「ちょ、ちょっと待ってください」
いきなり現れた品のよさそうな初老の弁護士へ向かって、 温子は困ったように首を振った。
「アポイントもなくやってきて、それでもってそんなことを云われても、 はいそうですか、なんて納得できません!
 それにこんな重要なことマミにも相談しないと・・・」
しかし弁護士はずいっと身を乗り出すと、再びぺらぺらと喋り始めた。
「一年以上かけて、我々は丹念に調べ上げて来ました。
 この物騒な時期に日本まで出向き、しっかりとした裏付けもとったのです。
 そして今日この日、あなたがアメリカの、この街にいること。
 これが神の祝福でなくてなんでしょう!
 奇跡、まさしく大いなる喜びなのですよ!!」
「で、でも・・・っ」
「アツコ=フクネ、あなたはミスター・アルカポンの実の娘なのです!」
弁護士は温子のほっそりとした両手を、そのしわしわの指で握りしめ。
ぶんぶんと上下に振った。
「さあ!さあ!さああ!!
 我々と共においでください。
 父上が待っておられますぞ!」
「え、え、でもマミに云わないと・・・」
「さあっ!!」

ガチャリとドアが開いて。
ふたりの黒スーツの男達が入ってきた。
両脇を抱きかかえられて、あれよあれよという間に外へ連れ出される。

「やだ!横暴!!
 マミ、マミ、マミーッ!!」





依頼された仕事の後始末に手間取って、 魔実也がアパートに帰宅したのはもうすぐ夜明けかという時刻だった。
だが自分と温子が暮らしている部屋の、 ドアの前まで続く多数の足跡に嫌な予感を覚える。
錠のかかっていないドアを慎重に開き、 そして人気のない部屋をざっと見回した。
「アッコ・・・!」
日本を旅立った頃より随分伸びた背や、幅広くなった肩は頼もしいが、 相変わらずの女顔で。
さぞかし女性にもてるだろう、と想像された。
「・・・・・・」
一通り室内を調べ、魔実也は柳眉を顰め、厳しい表情になった。
ここ最近、アルカポンの配下達が自分たちの周りをうろついていたのには 気付いていた。
―――その理由までは解らなかったのだが。

「・・・アッコが目的だったのか?」

カッカッと部屋の奥へ進み。
二重になっている隠し扉を開く。
狭いけれどその棚には探偵の武器や道具がびっしりと詰まっている。

「理由がなんであれ。
 ・・・たっぷりとお仕置きだ」





「マイハニー!」
がっしりとした男性が両手を大きく広げて近づいた。
きちんと整えられた髪や髭。
着込んでいる上品なスーツは、彼の収入が半端でないことを知らしめた。
男は温子の肩を抱き寄せ、キスの雨を降らせる。
温子は気付かれないようにそっと身を捩った。
「あ、あのっ、わたしまだよくわからなくてっ」
「ああ、それはそうだろう。
 いきなりだったからな!
 わたしも勿論そうだよ。
 しかしお前が生きていて居ることを信じ、 探し続けていた年月の長さだけ、喜びがずっとずっと勝っているのだ!」
大仰に顔をくしゃりとして、いい歳の男が涙ぐむ。
実はそんなベタなセリフにころりと騙されやすい温子は、ほろりときた。
濃いめの顔つきは温子に似ているとは思えないが、よくよく見れば目元が少し 似通っているような。
「あ、あたし、あのっ、今はほんと戸惑ってますけど!
 父さんが生きてたなんて嬉しいです・・・っ!」
「マイハニーッ!!」

ぱちぱちと周りの使用人達が拍手を送った。





「あなた、新入り?
 よかったわー、今ちょうど忙しくて」
「忙しい?どうしてですか?」
「つい最近ここのご主人の生き別れになったってゆー、娘さんが この屋敷に来てねぇ、それだけでもお部屋の準備やら衣装の準備やらで 大わらわだったのに、聞いて驚け、もう来月は結婚式だってゆーんだから!
 こっちはてんてこ舞いよ」
「け、けっこん!?」

紺色のメイド服を着た女たちは大広間の隅でこそこそと立ち話の花を 咲かせまくっていた。
今日入ったばかりの新人メイドは背が高くて多少骨っぽかったが、 にこにこ愛想が良かったので、たちまち先輩たちに気に入られていた。

「それがさ、知ってるあんた?」
「ええ?何?何?」
「今回の結婚、やっぱご主人様の金儲けの為らしいわよ」
「えー、やっぱりなの〜?」
「ど、どーゆーことですか?それ?」
「あんたは新人だものね、教えてあげるわ。
 ご主人様の企業が軍事産業だってことは知ってるでしょ?」
「え、はい」
「戦争が終わって、気が付いたらライバル会社に差をつけようと 躍起になったことが災いして、大赤字。
 それでどこぞのお偉いさんから資金を得るために、見つかったばかりの 娘を利用するつもりなのよ」
「やーん、やっぱりぃ?
 なんたってがめついものね、うちのご主人は」
「・・・あら?あなたどうしたの?
 額に青筋なんか立てて」
新人メイドはふるふると身体を振るわせながら、拳を固く固く握りしめる。

(そんな結婚、絶対阻止だー!!)





