「とーさん」
白くて柔らかで小さくて。
まるでふわふわ宙に浮いてるのかと錯覚するくらい頼りなく。
・・・伸ばされた腕。
「おいで」
剣心が迷うことなくその手を掴んで。
抱き上げる。
小さな女の子はきゃっきゃっと声を上げて温かな両手を 剣心の首に回した。

「―――ほう、意外にちゃんと父親をやってるじゃねえか」
剣心のすぐ後で。
逞しい体躯の男がにやにやと笑った。
剣心は首を捻ってその男を振り返り見て、はあ、と軽く 溜息を吐(つ)く。
「当たり前ですよ。
 俺はこの子の、父親なんですから」
いつもいつも、からかうのは止めてくれ、といった非難をその 薄い瞳の色に滲ませながら。
「そういわれてもなあ。
 おまえが寝小便垂れて、ぴーぴー泣いてたのがついこの間のこと・・・」
「師匠っ!!
 それ以上喋ると許しませんよっ!?」
剣心が娘の耳を手で塞ぎ。
真っ赤な顔で噛み付いてくる。
(・・・進歩のないヤツだ)
くっくっと喉で嗤うと、その含みを察した剣心がますますむくれて。
「ったく。
 それが人の家を訪ねる態度ですか?」
―――尖った唇がますます子ども染みていた。



切られて出された羊羹が、黒々として。
それがまた甘さを引き立てているようだった。
幼い娘は三口ほどでそれを食べ終わると。
剣心に強請って、外へ出て行く。
まだまだ遊び足りない、といったところか。
風はやや涼しくなったものの、陽が落ちるまでにはまだ間がある。
きゃあきゃあ、と時折あがる甲高い声を聞きながら。
比古はずず、と茶を啜った。

「すみません、まだ越したばかりで散らかっていて。
 せっかく引っ越し祝いにきてくださったのに」
巴はまた新しく羊羹を切ると、その小皿をコトリと置いた。
うなじの辺りで括った黒髪が。
さらさらと揺れる。
「いや、やっとひとつの場所に落ち着けるようになったんだ、 なんにせよ目出度い。
 それにいきなり来た俺が悪いしな」
「いえ、そんなことは・・・」
顔を上げて、小さく首を振る彼女は。
成る程、剣心の云った通り表情豊か、ではないけれど。
その醸し出す雰囲気が甘く柔らかで、彼女の心持ちを雄弁に語っていた。
(極上だ)
比古は我知らず唇を吊り上げていた。
器用そうに見える彼の弟子は、実は異性に対しては不器用で。
しかも彼女と剣心の因縁はひと言では表せないほど、 深くて哀しいものだった。
本当に生きると云うことは。
どんでん返しの連続かもしれない。
剣心と巴は紆余曲折を経て、結ばれ。
可愛い娘までもうけた。
あの、馬鹿弟子が。



「あなたには、感謝している」
不意に低く囁かれた感謝の言葉に、「え?」と 巴が大きく目を瞠った。
茶托の上に置かれた湯飲みの熱さが。
すっかり冷めてしまっている。
「どうしたんですか、いきなり?」
巴が小首を傾げて訊ねると、比古は 「馬鹿弟子の前じゃあ云えないもので」と、笑った。
「あれが、俺のところを飛び出した時。
 正直“無理”だと思っていた。
 世間知らずで、正義感ばかりが先走って。
 いつか、ぼろぼろになる、と懸念した」
巴は微かに身じろぎしたが。
すぐに居住まいを正して、まっすぐに比古を見る。
「・・・実際そうだったらしいが」
苦虫を噛み潰したような。
自嘲のような。
形容しがたい表情が、比古の顔を覆った。
それを見た巴が何か言葉をかけようとした時。
ゆっくりと大柄な身体が、折れた。
比古が。
頭を下げている。
「あ、あの・・・」
慌てた巴の呼びかけを無視して。
彼は言葉を続けた。

「俺が、あいつに教えてやれなかったことを。
 あなたは教えてくれた・・・」



『守る』という、本当の意味を。
『幸せ』という、その在り方を。

剣心が錯綜し、惑い、嘆き。
それでも追い求めた・・・彼の生きてゆく理由を。



ああ、と巴は心の奥底で嘆息する。
剣心が人斬りに倦み疲れ、ぎすぎすと感情の水分を枯れ尽くしていても。
それでも。
最後の崖っぷちで、彼らしく在ったのは。
・・・この人に育ててもらったからだ。

「わ、たしも」
巴が酷く優しい声で、言葉を紡いだ。
「・・・わたしも、彼に教えてもらいました。
 今わたしが、生きている理由を」
比古がゆっくりと顔を上げた。
僅かな驚きが、比古の瞳に浮かんでいる。
やがて。
その切れ長の瞳を細めて。
「あの、馬鹿が、ねえ」
そうひと言漏らすと。

おそらく剣心には一生見せないであろう、微笑を浮かべた。







ばたばたばた

慌ただしい足音と共に。
剣心と娘が駆け込んできた。
草履を脱ぐのももどかしそうにして。
娘は駆け上がり、比古の側を走ってゆく。
「こら!もう少しおとなしく・・・」
「おまえのガキん頃そっくりだな」
にい、と悪そうな笑みを浮かべて比古が剣心へ振り返る。
「何云ってるんですか、 せっかく酒を買ってきたのに要らないんですか?」
娘に続いてずかずかと剣心が部屋へ上がる。
巴に近づき、その酒を渡すと不機嫌そうに比古を睨めた。
くすくすと笑う巴の足に絡むように、娘がくるくる回っている。

ああ、時代(とき)が流れる、と比古は感じた。
飛天御剣流は自分の代で消滅だ。
剣心はまだ剣を振るうだろうが、それはおそらく剣の時代の終焉へ 向けて進むことになるだろう。
そして、あの可愛らしい娘の時代には、もっと別の―――



新しい葉が出るために、古い葉が落ちる。
剣心は比古自身が選んだ譲るべき葉だ。

歩け、と願う。
止まるな、と願う。



生きろ、と願う――――――・・・・・・


きゃー、ししょー別人・・・(^-^;
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