それは見事な桜並木だった。
薄紅色の隧道がずうっと続いて。
その先の出口が霞むかのようにぼやけて見えない。
隣をとことこ付いて歩く剣路がぽかんと口を開けて、物珍しそうに 周りをあちこち見渡している。

「きれー、きれー!!」
ぱちぱちと手のひらを叩き合わせながら、剣路ははしゃぐ。
幾人かと擦れ違い、重なり合って歩いたが、誰もが感嘆の溜息ともに その幻想的な風景を楽しんでいるようだ。
「すごいねー、きれいだねー」
剣心の袂をくいっと引きながら幼子は、うるうるとした瞳で父親を催促した。
「・・・よしよし」
剣心は小さく笑いながら、剣路を抱き上げ、男性にしては細いその肩に するりと乗せた。

手を伸ばせばたわわな花の房に触れそうで。
剣路はきゃっきゃっと声を上げる。
その時。

ざう!ざう!ざああぁぁ

一際強い風が。
隧道を吹き抜けて、花びらを舞い散らし。
―――また幾度も吹き抜けて。

淡く色づく花びらは地面では小さな渦を巻きながら。
しかしそぞろ歩く人々の眼前では。
嵐のような力強さで。
散る、散る、散る。

そして、舞い踊る―――――――――



「うわー、白いー、見て、見て!」
はしゃぐ剣路の髪にも肩にも、その柔らかな頬にも、 いたいけな唇にも。
桜の花弁が張り付き。
それでも構わず、剣路はくるくる目の前で踊る何枚もの 花びらを捕まえようと両腕を振り回した。

彼は自分の父親が。
いつの間にか立ち止まって。
やや表情を硬くし。
彼の喧噪など、何処か遠い場所から届くかのような。
そんな感覚でいることに気付かない。







・・・剣心は文字通り立ち尽くしていた。

桜吹雪。
花ふぶき。

人は、それを過去から現在に至るまでどのように捉えてきたのか。

幻想的で。
儚くて。
美しくて。
哀しくて。
恐ろしくて。




(・・・寒い)

(寒い、寒い、寒い)

指先がかじかむ。
呼吸をすれば、唇が紫に変色して。
歯の根が合わない。
足の指の感覚がない。
歩けない、動けない。

(寒い)
(寒い)

この風さえ止めば。
少しはましなのに。

(寒い、寒い)

風が、体温を奪い、雲を呼んで陽を遮る。

ただ目の前に。
何処までも真っ白な雪が・・・舞うだけだ。

(寒くて、行けない)
(何処にも、往けない)

往けない――――――――――







ぱん、と頬を軽く打たれた。
はっとして我に返ると、柔らかで温かな手のひらが剣心の頬を 包んでいた。
「冷たい・・・?」
不思議そうに首を傾げながら、子どもが問う。
漸く、剣心は己が泣いていることに気付いた。
こんな風に涙を流して泣くのは、何年ぶりのことだろう。
そう、あれは。
『彼女』をこの手で斬って以来―――

「とーさん、見て」
剣路はきゅっきゅっと剣心の髪を引っ張ると、中空を指さした。
はらはらと、はらはらと。
花びらがまるで牡丹雪のように。

降り積んでゆく。

足元は、うっすらと花びらが幾重にもなって、厚くなり。
半分ほど足袋の先を隠すほどだ。



「きれーだね。
 春っていいね。
 すっごく気持ちいいね!」
「・・・ああ、きっとそうでござろうな。
 誰しもが氷が溶ける季節を待ち望んで、そうして謳歌して」
けれど。
「・・・春は好きか?剣路」
「うん!!」
「そうか」
「・・・父さんも?」
「そうだな・・・実はちょっと解らないでござる」
「?」

剣心は剣路を肩に乗せたまま、ゆっくりと歩き出した。
「父さんにとって、春は手の届かないものだから」
「?」
「焦がれて焦がれて、そしてとうとう迎えることの出来なかったものだから」
「・・・春、きらい?」
心配そうに訊ねる剣路へ柔らく笑いながら。
剣心は首を振った。
「いいや―――」







春はまほら。

心地よくて、すぐれた、居場所。
『君』と居た、時間と空間の行き先。
『君』と居たかった、未来(さき)。



例えばこうして幼子と戯れることも。
例えば他人と暮らして、優しい心地になることも。
例えば食べることが楽しくて、何でもない会話に笑い合って、 拗ねて、落ち込んで、胸が温かくなって。
小さくて脆弱なその積み重ねが、どれ程の幸福であるのかを。
教えてくれたのは全て『君』だったのに。

その『君』と共に過ごせなかった唯一の季節を迎える度に。
寒いのは、何故だろう・・・・・・?

本当は。
『君』と迎えたかった。
『君』が居てこそ。
『君』が居たから。
『家族』を持てた。

(君が、教えてくれたんだよ)

だから、笑う。
だから、喋る。
だから、食べる。
だから・・・生きる。







「こんな風に剣路と桜隧道を歩いて、もう少し経ったたら薫殿の持たせてくれた おにぎりを食べる。
 憧れて止まなかった『まほら』に拙者は居る。
 『あの人』が導いてくれた場所へ、必死になって辿り着いて、 やっと拙者は此処に居るのに」
剣心はゆっくりと剣路を肩から下ろした。
ふっくらした頬に張り付いた一枚の花びらを取り除きながら、笑う。

「花びらが、雪に見えて、寒くて仕方ないのでござる・・・」

剣路はきょとんとして、何事かを思考していたが、 不意に剣心の右手の五指をぎゅっとその小さな手で握りしめた。

「こうしたら、いいよ」
「・・・」
「だいじょーぶ、ずっとずっと、一緒」
「剣路―――」
「ずっとずっと、好き」
「――――――・・・」
















あなたが微笑えば



わたしも




『春を待ちながら』の別バージョンっていうか、後日譚?
わたしのキャパの狭さが垂れ流しですね(笑)
「まほら」は「まほろば」でもいいんですが、感覚で短めに。
あとこのテーマで破滅バージョンも浮かびましたが、
それは形になればまた・・・(^-^;
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