月が、大きかった。 蒼白く燃えて、刀身に跳ね返り、 煌(ひか)りは踊りながら、 深紅に染まる。 ざわざわと鳥肌が立った。 焦点の合わさった意識は無駄な思考を遮断して 如何に斬り結んでゆくか、それのみになる。 生も死も、関係ない。 血の匂いは慣れると甘美だ。 全身をその酔いに任せる。それだけに、 なる。 普段と同じように刀を抱えたまま、座り込んだ。 指先が妙に白いのに気付く。 ・・・己の、吐く息の生暖かさに、笑う。 ふと見ると片袖にべったり血糊が付いていた。 「気付かなかったな」 正直言って着替えるのも億劫だった。 この頃は彼に話しかけてくる者も殆ど居はしない。 すぐに出動かも知れないし、構わないだろう。 それよりも彼は眠りたかった。 暫しの仮眠でも、生き延びる力になる。 いや、死んでも構いはしないけれど。それは彼に赦されていない。 押し込めようとして、両手で掴もうとするのに、 焦点が合わない。 ・・・・・・・・掴むどころか、目に映る像まで、歪む。 「巴、巴、とも・・・」 焦り。焦り。そして絶望。消失感。 血の臭いに包まれて。梅の香が探せない。 ―――――君を探せない。 ふっと息を吐き出して、目覚める。 首筋の汗を手の平でぐいっと拭って、 そして斜め前の人影に気付いた。 「赤空殿・・・、また、ですか? 人が寝ているときに近づくのは止めてください」 「別にわざとじゃねえよ」 ぶっきらぼうに、へらへらと笑いながら彼は無精髭の生えた 顎をさすった。 「お前が例の夢を見てるかどうかなんて、 俺に解るわきゃないだろうが」 「例の夢、って何の夢だか知らない癖に・・・」 きゅっと唇を引き結んでいかにも余計なお世話と言った口調だった。 赤空は黙って緋村の頭を叩(はた)くと 呵々と声を上げて笑う。 「解りやすいんだよ、おめえは。 この前の時と同じ表情(かお)をしてやがる」 眉間に皺を寄せて緋村は不機嫌と不可解の混じった瞳で 赤空の顔を見上げた。 慣れぬ者は緋村のその視線だけで縮み上がって 寄りつきもしないが、 赤空という男は当代きっての刀鍛冶氏と言われる男だけあって さして気に留める様子もない。 気に留めるどころか、どっこらしょと緋村の横に座り込み、 腰にぶら下げていた徳利から酒を呷(あお)っては 旨そうに舌鼓まで打つ始末だ。 「最近、汗かきながら寝てることが多いんじゃないか?」 興味がなさそうに、ぽつりと訊いてくる。 「ますます磨きがかかってるようだな―――人斬りの腕が」 緋村は二,三度瞬きして、それからくっと肩で笑った。 目に掛かるほどの赤い前髪を掻き上げて 膝の上に顎を乗せたまま、横の赤空の顔を見遣る。 そういう仕草はまるきり少年で、彼らの話の中身の凄まじさが 他愛のないものに思えそうだった。 「・・・俺、酔ってるんですよ。 人を斬ることに」 それから知ってますか?と緋村はまるで他人の話をするように続けてゆく。 「暗殺稼業からこっちに移るとき、俺は剣に心底嫌気が差してました。 だから殺人剣が必要な時代は、早く終わらせた方がいい、と。 その為だけにあと少し刀を振るおう、と・・・・・・」 緋村の顔は赤空の方を向いているのにその視線はまるで遠い。 「でもね、あなたも気付いてるように俺は幾度も幾度も斬ることを繰り返してるうちに・・・」 浮かぶ幽かな自虐と恍惚と。 「剣に集中しているときだけ、忘れることが出来ることに気付いたんです」 何を忘れるのか、とは赤空は訊かなかった。 何が彼に起きて、何が彼を追いつめているのか、そんなことは知らない。 ただ、最近の緋村が斬り結ぶ度に“例の夢”を頻繁に見ている事には気付いていた。 「俺は、酔ってるんですよ。 そしてその酔いが醒めると・・・夢をみる」 “夢”は警告だった。 血の匂いに酔うならともかくこのままでは血を求めるために 人を斬り始めるかも知れないという、己自身に対する警告、なのだ。 彼女を―――巴を喪った事実が消え去ることは決してあり得ない。 だからその事実を忘れるために“酔う”ことは自分自身の弱さに他ならない。 解ってはいる。 しかし“酔う”という現象は現在の彼にとって甘美で、 誘惑的で、断ち切ることが出来なくなってきている・・・・・・・・・ 「以前」 赤空はまた一口、酒を含みながら立ち上がった。 「以前、訊いたよなあ。 動乱が片づいたらおめえはどうするつもりかって」 「・・・ええ・・・」 「俺はよ、刀を打つのは止める」 緋村は弾かれたように顔を上げた。 「如何に殺傷力の強い刀を造るか。 俺もそれに酔った。 間違ってることに気付いてても、酔いは醒めなかった。 だがいろいろ寄り道した挙げ句、この歳でやっと醒めそうなんだよ」 にやりと笑ってくしゃくしゃと緋村の髪を掻き回す。 「ましておめえはまだ子供だ。 歯止めってもんがまだまだ必要だろう。 夢しかり、過去しかり」 緋村は煩そうに赤空の手を払い除けた。 「・・・どうせ、俺は剣の腕ばっかりのこわっぱですよ」 「僻(ひが)むな、僻むな」 心底可笑しそうに、赤空は笑う。 「そうだ、子供だよ。 だから独りで考えるな。 他人にも協力してもらえ。 力を貸してもらうことはちっとも恥じゃねえ。・・・きっと今に解る」 「・・・他人にどうこう出来る問題じゃありません」 ふいっとそっぽを向いて緋村も立ち上がった。 そして不機嫌そうにすたすたと歩き去ってゆく。 「・・・そこが、ガキなのさ」 含み笑うその声はちゃんと緋村にも届いているはずだが、 彼は完全に無視を決め込んでいた。 後に赤空は彼に逆刃刀を渡し、緋村はそれを“歯止め”として流離う。 彼が他人(ひと)と深く関わるのは十年後の、ことになる。
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