漸く池の氷が張らなくなった頃、それは不意に降り始めた。

「・・・冷えると思ったら、雪ですね」
巴がかたかたと雨戸を閉めながら呟く。
彼女の足元の周りを、小さな男の子がぺたぺたと這い回る。
「この時季に降るなんて困ったな」
苦笑いしながら頷く剣心の左隣で。
五つに満たないような幼女が、紙人形の着せ替えを楽しんでいた。
「ささ、今度は赤いべべにしましょうね」
そうしてちらりと幼女は剣心を見上げる。
「あ、はいはい」
慌てて剣心は胡座をかいている己の膝の向こうの、赤い和紙を掴んだ。
ぱたぱたと器用に折って、幼女に渡す。
「どうぞ」
「ありがと」
幼女は満足そうに受け取ると、また人形で遊び始めた。
「相変わらず手先が器用ですね」
巴が男の子を抱いて、剣心と娘の傍にやって来る。
ぱちぱちと音がする囲炉裏の中心で、鍋がもうもうと煙を上げていた。

「常々思うんだけどさ、俺は女の子の遊びの方が上手だと思うんだ」
幕末に名を馳せた剣豪はあっけらかんとそう云い放つと、今度は真っ白な 和紙を手にとって折り始めた。
巴の腕の中で、赤ん坊が興味深げに剣心の迷い無く動く指先を じっと見つめる。
「あ、水仙のお花!」
娘が自分の人形そっちのけで、剣心の作った折り紙を指さす。
「正解」
「おとーさん、教えて!」
袂を引っ張りねだる娘に、剣心は笑いながら「いいよ」と応えた。
まだ小さな末の子は、自分が喋れないのが悔しいのか、 じっと恨みがましい目をして姉を見ている。
「どうしたの?あなたも折り紙がしたいの?」
甘い声で訊けば、それだけで赤子は嬉しいのかへら、と 笑って。
巴の顔をその紅葉の手で触れた。
「おかーさんが大ちゅきでちゅねー赤ちゃん」
娘がけらけら弟を指さす。
彼女は弟が生まれるときに、おかーさんが構ってくれない、といじけたことを とうの昔に忘れたらしい。
現金だな、と剣心が苦笑すると、娘は不審げに剣心の顔を覗き。
それに気付いた巴がまた笑った。

「あ、今度は梅の花だね」
やはり白い和紙で出来上がった作品を、幼女は嬉しそうに手に取った。
「おとーさんの得意なやつでしょ?」
「・・・そうだよ」
「好きな花なの?」
「とても、ね」
「紅い梅は折らないね」
「・・・そうだね」

娘の頭を撫でながら、剣心が「白いのがすきだから」と付け足した。
ふうん、と頷く娘の横で、ちらりと彼は巴の方を見遣る。
巴は真っ赤な顔して、少し拗ねたような表情をした。
「あたしもねー、白いの好き」
そんな巴の様子に気付かない娘が、無邪気に父親の折った梅の花を 両手の中に包む。
「あのね、木が真っ黒でね、花が真っ白でね、 でね、すっごく良い匂いなの!」
「そうだね」
「まだ寒くて、雪が降るのに、花が咲くの、きれい!!」
「そうだね―――」





それからも幾つか折り紙で遊んで、やがて熱々の鍋を囲んで食事をした。
あっけなく娘と息子は眠りに落ちて。
鍋料理の残りを、巴が片し始めた頃。
剣心がゆっくりと雨戸を開いた。

「どうかなさいました?今日は寒い・・・」
云いかけて巴ははっとする。
漆黒の瞳を大きくして。
やや頬を紅潮させた。
「この香り・・・咲いたんですね」
剣心はにこりとして、巴へ振り返る。
「ああ、さっき気付いた」
巴はゆっくりと立ち上がると、剣心の傍へ寄り添った。
その小さな頭を、剣心の肩にそっと預ける。
「なごり雪の中で咲くなんて・・・“残雪梅”の異名にふさわしいですね」

ふたりの視線の先に。
まだ枝振りは小さいけれど、しっかりと根付いた梅の木があった。
冷たい雪を被りながら、幾つかの花を綻ばせ。
その清(すが)しい香りを放っている。
真っ黒な細い枝が、夜目にも白く浮かび上がる雪と花弁を。
見事に際立たせていた。
そうして鼻腔をくすぐる清水の清冽さにも似た芳香――――――



「あれは、君だ」
暫しその姿と香を、愉しんでいた巴の耳に。
小さな呟きが飛び込んできた。
「おれのとっての君は、あんな形象だよ」
巴は戸惑うように目を伏せながら、微かに首を振った。
「わたしは、あんな風に潔くも凛とも、出来ませ・・・」

言葉は不意に塞がれた唇の中に封じ込められた。
やや冷えた唇が深く合わさると、無意識に逃げようとした舌を、 剣心のそれが捕まえ、熱く絡んだ。
「ん・・・んっ・・・」
酸素を求めてやや身じろぐと、それも許さないかのように剣心は ますます巴の口内の奥へ奥へと入り込んでいくかのようだ。
「・・・あ、ふ・・・っ」
意識がのぼせて、立っているのが辛くなった頃、漸く剣心は巴の 唇を解放した。
ほっと息をついた巴をそのまま抱き上げると、がた、と乱暴に雨戸を閉める。
「・・・君は知らないだろうけど」



血糊にまみれ、後悔に苛まれ。
何処へ向かって良いのか解らなくなっていた俺に。
張りつめすぎて、脆そうで。
それでいて強靱な意志で。
その白い腕を差し伸べて。
そして。
俺を人間(ひと)に戻してくれた。
「凍った世界に咲き薫る花だったよ・・・・」



再び口づけようとすると、すい、と巴の長い人差し指が、剣心の 唇を押さえた。
「いくら、わたしが白梅香を好むからと云って、花に喩(たと)えるのは やめてください・・・気恥ずかしいです」
「・・・でも」
「だめです」
巴はふふ、と悪戯っ子のように笑うと、そのしなやかな腕を 剣心の肩に巻き付けた。
(あなたは知らない)



途方に暮れて、絶望して。
殺意を抱いてあなたに出逢った。
血にまみれた手をしていながら。
たじろぐほどの無垢な瞳をしていた。
それは。
氷の世界にいたわたしを、溶かしてしまったのに――――――



「春告草(はるつげぐさ)・・・」
「え?何?」
「いいえ・・・何も」







闇の中でも。
凍えても。
その香は最上の道しるべ。


梅の別名を並べてみました。 芸なし(爆)
団欒・・・ぽくないですね(^-^;
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