠くに、それでもクラウドの正面に佇む『彼女』は、 名を呼ばれて小首を傾げた。
「・・・わたしを知ってるの?」

その時初めてクラウドは、『彼女』が自分のことを覚えていない可能性が在ることに気付いた。
幸いにも彼には記憶が在ったけれども。
転生した『彼女』も同じとは限らないではないか。
「あ・・・」
狼狽えて、クラウドは唇を押さえた。

どう切り出せばいいのか。
『いま目の前の』彼女に。
しかもその前に、切実な問題もあった。
彼女を捕まえたい。
二度と離さないように。
その衝動が、身体の中に突き上げてきて、すぐにでも抱き締めてしまいそうだ―――

顔を赤くして、視線を泳がせる彼の様子に、『彼女』は悪戯っ子のように 吹き出した。
全くこういうところは変わってないな、とクラウドが悔しそうに睨むと 『彼女』は満面の笑みを浮かべて―――そして大きな瞳を潤ませて、 小さな、震える声で、

呼ぶ。



「クラウド―――!」



どうやって抱き締めたかは、覚えていなかった。
考えるより先に動いて、気付けばエアリスを抱き竦めていた。
彼女の首筋に、顔を埋めて。
彼女の髪の甘い香りと、彼女の身体の熱を肺に取り込む。
地面に零れた花々が風に遊ばれて、揺れている。
エアリスの腕はクラウドの首と肩にしっかりと回されていた。



「・・・バカだね、クラウド。
 全部捨てて来ちゃうなんて」
「それでも、欲しいものがあったんだ。
 それでも、やらないといけないことが・・・あったんだ」
「クラウド・・・・・・」



泣き出した彼女の頬に、自分の頬を寄せて。
あっという間に熱を放出して冷たくなる雫を、共有した。
意識よりも彼の肉体が、エアリスがこの手の中に居ることが信じられなくて、 がくがくと震える。

情け無いな。
驚きすぎて、嬉しくて・・・言葉が出てこないよ。
ほら、落ち着けよ、クラウド。



「エアリス」
ゆっくりと顔を上げて、クラウドはエアリスの瞳を覗き込んだ。
吐息が触れあうほど、唇を近づけて、囁く言葉を彼女の 紅い唇の奥に押し込むように。



・・・・・・・・・好きだよ
[FF7 Index]