「んしょ、んしょ」
高く積み上げたタンスや椅子に乗っかりながら、温子は悪戦苦闘していた。
窓には頑丈な格子があり、仮に硝子を壊しても外へは出られない。
ならば天井裏はどうかと考えたのだが、あまりにも高い天井には 彼女の指すら届かなかった。
おまけに上品なロングスカート、フリル三重奏のピンク色のドレスは 動きにくいことこの上ない。
「あ、あ、きゃーっ」
バランスを崩してあっけなくベッドマットに沈む。
「あん、もう!いっそのことこんな服破いちゃって・・・」

一時の感情に流されて、この屋敷にとどまったのは良いが、 気が付けば軟禁状態。
魔実也と連絡を取ることさえ出来ない。
しかもいつの間にか縁談の話までまとまってしまっていた。

(悔しい)
あたしを探してたのは、高級官僚のどら息子と結婚させるためだったのか。
(悔しい)
思い返せば胡散臭いことこの上なかったのに、あっさりと お涙頂戴してしまった・・・・・・

「マミ・・・マミ・・・マミ〜」
くしゃくしゃとドレスの裾を握りしめ、すんすんと鼻を啜り始める。
魔実也はどうしてるだろう?
自分がいきなり失踪して心配してるかな。
もしかして怒りまくって機嫌を損ねてるかもしれない。
それで。
それで。
調子に乗って。
「まさか、まさか、浮気、なんて・・・」
どんどん悪い方へ転がってゆく思考に、温子が固まったその時。

「浮気なんてするわけないだろう」

温子がへたり込んでいる床下から、懐かしい声がした。





「なにぃ!?マイハニーが消えたっ!?」
「は、はい、そうです・・・部屋から一歩も出ていないはずなのに、 かき消すようにお姿が見あたりません」
ガードマンの男は厳つい肩をすぼめて、平身低頭で謝った。
「探せ、探せ!!
 あの娘は絶対に必要なのだ!!
 何人もの女に子は生ませたが、あれほど今回の計画にうってつけの娘は おらん!」
「はっ、わかりました!」

ガードマン達はどたどたと走り去ってゆく。
その背を見送って、アルカポンはがくりと椅子に座り込んだ。
「なんとしても、なんとしても・・・!!」



しかしこの先、アルカポンとその手下達は、 悉く魔実也に煮え湯を飲まされつづけることに なるのだが、それはまた別の話。





「かっこいい車だねー、どうしたの、これ?」

真っ黄色のオープンカーがぐんぐんとスピードを上げてゆく。
温子のドレスの裾が風に靡く。
「アルカポンの屋敷に潜り込んだとき、幾つか調度品を 頂いておいたのさ」
得意げに魔実也が顎をしゃくると、温子はまじまじと彼の横顔を見遣った。
「な、なんだよ」
「・・・ほんとびっくりしたー!!
 床下からメイドさんが出てくるんだもの」
「あの屋敷の設計図を念入りに調べた結果、実に都合の良いことに 床下はあらゆる部屋に通じている上、隠し通路まで用意されていた。
 しかもそれは設計者の趣味で、アルカポン自身は知らなかったんだからな」
「・・・違う、違う、マミの女装よ!」
「へ?」
「マミと出逢った頃より、マミはうんと大きくなって、かっこよくなって、 それでもって逞しくなったのに、ホントに女性かとあたし思っちゃったもん!」
「僕は変装の名人だ、そのくらい朝飯前さ!」
「・・・うん、うん、そうだね」
「どうしたんだ?やけに素直だな―――」

ハンドルを握りながら魔実也は横に座っている温子の顔を見た。
そして驚いて急ブレーキをかける。
キキ、と高い音を立てて、スポーツカーはメインから 少し外れた小道で停まった。

「な、なんて表情(かお)してるんだよ?」
―――温子は兎のように瞳を真っ赤にして泣いていた。
桃色の唇がきゅっと結ばれたまま、震えている。
「おい、アッコ?」
「だって、だって、もうこのままマミのお嫁さんになれないのかと・・・!」
はき出すように叫んで、温子はわんわんと泣き出した。
「こ、こら、泣くなよ・・・っ」
「ふぇええん!ふぇえええ・・・」

何かが堰を切ったように溢れ出して、温子は子どものように 声を上げて泣く。
こんなに思い切り泣いたのは、 もしかしたら人生初めてかもしれないくらいに。

泣き喚いて泣き喚いて、さぞかし自分は涙と 鼻水でぐしゃぐしゃな顔をしているだろう、 と温子がぼんやり頭の中で思ったとき。
唐突に右目の目蓋をひやりとしたものが触れた。
「・・・へ?」
びっくりして目を見開くと、今度は左目の涙を温かい舌で 拭われる。
「へ!?」
どうしたの、何してるの、マミ―――と訊こうとして 口を開きかけたら、すかさず魔実也のそれに塞がれた。
ぴたりと合わさった唇。
魔実也がざらりと上の歯茎を舌でなぞって、くすぐったくて 声を上げようとしたらぬるりと進入してくる。
「・・・ん・・・っ」

息が出来なくて苦しい。
舌が吸い上げられると痛いけどくらくらしてくる。
苦しい。
くらくら。
もっと、もっと・・・・・・・・・

長い長い口づけを漸くほどいて。
くったりしている温子を魔実也は抱きしめた。
「バカアッコ。
 どれだけ心配して、どれだけ腹を立てたか、・・・わかってんのか?」
とろん、とした淡い瞳で、温子は彼を見上げた。
魔実也がにっこり笑って、もう一度軽くキスをする。
「聞いて、アッコ」



―――I will get married, I love you.


ど、どうしてもギャグに転びそうになっちゃったり(^-^;
なんだよ、アッコのおとーさんの名前って!?(爆)
しかもラブシーンが物足りなくてすみません〜(>▽<;;
[Back]