ずうっと

ずうっと、待っている。

時間(とき)の長さも狂うような孤独も

構いはしない。






・・・待っている・・・・・・・・・・・・・・・・







その店は初めて入る店で、少々戸惑いながら あたしは彼の後を付いていった。

彼もこの界隈は初めてだと言ってた癖に雰囲気慣れしているというか、 何というか、
薄暗い酒場の煙たい空気に見事に馴染んでいて、 余程飲み慣れているのだろう、と推測も容易だった。

蛾が鱗粉を撒き散らしながら裸の電球に近づいてゆく。
それを見てるとあんまり灯りのすぐ下っていうのは 気が引けて、ぐるりと見渡すと店の壁際にある小さなテーブルとふたつの椅子が目に付いた。
ふたりきりだし、煩いのも何だし、
「あすこにしましょうよ」
と彼の腕を取った。
彼はちらりとテーブルの方を見遣るとその細い眉を微かに顰めて。
ぽつりと抑揚のない声で呟いた。
「先客がいるようだ。遠慮しよう」
「先客ぅ?何言ってんのよ・・・」
彼の大きな帽子の鍔が視界を邪魔してるのかと思ってあたしは その黒い帽子を取り上げようとした。
「止せ」
面倒くさそうに言い放って彼は自分で帽子を取る。
「よく視ろ」
黒炭のような瞳孔(ひとみ)を一瞬煌めかせて、彼は顎をしゃくった。

「・・・あら、まあ」

びっくりだわ。
椅子に女が座っている。
大きな花柄のブラウスを血に染めて。

「・・・そうだな、此処にしよう。
 おもしろいものが見られるかも知れない」
彼の、女のように紅い唇が吊り上がる。
酷薄なその唇の動きが背筋をぞくぞくさせる。
彼は血まみれの女を正面で捉えられる位置に腰掛けた。
あたしも隣りに座って改めてその女を見る。

椅子の女は長い髪を無造作に肩に振り乱し、 くたっとした感じでまるで柔らかい人形みたいだった。
首。
首がぱっくり割れている。
白い骨が見えそうなくらい。
べったりと服と肌に密着している血の色はまだ鮮やかで 臭いまで感じてしまいそう。

やがて虚ろだった女の瞳が唐突にくるんと動いた。
「どうしたのかしら?」
「来たんだよ、待ち人が」

ははあ、彼女はこの椅子にずうっと座ったまま誰かを待っていたのね。
そしてたった今、その待ち人と再会する・・・・・・、
なんていう瞬間にあたしは立ち会えたのだろう。

やがて女の血に濡れた唇が僅かに嬉しそうに歪んだ。
傾いでいた首をのそりと持ち上げて力無く下ろしていた両腕を広げて
その人物を迎えようとしている。
待ち人は、やはり男だった。
品のいい背広を着て、これまた品のいいお嬢さんを連れている。
にこやかに、涼やかに、ふたりは血塗れの女の席へ付こうとした。

ああ、勿論彼らには彼女は見えていない。
彼女はとうに死んでいる者なのだから。

お嬢さんは彼女の真向かいに座った。
彼は・・・彼女の席に、つまり彼女の上に腰掛ける。
にっこりと彼女は幸せそうに嗤った。
気を抜くとぶらん、と垂れ下がりそうな首と頭をゆらゆらさせながら そのか細い腕で彼をぎゅっと抱きしめる。



待ってた

待ってた



動かない彼女の唇から声が聞こえてくる。

嗤う。嗤う。
嬉しそうに、楽しそうに。

嗤う。




どぷり、と新しい血液が彼女の首から溢れだしてきた。
びしゃびしゃと彼女の白い腕と花柄の服とプリーツのスカートと 真っ白な太股を濡らしてゆく。
どろどろと彼女の足元に血の池をつくる。
けれど男は一切血には濡れない。
・・・当たり前なんだけど。
それでも彼女の血液はとろとろと男の全てを覆い尽くしてゆく。
濡れてはいないけどまるで油膜のように被ってゆく。
ほうら、もう顔しか残っていないわ。
浅黒い男の首を真っ赤に染めて、厚い唇まで上る。
女はやがて脚を大きく広げて男の腰を挟み込んだ。
血塗れの指を男の口元に持っていって 新しい血液と共に滑り込ませた。
血でどろどろの、男と女。
滑稽なことに男は何にもわかっちゃいない――――――



あたしの横でウィスキーを傾けている彼はまるでつまらないショーを眺めるように 彼女達を見ていた。
彼にはこの後の結末まで解っているのかしら・・・・?
ふと訊きたくなってしまう。

不意に大きく女の嗤い声が響いた。
男は頭から足の爪先まで真っ赤だった。
そしていきなり。
女は消えた。



「捕まったのかな?」
「誰が?」
「どっちも、さ」



混じり合う幾種類かの煙草とお酒の匂い。
静かで秘密めいた談笑。
あの男も、連れのお嬢さんも、周りと何ら変わりのない様子で。

ねえ、知ってる?
その椅子にはあんたと親しかった筈の女が血を流しながら座ってたのよ。
何があったか知らないけれど、あんたをずうっとそこで待っていたのよ。
きっとあんたと女はこの酒場で、そのテーブルで
幸せだった時があるんでしょう?
どうしてこんな風になっちゃったんだろうねえ?



「どうなるんだろう?あのふたり」
「へえ、君は知りたいのか?」



彼は新しい酒をグラスに注いだ。
琥珀色の液体がくるりと硝子の器の中で跳ね返る。

「飲むか?」
「・・・飲めないから。でもありがとう」

かさかさと蛾の羽ばたき。

「あたしも」
「・・・・・・」
「あたしも、あんな風にあんたには視えるの?」
「さあ」
「あんな風に待ってるように視えたの?」

彼はただ、静かに微笑ったままグラスを傾ける。



「もっと笑ったっていいんだよ。
 待ち続けて待ち続けて、何を待っていたのかさえ忘れちまったんだから」



かきっ、と琥珀の液体の中で音がした。
ひびの入った氷が小さく壊れた。
「想い出させてやろうか」
彼は白い手首を翻してあたしの首に触れた。
「・・・いいよ、要らない」
「まだ待つつもりか?」
あたしはゆっくり首を振る。
待っても来やしない。永遠に。やっとあたしは理解した。





「乾杯」

黒尽くめの青年は軽く右腕を掲げた。
彼のすぐ傍を品のいい男と上品な娘が通り過ぎた。
鼻先を掠めた血の臭いに青年は妖しく笑う。
かたりとテーブルに置かれた彼のグラスの隣には誰の物でもない 別のグラスがあった。
手付かずのそのグラスの中で幾つかの氷が小さく溶けて 琥珀色に染まっていく。


やがて全ての氷が溶けた頃、青年は店を出た。
夜の闇に、彼以外の姿はない。


ちょっとリリカルに終わってしまいました(爆)
わたしの魔実也は全然仕事しませんね(^^;今度はしっかり働かそう・・・。
朱里さんは魔実也氏ならいいってことでしたが あんまり出てきませんでした。
・・・ごめんなさい・・・。
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