―終章―
その少女の、細くて小さな体躯は十歳前後くらいに思われた。 だが、何処か引っ掛かる違和感がある。 その体格に合わない、妙な落ち着きかも知れない。 ばさばさの長い前髪の奥にちらちら光る黒い瞳は、どう見ても 子供のものには思えないからかも、知れない。 薄暗い橋桁の下で、魔実也は静止している。 目の前の少女は座り込んだまま、汚れた上着の前を頻りに掻き合わせて ――――嗤っている。 「彼女は自分で自分を、殺したの」 川のせせらぎが澄んだ音を響かせて、それは 暗がりで向かい合っている青年と少女の構図の背景音楽にしては、 あまりにちぐはぐすぎた。 「あたしは」 漸く少女は声を発したものの、それまでの声音より数段低く、言葉遣いも 変わっている。 「あたしは、生まれた時から小さな人間で」 微かに吊り上がる右の頬骨。 「双子として、一緒に生まれた姉よりも、随分小さかった」 ぴくぴくと痙攣する目蓋。 「発育も異常だったらしくてね。 ただでさえ暮らしに困ってたから充分な食べ物も与えてもらえなかったし」 くくっと動く喉元は、何故か大人びて見えた。 「それでも姉とは仲が良かったのよ。 双子の紲、っていうのかしら? 姉の考えてることや、感情や、無意識の欲求とかね、 ・・・手に取るように解ったわ」 彼女はゆっくりと立ち上がると橋桁の影からのそりと抜け出して、 明るい日光の下(もと)に姿を晒した。 小さくて、頭や腕や躰の均衡が何処かいびつな、躰を。 「幾つだったのかしら? 五つか、六つ? 成長しないあたしの異常に母親も気付いてたんだけど、 それでも一所懸命育ててくれてたのよ。 だけどその母親も躰を壊しちゃって、とうとうあたしだけが施設に預けられた」 目を閉じて、深く息を吸った。 そうして魔実也の方を振り返り、また嗤う。 魔実也は暗がりの中で、ただ静止している。 時折彼の瞬きが、彼自身の瞳の煌めきを遮断する以外は、彼は全く動かなかった。 「成長しない、あたしは施設でも煙たがられてね、 とうとう独りで生きることに決めてあちこち放浪したわ。 母親がどうなったかは解らなかったけど、姉が元気に過ごしていることは何処にいても、感じてた」 ばっと少女は両腕を拡げ、水面に己の姿を映し出す。 「あの子、綺麗だったのよ? しなやかな手足、漆黒の髪、白い肌、赤い唇、大きな瞳。 どう? あなたは気付いたけれど、あたしとあの子は・・・似ているかしら?」 口元を歪ませて問う彼女に、魔実也はやっと口を開く。 「ああ」 ぱたん、と両腕を下ろして少女は瞠目した。 「―――ある時、突然姉に逢いたくなった。 あの子が何処にいるかなんて、すぐに感じることが出来るから、 それは大して難しい事じゃなかったし」 再び川縁に座り込む。 「・・・さり気なく、すれ違ってみた。 あの子はあたしに気付かなかった。 紲はあたしの一方通行だった―――」 からん、と足元の小石達を崩す。 「それでもあの子は何かを感じてはいたらしくて、いろいろ 親切にしてくれてね。 食べ物とか毛布とか。 おしゃべりもそこそこあったからあの子がどうして此処に居るのかは、 やがて全部、解ったの」 がたごとと忙しい列車の音が遠くで木霊した。 「馬鹿だよね!あの子は!! あの男の元で温々と暮らしてれば良かったのに。 あたしに気付かない癖に、やたらあたしや、婆さんに会いたがった。 婆さんがあの子の若さや美貌をどう思ってるか解ってなかった! そっとしとけばいいのに、火に油を注ぐってこのことだよね? あの子が懸命になればなるほど拒否されてさ! 挙げ句、死ねって言われて・・・ホントに死ぬなんて」 気怠そうに立ち上がると少女はゆらゆらと魔実也に近づいてゆく。 「あの子の感情がいきなり流れ込んできてね、 あたしは走ったわ。 でも間に合わなかった。 あの子は自分で自分の喉を突いた、直後だった」 ゆっくり、ゆっくり、近づく。 「馬鹿馬鹿しくなったわ。 あんな老人の言葉で傷ついて、死んじゃう弱い子。 でも自殺じゃああんまり情け無かったから」 魔実也の目の前に立つ少女は薄汚れた顔で彼を見上げて、ぞくりとするほどの 綺麗な笑みを浮かべた。 「まだ温かかった彼女の指から刃物を剥がして。 刺したの。 何度も。何度も。何度も。 あの子を、刺した。 案の定猟奇殺人みたいに取り上げられて、婆さんも気が気じゃなかったようね・・・いい気味だわ」 「・・・それだけか?」 くいっと魔実也は右の人差し指で少女の顎を持ち上げた。 大きく見開かれた目は、その質問の意味が解ってないようだった。 「あんたも、あの老女と変わらない。 殺された娘の、美しさに嫉妬してたんじゃないのか? ・・・・・・人を、肉親を憎むことなく、 愛すことしか出来なかった双子の姉に どうしようもなく苛々してたんじゃ、 ないのか?」 がたがたと少女の黒ずんだ唇が震えた。 きゅっと悔しそうにそれを噛み締めてばっと彼の手を払う。 「あんたに、言われたくないわ!」 咆吼と紛うような叫び。 「・・・あたしを責められるのは、姉、だけよ!!」 くるりと身を翻して、駆けてゆく。 少女の形をした女の、背中が遠のいてゆく。 魔実也はふっと軽く息を吐き出すと、ゆっくりと土手を上がっていった。 ふと視線を動かすと、道端に黒塗りの自動車が停まっている。 懐の煙草に手をやりながらすれ違う魔実也に、車の後部座席から グレーのスーツの紳士が声を掛けた。 「私は、兄があの娘達の母親を本当に愛したことを知っていた。 ・・・かつての許婚の代わりではなく。 あの老女も、それを知っていたのだろうか? もしかしてあの娘(こ)の悲劇はそこから・・・」 「詮無いことです」 車とすれ違いながら、魔実也は紫煙を吐く。 「人間(ひと)同士なんて、そうは上手く噛み合わないものですよ」 風のように通り過ぎてゆく声を聞きながら、 紳士は固く目を閉じた。
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